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2010年1月26日火曜日


 

 

 

鳩 

慌てず、焦らず、投げ捨てず、諦めない

        

 

 

 

 

 はっ?えっ?

 鳩? ハトやん。何でこんな処に居るん?

 買い物から帰って無意識に店の階段を上りきった。

十六段。それだけ天井が高い。外からの淡い明りが踊り場を幽かに浮かび上がらせている。その踊り場の二段下。ふと目に入ったのがチョコンと居る一羽の鳩。

オレが近づくと心なしか後ずさりした。
 シッと追っ払おうかなと思ったのも束の間、彼女(オスかメスか判然とせえへんが何となく可愛い感じがしたので)と目と目が合った。
 円くちっちゃな目が可愛い。
 しかも穏やかに見えて、細く突き出した口ばしも可憐で可愛い。

お互いしばし見つめ合っていた。
 「何してん、こんなトコで」
 もちろん、彼女は答える訳もなくオレを見つめた。
 あれー、左の羽がだらりと垂れているやん。
 「は~ん、怪我したんかいな」
 手当てと言うても近づくと逃げるやろうし、捕まえるにしても手荒な真似になってしまいそうで臆してしまう。ま、エエか。その内何処かへ飛んでいくやろうとオレは店に入り買い物を整理したり、片付け物をしたりでいつしか鳩のコトは忘れていた。

 「あんなとこに鳩が居るやん」
 開店時の夕方、最初に来たお客ご婦人第一声。
 えっ、まだ居るんかいなと、どうでもエエと思いつつ見に行った。
 鳩は階段を二段上がって場所を上に移して踊り場の端に悄然と立っている。
 近寄って「どうした、よう飛ばんのか」と声をかけた。
 彼女はだらりと垂らした左肩の羽を退けるようにしてヨチヨチと横に動きながらオレから遠ざかろうとする。

それがシナを作るようで妙に色っぽい。
 
「あのな、オレはな、鳩なんて大キライなんや。鳩とカラスは駆除してもエエ思ってねんや。鳩はな群れて糞をそこらじゅうにして汚しまくるやろ。何が平和の使者やシンボルや。大嫌いやど。それが何でそんなトコに居るねん。怪我したらしたで何処か他に行くトコあるんちゃうんかいな。そやのに選りによってなんでこんな建物の奥に来るんかな。鳩は嫌いやけどメッチャ気になるやろう」
 チッチャイ円い目がオレを見つめて話を聞いているようで、その姿が清楚で毅然としているように見えた。
 踊り場を挟んで向かいの店はダーツバー。
 二階建ての建物で踊り場を挟んで二軒だけを振り分けたテナントビル。あちらさんは先輩でもう何年も営んでいるから次々とお客が入って来る。
 それに比べたら開店未だ一ヶ月も経ってへんオレの店にはポツリポツラとお客が来るだけ。
 どっちにしても両店に来るお客はこの日は迷い込んだ鳩の横を通るコトになる。当然誰しも鳩に目が行き怪訝に思うやろ。

そやけどまさか怪我してるのが一目瞭然の彼女に誰もおかしなチョッカイはかけんと思う。
 オレはしゃぁないなと踵を返して店に戻った。

来るお客は一様に彼女のコトを口にした。そやからお客との他愛のない話の中でもオレの頭は、あの鳩をどうしようどうしたらエエんかなと、案じる気持ちが膨らむばっかりで気が気でないようになっていた。

 最後のお客が帰る。
 見送って店から出る。
 ツクネンと彼女は同じ場所にさも何事もないように立っている。
 何時間も目の前を人が通り過ぎて行くのに慣れてきたのやろう、チョッと近寄った位では身を退こうとせえへんようになっていた。
 ヨシッ、とオレは心の中で手を打った。
 帰るお客に彼女の気をひきつけさせる陽動作戦にでた。
 先に出たお客に彼女の視線が向いた瞬間、オレの手は彼女の背中を掴んでいた。
 体を捩り首をねじって振り向いてオレを見つめながら身悶えし抵抗しようとしているが、オレの右手は彼女の小さい体を鷲掴みにして、更に空いていた左掌で彼女の腹部をそっと包み込んだ。
 そのまま抱きかかえお客に別れを告げて誰も居ない店内に戻った。

テーブルの上にそっと置く。もちろん暴れないように軽く押さえ込み逃げられないようにして左の羽をそっと広げた。

プシュプシュと魔法の水(濃厚なミネラル液)を霧状に噴きかけた。

羽の上からも裏かも丹念にかけた。その度に彼女は体全体をピクンピクン震わせて微かな抵抗を試みていた。それはほんの十数秒のコト。それからそっと彼女を床に置き手を離し解放した。
 かなり慌ててオレから離れていく。
 店内は照明を落としていて薄暗い。テーブルの下へ潜り、椅子の下を横切りヨチヨチフラフラと兎に角オレから少しでも遠くへと懸命な気概を後姿に見せて。
 もう彼女がこの店内の何処へ行こうが好きにすれば良い。 
 オレとしてはやるだけのコトをやって彼女を無事保護したんやし、後は意に介さず酒を喰らってそのままソファーで眠りに落ちた。


 家の中が大変なコトになっている。

煙が充満している。煙の向こうに火炎が渦巻いている。

まるで映画でも観ているような感覚。

そのくせその真っ只中に居て何をどうして良いのか、動こうと必死で焦るが体がズシッと重たくスローモーションの映像のような動きしかでけへん。
 妻が居る。

その妻を絶対に救い出さねばと焦り、思うに任せぬ動きに怒りが阿修羅のように滾る。鼻腔に煙が這い上がり息が苦しい。
 突然、九十八年山荘火事中に居て逃げ場を失っているオレ。

絶体絶命のピンチやんけ、妻を、妻だけは何が何でも助けなアカンねんや。
 その時、燃え盛るログの隙間から何やら飛び込んできた。
 鳩や。そう思った瞬間、鳩に導かれて妻もオレも燃え盛る山荘の外に出ていた。

 おぉ、夢やったんかいな。
 久しぶりに紅蓮の炎に包まれた山荘全焼のシーンが鮮明に浮かび上がってきた。まあまあ、汗までかいてまんがなと苦笑してみた。
 鳩?
 そう言えば鳩は?
 そうか、鳩を保護したのを思い出した。
 既に広い窓から眩しいばかりの陽光が店内いっぱいに広がっていた。
 そうか、昨夜も店で寝てしもうたんや。
 相変わらず独りで飲み続けてたのを思い起こし、そして保護した鳩の事も思い起こした。

広い店内の何処かに彼女は居るはずやと、音を立てないように這いつくばってテーブルや椅子の下を探るように覗き見渡したが見当たれへん。
 夢の中に何で鳩が出てきたんやろう。そうか、鳩を保護して良いコトをしたと思い込んでいたから多分あんな夢を見たんやな。
 鳩の恩返し、アホやでホンマにいい気なもんやと自嘲しながら振り返る。
 その時、ステージのピアノが目に入った。
 腰を屈め音を立てないようにピアノの下を覗き込んだ。
 光が遮られて陰になっている薄暗いピアノの下。

そこに置いてあるバスドラの向こうに斑で灰色の羽が見えた。何してねんやろ、まだ警戒は解いてへんやろうな。
 しゃあないなぁと、そのまま様子を窺うように観察を始めた。
 待つコトしばし。
 尾羽を振り振りヨチヨチと彼女が姿を現した。オレとの距離は約2m。
 「ゆっくり休めたか、腹減ってんちゃうか。喉も渇いたやろう」
 首を少しこちらに向け、やはり清楚つぶらな瞳でオレをジーッと見つめながら問いかけを聞いている。
 コイツ、人の話が分かるんかいな。そんなアホなとは思いつつも分ってるような錯覚に陥ってしまうのは、やっぱり彼女のつぶらな瞳のせいなんやろな。
 「チョッと待っとき」
 空いた灰皿二つを手にしてカウンターの中に入り、灰皿の一つに米粒を僅かに掴んで入れ、一方の灰皿に水を入れユックリ静かにピアノの方に引き返した。
 彼女との距離二mほどの処で止まり、ゆっくりしゃがみ込んでそうっと両手を伸ばして二つの灰皿を彼女のほど手前に音を立てないように置いた。
 慌てる風でもないが警戒は怠らないというように彼女は二三歩後ずさりしてやっぱりオレをジッと見つめている。
 「ほな、ここへ置いとくで。気が向いたら食べ、飲み」

オレはカウンターに戻り頬杖をついて対極にあるピアノの下の彼女の動きを注意深く眺める。
 窓からの陽光がキラキラと照り返している。

眩い店内は天井の高さがm近くありゆったりと大らかなゆとりのある空間

内装は丸太を駆使してログハウスを装い、その殆どを焦げ茶色に塗装しているから古い田舎家のようでもあってしっとりと落ち着けるんやな。

オレは自作のこの空間が好きや。

一歩外へ出ると天神橋商店街一筋東裏通り。

立ち飲み屋や飲食店が軒を並べていて、それぞれが競って看板を出しているから狭い路地を更に狭くしている。それでも昼前からどの店にも客がやってくる。何でそんな昼から酒を飲む人が多いんやろと不思議に思う。

狭い裏通りながら人の往来が頻繁にあって途絶える事がない。

そやからここなら商売は上手く行くやろうと割り込んできた訳やけど・・・

オレは本来人が群れるとことか、ビルがひしめき合ったりする処とか、車が多いとか、要するに都会がイヤなんや。

とは言うものの自分の店がお客で溢れるのは大歓迎ちゅうからチト矛盾しとるが、商売してるんやしそれも在りかなと。

そんなことで用がない限り何処にも出かけず一日中店に籠るのがほとんどと言うのがオレの日常になっている。

ログハウス風の趣きで深い静かな空間に保護した鳩と音も立てずゆったりしてるなんて現実感が薄れておとぎの世界に入り込んだような錯覚に陥る。その妙にふわーっとした幻想に浸っていた。

 

分ほどが経っても彼女は水にも米粒にも何の興味も示していないようや。
 むしろ時々首を捻りキョトキョトと辺りを見回している。
 そのうち窓の方に視線を移しジーッと見つめだした。
 その位置からだと建物と建物の間に細長い空が見える。その空を見つめているのか。
 今日は陽光がさんさんと降り注ぎ青い高い空なんや。

そんな大空を自由に羽ばたいていた昨日までの日々を思い起こしているのか。
 或いはあの空に戻るコトを真剣に考えているのか。
 どう見ても今の彼女の羽の状態では飛び立つことはでけへんやろう。
 そやのに空を仰ぎ見たまま微動だにもせず静止している。

体を覆う灰色の斑模様の羽毛、特に首筋の玉虫色が艶を帯びて陽光を浴びキラキラしている。

そんな彼女を見ていたら妙に切ないものが込みあげてきた。
 何とか元の状態に戻して羽ばたかせてやりたいものやと切に思いながらオレは彼女から目を離せないでいた。

と、その時、彼女に動きが出た。
 二つの灰皿を横切ってヨチヨチと移動を始めた。
 窓の直ぐ横のスピーカーの前まで歩いて止まってまた動かへん。
 ただ首だけを時々上下してスピーカーと窓を見ている。

高さ八十㎝ほどのスピーカーは三角の形で、上から下に向かって手前の方にと傾斜しいる。
 オレはカウンターから離れもう一方の窓辺に置いてあるソファーに移動した。
 先ほどまで眠りに落ちていたソファー。ソファーの端とスピーカーの間はm程。
 オレがソファーに寄りかかると彼女はキッとオレに視線を向けてきた。
 しかし表情にも眼差しにも変化は見えない。まあ単純に出来た鳥類の顔では何を感じ何を思案してるのか窺い知る由もないけれど、明らかなのは動いたオレが思案に耽る彼女の邪魔をしたのや。
 オレは構うコトなく足を投げ出してソファーに横になり彼女を見続けた。
 彼女の視線もオレから離れない。
 つぶらな清楚な瞳がジーッとオレを見つめる。
 表情の無さがかえって無垢な深遠さを滲ませているようだ。
 彼女の澄み切った瞳は感情も理性も一点に絞り込んだ一途さを秘めてオレの心の奥まで見つめているような。
 波紋が緩やかに揺らぐような微細な感動、そう言葉では通じへん魂の通い合いが鳩とオレの間で生まれている。
 「分かった。飛べるようになるよな。そのタメにはオレも最大限の協力をするし、それには君も滋養を採らんとアカンやろう。先ずは水を飲むコトやな。その水には少し魔法の水も入れてるし回復のお手伝いになるよ」
 聞き分けたかのように彼女はツト身を翻しヨチヨチと元の位置に戻って、そこでまた改めてオレを見つめなおすと、次には又窓の方に視線を移しそれからやっぱりスピーカーを見つめ何かを懸命に探しているようだ。
 しばらくしてスピーカーの方にヨチヨチ歩いてきた。
 立ち止まり、スピーカーの下から上へとチラチラと何度も視線を送っては時折神妙に居住まいを正し窓を見つめている。
 窓からの陽射しに眩しく浮かぶ彼女の姿がどこか幻想的で、それに陽光の柔らかい温もりが重なりオレに睡魔がさしてきた。

オレは心地よくうつらうつらとし出した。

朦朧とした思考は妖気に包まれて意識が店の空間を漂い、その意識にあわせて鳩がふわりふわり浮かぶように飛んでいる。

そこがまるで無限の空間であるかのように、不確かに漂うオレの意識と、不思議な鳩の浮遊とが仲良く連れ立っていた。

バタバタドサッ!

その不調和な音が夢見るオレの幻想の世界をパチンと弾き飛ばし、突然現実の小さな事件が目に飛び込んできた。

彼女を凝視した。
 彼女はバタバタと羽を懸命に羽ばたかせスピーカーの下部の枠に飛び乗ろうとしている。それは時には成功するもののスピーカーの斜面が直ぐに彼女の小さな体を弾き飛ばして転げ落ちさせる。落ちた彼女はもがきながらもヨタヨタと起き上がり体勢を立て直しジーッとスピーカーと対峙する。
 力の回復を粘り強く待ってるんやろう。感情を包み込み一つの目的へ静かな不動の闘気だけを滾らしてるんや。

 「そうか、スピーカーから窓辺に行きたいんや。そやけど今は無理やで。もうチョッと力を蓄えてから挑戦した方がエエで。それにしても窓辺に辿りついたとしてもまだまだ飛ばれへんし、危険やし、とに角無理したらアカン」
 オレに声をかけられ、彼女はそのまま首だけを捻って視線をじっとオレに当ててきた。

そんな訳はないと思いつつも、その仕草にはこの子はホンマにオレの言葉を理解してるんやと当たり前のように錯覚させられてしまうオレであって。

 「なっ、そう言うコトやからもうちょっとジッとしとき。ほんでなやっぱり何か食べなアカンし水も飲まなアカンやろ。オレはな、チョッと買い物に行ってくるさかいな、くれぐれも無理なコトしたらアカンで」
 睡魔から開放されたオレはそのまま買物に出かけた。


 天神橋商店街、実に活気のある商店街や。
 天一から天六までの約kmのアーケード。
 その長さが日本一、いやアジア一と言うのも充分頷ける。

 中学校は私立で大正区の大運橋から阿倍野区の昭和町まで通ったから、当時、市電から地下鉄に乗り換えるのはナンバやった。
 そんな少年の頃からナンバに馴染みミナミで群れてヤンチャの限りを尽くしてたから、キタという所には殆ど縁がなかった。
 縁がないというより意識して敬遠して敵視さえしていた。
 大阪の心情はミナミやでとガキの頃から一徹に思い込んでいた。
 何ちゅうか、大阪と東京を対比する感じでのミナミとキタやった。
 そやからキタちゅうのは梅田界隈だけでその他はまるで異国のように思っていたオレであって。いやもっと酷く僻地くらいに思っていたのに、キタの堂山に店を出し天六で住み始めてオレの無知さ加減が顕かになり、で、毎日が発見のサプライズになった。

 天神橋商店街の賑わいと長さに驚嘆し、梅田を少し外れた中崎町界隈の静かなセンスの良い賑わいに好感を抱き、いつしかこの界隈が大好きになっていた。特に天六、天満の賑わいはミナミや堂山町辺りのギラついた夜の膿のような禍々しさは見えず、明るい庶民的な活気にも親しみが持てる。チャリで少し行けば大川の畔の清閑な緑と水面も愉しめて、昼オレ孤独を癒してくれる。
 それでもチト物足らないものがあった。

年間馴染んだ生玉には店の直ぐ裏手に生玉神社と生玉公園があってそこには鉄棒やタイヤを埋め込んだ遊具などがあったし、何よりも都会にしては樹木が生い茂り広さもそこそこあったからオレの格好の鍛錬場にもなっていた。
 ジムとかと言う狭い空間に大勢人が集まってくるような処は一人を愉しむオレの肌には馴染ない。

人気のない処を好むオレは野外での鍛錬が好きなんや。

信州木島平村へ行けば山の懐の中で伸び伸びと思い切り暴れられる訳で。

ま、大阪のような都会では身近にそれを望むべくもないのやが、それでも生玉公園は充分楽しめる鍛錬場であって馴染んでいた。ところがこの天満界隈の公園は小さく品祖で、しかも午後になると学校を終わった子供達が群れ集い騒がしく肩身の狭い思いする。

今度の天満の店は天井が高く広々している。
 鉄棒も設置して体はいつでも鍛えられるが、やっぱり野外での鍛錬とは比べようもない。
 この天満の店の内装工事の初っ端は丸太と資材の搬入やった。何せ二階建ての建物やからエレベーターもエスカレーターもない。

体力と力持ちを自負するオレは十六段の階段を重い丸太や資材を担いで連日搬入に勤しんでたんやが、五日目に突然激しい腰痛に見舞われた。
 それを耐えて忍んで内装工事に入ったものの腰痛は益々激しくなるばかり。

病院で検査した。何と背骨ずれて椎間板が磨り減ってしまって無いちゅう結果やん。

医者は手術以外にないと断言しやがった。手術なんかしたら何ヶ月も寝たり、更にリハビリも加えてたら半年は動かれへん。

膨大な借金を抱えながら我武者羅に強行するオレにはそんな余裕なんてある訳がない。

激痛が続き歩くのも困難な状態が続くと、老いとはこう言うところから始まるのかなと六十六歳のオレは流石に心細くなってきたのを跳ね返すが如く、ならば医者の世話にもならんと自力で治したるやんけとそれまでも続けていた鉄棒の逆上がりやる頻度を小まめに増やして行った。

逆上がりをして股関節を軸に体をくの字に折って頭を下にぶら下げていると背骨が伸び圧迫から開放されて楽になる。それを繰り返すコトで腕力や背筋腹筋も徐々に鍛えられ、年齢を超えて体は更に強化されていく。

先日も若者三人を相手に逆上がり大会をやって、オレはいきなり連続三回やって見せて、精々一回しかでけへんかった彼等に「オレは六十六のジジィやで」と得意満々に見せびらかして若者達を大いに悔しがらせてやったもんや。

 JR天満駅から天六に掛けての界隈は飲食店が多く、不景気に侵食されている大阪の現状を尻目にかなりの店が当たり前のように繁盛してんねんやな。何故かすし屋が多く行列が出来る店も稀ではない。 
 店の裏の窓を開けると少し離れた場所に高層マンションがそそり立っている。
 その一階と地下は大きな市場「ぷらら天満」になっていてその北側が天満市場でとに角物が安い。安いからもっぱら買物はそこになる。
 仕入れがほぼ目と鼻の先ちゅうのは実に便利や。
 数日前には天満駅を横切った直ぐ先の商店街にあの『スーパー玉出』が進出してきた。
 で、その日鳩は気になるもののその玉出を視察に行き、折り返してぷらら天満でも買物をして小一時間ほどで店に帰ってきた。

 「あっ、危ない!」

と思わず叫びそうになった声を呑み込んでジイッと様子を窺った。
 出かける前彼女はピアノの横、スピーカーの後ろの窓辺をしきりに見つめていた。
 それが今、その窓辺に止まってる。背中をこちらに向けている彼女の姿が真っ先に目に飛び込んできた。
 一瞬オレに驚愕が走った。

絶対に未だ飛べないとオレは確信している。
 そやから今、彼女がどんだけ危険な状況であるか瞬時に把握するオレであって。
 窓辺から外の通りのアスファルトまではm近くの高さ。

足を滑らせて落下でもしたら致命傷をこうむる可能性は大なんや。

かと言ってオレが慌てふためいて大声を出したり駆け寄ったりしたら警戒心と恐怖で彼女がバタつきバランスを崩して足を滑らせる恐れがある。その咄嗟の判断がオレを冷静にさせた。即座にスイッチを切り替えて、そおっと音を立てないようにそろりと静かに近づいていった。 

 彼女から二mほどのところで立ち止まる。気配を察したのか首をひねりその視線がオレを捉えていた。 無表情やけどあどけないつぶらな黒い瞳がジーッとオレを見つめる。 それがオレには何かを訴えているように思えた。
「何してん?危ないやんか、そんなトコに居ったら。どないしてそこへ上がったんや」
 答えは直ぐに分かった。
 オレの居れへん間に何度か挑戦してスピーカーの短い斜面をよじ登り隣の椅子に移りそして窓辺にたどり着いたのやろう。
「あのな、そこまでは必死で何とか上がれたやろう。そやけどお前はな、その羽では飛んでいかれへんねんで。危ないからもう少し辛抱してそこから降りておいで」
 ジッと聞いているのか首をひねったまま視線を外さず見つめている。
 オレが傍に行って抱き上げて床に下ろすことはでけへん。

実際は、彼女は一切オレを信用してへんやろ。その証拠に水も米も口にした形跡はない。ただ、距離を保っていれば逃げようとしないのだけはハッキリしていた。mの距離を保ったままオレには何の行動もとられへん。

説得して諦めさせて彼女が自主的に降りて来るのを待つしかないがそれは現実味のない不可能なコト。
 突然、彼女はひねっていた首をクルッと正面に向けそのまま前を向いて動かない。オレを完全に無視してるやん。

隙をついて一挙に彼女のトコまで行き手でこちらへ引っ張ろうと、咄嗟に思った。跳躍して彼女を引き寄せようと思ったが、直ぐに諦めた。
 それは大いなる賭け。
 もし、失敗したら彼女は窓の外に転落する。
 それは命に係わる超重大なコトや。
 そんな賭けはやっぱりでけへん。
 第一、今オレはそんな事ができる体ではない。
 m先まで一気に跳躍なんかしたら折角治まってきた背骨の痛みが激しくぶり返すのは必至や。
 そっと引き返して買した荷物を片付け、またそっと近寄りなす術もなくソファーに腰を下ろし見守るコトにした。

 午後の陽射しが広い窓からいっぱいに射しこんでいる。その目映い明かりの中にチョコンと鳩が佇み陽射しを浴びて羽がキラキラ照り輝いている。

微動だにせずただ前方を無表情で見つめて照り輝く姿はどこか神々しく妖精か精霊の化身のような錯覚さえ覚えさせる。
 侵しがたい聖域をただ見守るオレはいつしか居ずまいを正し神妙にしているのが当然のようになっていた。

だらりと垂れた左の羽。それでは飛びたてる訳でもないのに、ジッと立ち尽くし一点に視線を向けている。

そこには宇宙の大いなる摂理を悟り、その計り知れないエネルギーを一身に受け取ろうとしているかのような輝く崇高な小さな小さな存在があった。

小さいながら強固なその存在がオレを圧倒してくる。
 十分が過ぎ、二十分が経ち、更に時間は経っていく。

一心に窓外を見つめる彼女、小さいが無色透明な彼女の尊厳に引き寄せられてただただ見守るオレ。

痛ましくだらりと垂れた左の羽。にもかかわらず、抗えない強固な意志が彼女のつぶらな瞳に宿り、オレの懸念がいかにも無用のようにも思えた。
 飛び立とうとしているんや。
 そやけど自分の今ある力が如何に頼りないかを彼女は悟っている。
 そやから動かへん。
 動けるパワーを体内の底から念じるように呼び起こしているんや。

小さな不動の姿勢に思う。

その時が来るのがいつなのかおそらく彼女自身は感知しているんやろう。
 「分かったよ。多分、君は無謀なコトはせえへんやろう。自分の在りようを冷静に理解してんねんな。もう邪魔せえへんからな」

 目映い彼女の輝きと午後の陽射しに包まれてオレの体は気だるい脱力感が浸透してきていつしか眠りに堕ちていた。

 バタバタバタ、激しい羽音でハッと目が覚めた。
 どの位眠っていたんやろうと、彼女の居る窓辺に目をやる。
 居れへん。床にもおれへん。
 彼女の姿が消えた。
 慌てて窓から身を乗り出して下を見る。
 下の焼肉屋の突き出したテントが邪魔をして視界をさえぎる。
 それでも更に身を乗り出して覗いたが見える範囲に彼女の姿はない。
 う~ん、やっぱりオレの懸念は正しかったんや。
 睡魔の中でエエ加減な妄想に捕らわれて保護せなアカン処置を怠ったと、悔恨が途轍もなく沸きあがり、そのまま身を翻して下へ降りようとした、その時。
 バタバタと羽音がまた何処からか聞こえてきた。
 それは多分、極近距離。周りを見渡す。
 また、羽音がした。窓から視線を真っ直ぐ前に移した。
 居った。
 向いのマンションのベランダ。
 その角に爪を引っ掛け滑り落ちまいと羽をばたつかせている懸命な彼女の動きが目に飛び込んできた。
 「おおぅっ」思わず呻くオレであって。
 「ガンバレ」続いて小さな叫びが口から飛び出していた。
 爪の力が尽きて滑り落ちようとするのを懸命に羽をばたつかせて浮き上がらせベランダに上ろうと何度も試みている。

 やった。とうとう登りきった。
 鉄柵の間をヨチヨチとすり抜け通りを見渡せるようにこちらに向き直り、一度羽を大きく広げてゆっくりと沈むようにうずくまった。
 流石に疲れたとみえる。それからまたその姿勢のまま微動だにしない。
 やっぱり、彼女は冷静に自らを推し量っていたんや。
 窓を見上げ、窓までの距離と自らの力量を測り、微動だにせず外を見つめていたのは冷徹な思惟の表れであったんや。
 命を全うしようという至上の摂理に従い、自身の体力と置かれた環境を冷静に推し量り、投げ出さず、諦めず、慌てず、着実に一つ一つの段階をクリアしていく。
 動物の本能というだけでは済まされない意識された熱い個の輝きがある。
 窮地に追い込まれて冴えわたる個としての静かな闘志が孤高な魂を生み神々しいまでにも高められていく。
 深遠に思いを巡らし、ここぞと確信した時の判断で躊躇うことなく敏捷な行動力で一歩ずつ前へ前へ確実に道を切り拓く。

こににあるは前進のみ。振り向くことも後退すると言うことを拒否した揺るぎのない強靭な意志を見せ付けられた。
 集団や群れでパニクルことの浅はかな行為などとは比べるべくもなく。


 人間でもこうはいかへん。
 いや、人間こそ一人では何も出来ないというのが現代人かも。
 群れに寄りかかり個の尊厳と輝きを失くし他者と同一化と言う方向へ流されがちな現代の多くの人間には無縁とも思える「個の輝き」。
 個の輝きとは大袈裟なものではなく増してや英雄を気取るのでなく、窮地に遭遇した時こそ、確りと目標を捕らえて目立たず静かに淡々と向かう一途な姿勢なんやろな。

 

 窮地に立つ。  
 オレは何度も窮地に立たされてきた。
 九十八年の信州木島平の街山荘全焼、コイツは最大の窮地であった。
 なってしもうたモノはしょうがないと現実を速やかに受け入れ、精一杯冷静になり次の行動を考えた積りでいたが、後から振り返ってみると、仕方のないコトやけど動転して慌てて随分と間抜けなコトの多かったことか。
 もっと冷静であったなら、消火が不可能と判断した時に持ち出せていた物はかなりあったはず。

押しかけた野次馬を前にして下手な気取りを演じていたような気もする。

その時のオレは、状況を見極め自分を見つめるという、この鳩のような冷静な行動をとれなかったんやな。

悔しさが込みあげてくる。

文字通り取り返しのつかない悔しさはオレの胸中で常にくすぶっている。

そのコトが次へ進む大きな原動力となって今もひたすら駆け続けているがそれでも色んな窮地が後を絶たず今では窮状慣れしているようでもあるんやな。

 この鳩は人間の愚かな懸念より、もっと高いところから自らを見つめていた。
 どんな人間の格言や説法よりも、感動を持って身に染み込まさせる教えを受けたと思う。
 ふと、思う。
 慌てず、焦らず、投げ捨てず、諦めない。
 日ごろ自分に言い聞かせている言葉を、鳩が摂理の化身となって身を持って示してくれた。

 小一時間も経ったころ、パタパタと羽音がして彼女は更に高く舞い上がっていった。
 その羽音はバタバタからパタパタへと軽やかな響きに変わっていた。
 大空に舞い上がり何処へか姿を消していった彼女の残像を瞼にしたとき、熱い滴がオレの目から流れ落ちていた。
 否めない感動を体は素直に受け止めてんねんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はらだ よしお  原田 譽志男 著