Powered By Blogger

2011年10月6日木曜日

北九州市「自分史文学賞」応募用『無血の抗争』 本章3

凶々(まがまが)しい金髪オッサン

 思いやられると言えば、それから間もなくして見るからにゾッと寒気を覚えさせられる

オッサンが同じこのマンションに移ってきた。短くそろえた頭髪はパンチパーマをガシガシに当て、しかも茶髪でなく金髪にして、まあ、ギラギラとホンマにド派手な金髪なんや。

 年の頃は五〇歳半ばって感じ。

 季節は年明けの冬であって、これもド派手な朱色の赤い膝下まで隠す皮のロングコートをいつも羽織っていた。そして眉は刺青で毒々しく、それが凶々しい邪気と狂気を漂わせ邪悪な凄みを放出させていた。

 コイツは今までとは違う粗野で凶暴なヤツとオレの獣の本能が捉えていた。見た瞬間からこんなヤツが入ってきたら絶対にヤバイ、オレの触覚がピクピク反応していた。

 ところがそのオッサン、柄にもなく初老に見える薬中のような少し呆けた感じのオバサンと手と手を取り合って出かける姿を再々見受けられた。多分、夫婦なんやろ。

 ある夜。オバサンが一人で店に入ってきた。執拗に外を窺い気づかう様子で外からは死角になる片隅の席にそおっと腰掛けた。

 当然ながら、あの金髪も続いて入って来るものと、憂鬱な気分に追い込まれた。

 しょうがない。一応おしぼりを持っていき注文を訊く。

「ここはバーやけど日本酒は置いてはる?あそう、ほな熱燗でちょうだい」

 無造作に束ねた長い髪。乱れた解れ毛が幾筋も頬にかかり、スッピンの肌は血色に乏しくやや土色。背を丸め、肩をすぼめて杯の酒をチビチビ飲む姿は病的で如何にもアル中然としていた。徳利二本を空けて長居するでなく直ぐに帰っていった。で、その日を皮切りにオバサンは再々やって来るようになった。

 アカンで、アカンで、オバサンが来てたらその内アイツも来るやんけと、怯えの片鱗がイヤーな気持ちを呼ぶ。怯えるオレにオバサンも怯える声で言うてきた。

「あのな、もし、ウチのオッサンが来たら、ウチは来てない事にしといてや」

 その科白は既にオレが彼らの存在を認知しているという前提でもあって、ってコトはあちらさんもこちらを意識しているちゅうとも解釈するのが自然やろう。

 もう、何てコトや絶対何かの風上にオレは立たされるのでは、イヤなイヤーな予感で本当のところは恐怖で震えそうになっていた。

 オレのそんな恐怖心がオバサンに伝わるべくもなく、オバサン曰く、自分はアル中でオッサンに酒を飲んでいるのが見つかるとエライ目に合うんやと怯えた眼差しを向けてきた。

 何や、オバサンもあのオドロオドロと凶々しいオッサンを怖がってるんや。しかも、自分の旦那やちゅうのに、そうか、この様子では旦那の女房への暴力が頻繁にあって、その上相当酷いんやろうと推測された。

 オバサンの話で半ばチョッとホッとはした。これであのオドロオドロした金髪オッサンの来る確率は低いと思ったものの、イヤーな予感は消えず燻ぶり続けていた。いや、むしろ、頻繁に来るようになったオバサンの絡みで、その内いつか何か険悪なトラブルに巻き込まれるかもとの新たな不安を感じてしまう。

 二日に一度の割合でオバサンは来て徳利二本を飲めば外を窺い、黙ってカネを置きスーッと消えるのを何度か繰り返していた。その度に落ち着けないオレであって。

 寒~い、寒~いある深夜。

 お客も退け店も終わり、いつものようにマンションのエレベータ裏にあるゴミ捨て場にゴミを捨てようとマンションの玄関に行った。ドアの手前で女が一人、壁を背にへたり込んでいる。見るとオバサンや。

 真冬の深夜。外は空気がキーンとして凍てつく寒気で沈み込んでいるというのに、オバサンはパジャマ姿のまま。ぐったり弱りきっていてこの寒気さえも感覚が失せて感じへんのか呆けて視線は焦点もなく宙に漂っていた。

 マンションの玄関の灯かりからは少し距離があったので、暗がりには淡い光しか届かず、彼女の顔半分は陰になっていて、一見しただけでは細部の様子が分かれへん。近寄ってよくよく見たら片方の頬は原型を崩して腫れ上がり、口からも鼻からも血が吹き出たのか既に乾いてドス黒く変色して顔の半分以上を塞いでいた。それだけとちゃう。引き裂かれた袖からはみ出した腕にも掌にも、パジャマのあちこちにも血痕がこびりついてるやん。

 瞬間、あぁイヤなもんに出くわしてもうたと、寒気の寒さよりもっと寒気を呼ぶ恐怖が背筋を走りゾクゾクしてきた。オレは身の不運を嘆く始末。

「奥さん、大丈夫か」

「ほっといて」

 どうにか聞こえる程度の擦れた小さい呻きのような応え。

「立てる」

「ほっといて」

「ほんなん見た以上はほっとかれへんやろ、救急車呼ぼか」

「そんなん、読んだらアカン」

 その声だけはキッパリはっきり暗がりに小さく響いた。

「旦那にやられたんやな。帰られへんねんやろ」

「お願いやからほっといて、殺されるかも知れへん」

「困ったなぁ。ほな、パトカー呼ぶで」

「アカン。絶対ポリはアカン。そんなんしたらウチはホンマに殺される」

 左腕を差し上げ掌を広げて、右手に余力の全てを預けながら壁沿いを僅かに後ずさり必死で逃げようとした。この世の全ての恐怖から遠ざかろうとするかのような極限の怯えを全身で表した。とは言え、オレにはどうしょうもでけへん。まさか店に入れるなんてもってのほかや。どう見てもヤバイ背景が見える目の前の状況。そんなとこへ足を突っ込むほどこのオバサンとは縁も義理もあれへんし、弱ったもんじゃと。

 と、そこへ背後から人の近づく靴音。振り向く。男の影が二人。暗がりと夜目では影しか見えへんし、じっと目を凝らす。男達が三メートルほど近づいたところで帽子の形から警官と認識。夜巡りのポリが二人たまたま通りかかって何事かと寄ってきたんや。

 星が見えるかどうか、大気は凍てつく闇に包まれ、街灯で幽かに浮かぶ街路樹さえ凍えそうな深々と冷え込む深夜に、家へ帰れそうもないパジャマ姿だけのオバサンは凍死もしかねない。それを見捨てていけるオレじゃなし、かと言うてどうしたらエエんか思案にあぐねていた折の警官の出現は格好の助け舟になったぞ。

「どうしました」との訪ねてくるお巡りに、理由の程は分からんが、どうも亭主の暴力にあったらしい。それも見ての通り半端とちゃうし、アンタらで保護しなはれと、アッサリとバトンタッチ。君子危うきに近寄らずとか、触らぬ神に祟りナシとその場を離れいそいそと帰ったのである。

 三日が過ぎた。あれほど相当なダメージを受けてたのにオバサンがそおっと入ってきた。

 まだ腫れている左の顔半分の青痣も痛々しく小さく一礼して席に座った。

「こないだはホンマにカンニンやで。迷惑かけてもうてなぁ、おおきにな、ウチな、酒飲んだらアカンやろ。そやけどオッサンに隠れてチョッとだけ飲んでるやん。あの日はオッサンの虫の居所も悪かってな、酒飲んだ言うてボコボコにされてんやん。そやから絶対ここへ来たって言わんといや」

それでも懲りずに熱燗徳利二本をチビチビ呑んだ。乱れた髪、顔の左半分腫れたままの青痣で背を丸めて密かに飲む姿は、霊界から降りてきた亡者の奇怪な妖気が靄っていた。

夫婦って、色んな夫婦があるんやけど、あのえげつない痕跡が残るような暴力の後もこの夫婦は夫婦として日常に戻ってんやと、並では理解でけへん奇異さを感じた。それだけに益々金髪の粗野で凶暴な正体がいつか波紋を投げかけてくると確信せざるを得ない。

迫り来るであろう狂気をはらんだ暗雲に気持ちが濃く曇りはしたが、その時はその時、潔く受けて立つ覚悟はせなアカンやろう。



夕方の早い時間、晩メシを食うのに店は妻に任せて二階の住居でしばしくつろぐのを普通の日常にしていた。メシを食ってテレビでニュースを見て階下の店に降りた。

階段を降りた処がカウンターの中になっている。カウンターの中で妻は掌を前に合わせ正面を向いたまま何故か固い顔つきをしていた。

「客、居るんか」

「うん」

 声を殺し顎を少し引いて目線を流しアッチを見ろという。目線の先を追った。

 ビル・エバンスのWaltz For Debbyのピアノ曲がやや低い音量で流れていた。この曲はオレ達夫婦が共に好きな曲であって毎日何度かは店に流す。オレの好みとしてジャズはやっぱりピアノトリオなんやな、中でもビル・エバンス、トミー・フラナガン、レッド・ガーランド、レイ・ブライアントなんかのしっとり聞かせるピアノ奏者を好む。どうかしたら同じ曲を飽きもせんと何度も聴き入っている場合なんかあったりして。

 中でもレイ・ブライアントの「Golden Earing」には深い思い入れがあった。

 信州木島平村でロッヂを経営していた頃、お客の居ない夜、妻子がそれぞれ部屋に籠もった後はログハウスの広いホール、薪ストーブの前のソファーでくつろぎ、独り酒を愉しむ。その時は必ずそれらのピアノトリオを聴きいっていたのが日常やった。山荘が全焼して大阪に舞戻り千日前でジャズバーを再開した。全焼でLP三〇〇〇枚以上、CD一〇〇〇枚以上も灰になり、この店を始めて俄かに買った僅かなCDをかけていた。

 その夜は客もなく妻と二人お客の来るのを待っていた。丸太を駆使したウッディーな店にしたかったが丸太の仕入先も知らず、妥協して角材と板だけでウッディーさを演出していた店やった。

妻が今日買ってきたと言うピアノトリオ集のCDをかけた。

ビル・エバンスから始まって、レイ・ブライアントの「GoldenEaring」がかかった。

ああぁ懐かしいと思わず聴き入っていると、突然、迫り上がってきた。熱い熱い、哀しい哀しい無念と悔恨が。泪が溢れ嗚咽が漏れ号泣してしもた。

山荘が全焼して負けるもんかとひたすら走り続けた三ヶ月程、哀しさも嘆きも封じ込んで悔しさだけを前面に出して次へ挑む自分を演出してきたのが、この曲一つで堤が崩れ、悔しさの裏づけ、失くしたモノへの哀しみが堰を切ってドッと溢れ出し理性を押しのけ初めて泣いた。もうあの素晴らしく輝いていた日々は戻ってけえへん。それだけが身をよじる哀しみとなってオレを包み込んできたのに抗う術もなく泣くだけ泣いた。



明るさを抑えた店の照明、一見してお客の居ない静かな中をジャズピアノの音色が心地好く流れる店内を妻の目線を辿って追う。

突如、視界に飛び込んできたのはケバケバしい艶のある朱色の真っ赤な皮のコート。視界の中心には短い頭髪にパンチパーマを当て更にケバケバしく金髪にしたあのオッサンがおぞましく邪気を揺らめかせ座ってるやん。小刻みに揺れる金髪の頭は、テーブルに肩膝ついて連れのオバサンに被いかぶせるようにして小声で何やら深刻な話をしているみたい。

クソッタレ、とうとう来やがったか、と、舌打ちの後、オレの目に留まったのはテーブルに置かれた二つのグラス。

「アイツ等、何飲んどんねん」

「女の人はビール。男の人は水」

妻は小さく吐き捨てるように言う。

凶々しい邪気を常に漂わせているこのオッサン。只者ではないと感じていたものの、実はコイツの正体は何も分かってへん。分かるのは、当然筋者のヤクザ、多分一家の組長は間違いないと踏んでいた。それもかなり戦闘的な単純でヤバイ集団のような。

で、あるとしても、オレの店で注文もなしで居座らすなんて許されへん。凶悪な暗雲が迫ってきたらいつでも潔く受けて立つと覚悟を決めた矢先の事、オレは躊躇わず即座にカウンターを出てヤツの席の前に立った。

「お客さん、何か注文してくれへんかな」

 全く無愛想で素っ気ない言い方。

 金髪が振り向きオレを見上げた。

 その目には怒気が宿り邪悪な炎を揺らめかせ、殺気が爆ぜるように飛び散ってきた。獰猛、狂気が渦巻きかなりヤバそう。オレの中にキリキリと恐怖が走った。

「何やとぉ」

 押さえつけたくぐもった低い声が威圧してきた。

「何かね、注文もらわんと商売として成り立たへんし、注文もらいましょか」

 やっぱり素っ気ない。と言うよりも慇懃で攻撃的な物言いになっている。

 ペコペコして愛想を振りまき取り入ろうなんて思考の片隅にもない。むしろ怒らせてこんな店に二度と来るかと思わせるのが目的やし。

「何かぁ、何かオンドリャ、ここは後で注文したらアカンのかいっ」

 今度はくぐもった低い声とちごうて威嚇を込めて怒鳴ってきよった。瞬間、オレの中で恐怖を越えて驚愕が産声をあげた。ホンマに怖~いと思うオレなんや。

「何言うてんのん、席に座ったら注文してもらうのが普通やがな」

「何やとう。それが客に言う言葉かボケッ」

「あそう、言い方が悪いんやったら、ほな、ご注文いただけますか」

「オンドリャーッ舐めた口利きさらすの。エッ態度がなっとらへんどドアホが」

「ボケとかドアホはないんちゃう」

「何ぬかしとんじゃい。ボケやからボケ言うとんじゃドアホ」

「あぁそうか、ほな出て行ってくれ。オレもな商売をやってるだけでボケとかドアホ言われてやってられへんわ。帰ってくれ、出て行ってくれ」

 もうオレの中では恐怖の塊を抱いたまま負けん気が暴走しだした。

「オラッ、ワレー。舐めた口利きさらしやがって、それが商売やってる態度かボケッ」

 確かにオレの出方は無礼で不愉快でしかない。あえてそれを仕掛けたのはケンカを売って何とか不愉快な思いをさせるのが目的で、こんなヤツが店に入ってくる自体許されへんのや。恐怖を重たく背負ったまま正面攻撃をしかけた。

「商売やってるから注文聞きにきてんねん。それをボケとかドアホ言われてハイそうですかなんてでけへんで。アンタはオレの店に向かへんから出て行ってもらおか」

「もう、そんなに二人でケンカすんのん止めて」

 ビックリ困惑しきった表情を露わにオバサンが間に入ってきた。

「何や、注文したらエエんかい。ほなビール持って来い。お前も一杯飲め」

 あれれ、れっ、何か風向きが変やど。全然予想外、思惑外れのシーンになってしもうてるやん。

「何や、注文しても未だ文句あんのかい。はよビール持ってこんかい。お前の分と二つやど。一杯一緒に飲もうや」

 アッチャー、そう来るか。怒って気分悪いと出て行くか、もっと切れてコップの一つも投げつけてくるか、最悪はテーブルをひっくり返す位は予想してたのに、そしたら警察に突き出したりも出来るものを、こんなヤツと一緒に飲みとうないし、困ったなぁ、これでは目論見が崩れてるやん。クッソー参ったな、しょうがない。

「あ、ハイ。どうも」

 としか言われへん。

「そらな、ボケやドアホ言うたのはワシも言い過ぎやったけどな、お前も注文せえだけやったらオカシイやんけ。商売してんねんやから他に言い方あるやろが」

「そうやな、そんだらそれはオレが悪かった。謝るわ」

「コイツはな、アル中で酒を飲んだらアカンねん。そやのにな、隠れて飲んでけつかるねん。聞いたら最近ここで飲んでるっちゅうやん。ほんで今日は一緒に来てやな、ビールだけにしとけと言うとってん。そやからワシは飲まんとコイツが一杯飲んだら連れて帰ろう思とってんやんけ」

 邪気を漂わしオドロオドロしたこんなヤツでも、見かけに相反して女房を心配したりもすんねんやと、ついオレの気持ちも緩和され戦闘性を挫かれてしもうてる。むしろ同情的な方へ転換させられてしもうた。

「そうなんや。そうか、そんな訳も知らんと悪かった。そう言うたら昼間二人で仲よう手をつないで歩いてんのん見ててエエ感じしとってん」

 しゃあない、調子を合わせて迎合までする始末。

「ま、二人でゆっくりしといてえな。ほなごゆっくり」

 と引き下がった。引き下がったが、人は見かけや憶測で判断したらアカンとは思えず、むしろオレの見る目には狂いがないはずや。これでこの先も穏やかに終わる訳はないやろうと警戒を解かずに気持ちの中では身構えていた。

 オレが引き下がるとオッサンはオバサンそっちのけにして直ぐに携帯で電話をしだした。

どうも何人にもしているみたい。そのままカウンターで妻と居て素知らぬ振りをしながら注意して見ていると結構執拗に何人にもに連絡をとっている。何を話しているのか、小声でボソボソ話している仕草からは胡散臭い企みのようなものが漂う。見えないモノを見ていながらも現時点でアイツを追い出す理由が消えて、思惑外れの否めない落胆が苦いものを噛んでいた。

 間もなくマンションの管理人が珍しく入ってきて金髪オッサンにペコペコ頭を下げて彼の前の席にすわった。

 歳の割には額が禿げ上がってしゃくれた顎、平べったい顔に細目が下卑た厭味を臭わせるこの管理人は、一年ほど前に管理人として入ってきて、当初から元ヤクザとの噂を耳にしていた。ある時、ゴミの処理で一度オレに、巻き舌のヤカラ口調で凄むように横柄なモノ言いで絡んできた。正に元その筋の物言いにカチンと切れたオレは、彼に劣らぬ口調で強く攻め立て反撃に出ると

「そんなヤカラ言わんといてぇや、ワシかて前はヤーコしてたけど今は堅気のこんな管理人になってんねんやさかい穏やかに物言うてぇな」

 自分からヤカラ口調で舐めた口の利き方をしておいて、チョッとオレが強く反撃に出ただけで急にへりくだり、自らの前職まで披露しよった。まるで犬のケンカの如く吠え立てたものの負かされてしまえばへつらう。以後、オレには一目置いて下手で接してくるようになったが、小心で消えない胡散臭さは彼の体質やろう。

 注文通り管理人にもビールを運んでいくと

「マスター、親分に何かしょうむない事を言うたんかいな」

 上目づかいで小心者特有の弱々しい声が漏れた。

「えっ、何の事」

「親分、えらい怒ってんねんや」

「怒ってる」

「そやねん、ほんでワシが呼びつけられてん。親分に何言いはったん」

「そうや、お前の態度がやっぱりどうしても気に入らんのじゃい」

「何っ、それってさっきのぶり返しかいな」

「当たり前じゃい。オンドリャー、舐めやがって商売やってる態度ちゃうやろ」

 そうか、管理人は前職の関係からか金髪親分に弱みがあって呼び出され、金髪親分はオレの態度がどうしても腹に据えかねるから管理人を呼びつけ二人でオレを懲らしめようとしてきてんねんや。

「何や、まだ起こってんのかいな。分かった分かった、さっきのはオレが悪かった」

 軽くあしらって引き下がった。と、直ぐに三人の若い男達が入って来て「オヤッサン大丈夫でっか」なんて声をかけた。

 とりあえずは注文されたビールを三つ運んでいった。

「マスター、オヤッサンの気に触る事を言いはったんですか」

 1人の若者が敬語で言葉をかけてきたが、語気は強くキッとして見据えてきた。

「エエッ、あ、そう。さっきチョッともめたけどもう済んだ事やし」

 これも軽くいなしてカウンターに戻って程なく、また四人の男達が入ってきた。

 先の三人の若者達とは違いどの顔も凄みを帯びた強面、一目で筋金入りの極道と分かる。それがどれも殺気立っている。全員が鋭い眼光で威圧するようにオレを睨みつけて通った。

 四人が金髪親分の前に立ちそれぞれが一礼すると、その場は数倍もの凶暴で邪悪な空気が一気に漲り、オレの獣的本能がとてつもなくヤバイ殺気を感じ取り背中をヒリつかせてきた。多分、経験しなかった残忍な修羅場が展開するような前触れを嗅ぎ取った。いよいよ来るものが来たと覚悟を肝に銘じた。

「お前は上に上がっとき。ほんでな、様子が変やと思ったら警察に電話するんやど」

 妻に耳打ちして彼女を二階に上がらせ店から遠ざけた。

 管理人とオバサンを含めた合計十人は店の奥の大テーブルに移動した。

 険悪で残忍な雰囲気を漂わせながも、それでも一応は来た人数分のビールの注文だけはしてきた。

 丸太で造った自作自慢の大テーブルは丁度十人座れる。それを占拠した。そこには凶暴な邪気が漲り、空気に熱を籠もらせ狂気が揺らめいていた。

 管理人が神妙にうな垂れている。オバサンの表情も隠せない狼狽がありありと窺える。つまり、これから起こるであろう惨劇に管理人としては耐え難いという心の表れと、オバサンの観念した無力感と困惑でもあるんやろう。



 河内長野森林組合から原木を数十本搬入し、皮を剥き、削り、刻んで加工した丸太を駆使して、都会では稀に見る趣を醸し出して造り上げたログ調の自慢の店が、全く相応しくない輩共、敵の拠点に意図もアッサリと構築されてしもうている。

どうやら、今動員できる組員を携帯で呼び寄せたのやろう。厳つい不適で凶悪な面構えの輩共。この集団の単純でヤバイ戦闘性が肌にヒリヒリと伝わってきた。

 一対一では手強い相手と読んだ金髪オッサンが数を頼んで親分の威信をかけて、オレを力でねじ伏せ残忍な暴力で嬲ろうとしている。

 階段の上では妻は恐怖を背負い固唾を飲んで神経を張り詰めさせているはずや。

 注文のビールを四つ運んでテーブルの上へそれぞれの前に置いた。

 オレは単身で敵陣の真っ只中へ丸腰で入って行き玉砕もありと悲壮な覚悟であった訳で、背中に凍りつくような驚愕を張り付かせ、緊迫度は最高値に上昇、恐怖にも勝る獣の感覚が甦り本能が闘争への気迫を五体に注ぎ込み、少しでも有利な態勢へ自分の位置を計った。

 壁を背に背後からの攻撃を受けない位置。

 何処から来るか分かれへん第一の攻撃を絶対にかわす。その刹那、直線的に最短で金髪の顔面、目と目の間、眉間にアルミのトレイを水平に確実に叩き込める位置。それが出来たとしても、この戦闘的なヤバイ集団の剛の者八人相手では勝利は絶望的にない。

 金髪を仕留めた瞬時には僅かな時間の空白が出来るはずや。更にテーブルと椅子が込み合っているから残り七人の瞬時の動きに支障をきたすやろう。その隙を突いて如何に跳躍できるか、タックルされ寄って集って押さえ込まれたら暴虐の限りを受け半殺しになるやろう。隠せない驚愕。困った気概。驚愕を覚えたその瞬間から無謀に前へ出ようとするオレの危ない性。闘気を全身に漲らせて、爆ぜる直前に冷静かつ鋭利な戦闘態勢を構築していた。



 若い頃からのケンカ人生で負けを知らないと言う自負が、勝負はやってみんと分かれへん。多勢が必ず勝利するとは限れへん。数々のケンカをしてきたが、オレはいつも1人やった。一対一の決闘のような闘いもあったが、殆んどが複数の相手とか群れであって、そこへ切り裂くように突っ込んで負けというのを味わった事がなかった。その時に思うのは今度こそ手痛い打撃を受けるかも知れへんとの諦念で挑んで行ったもんや。

 んで、この時も今度こそはこの戦闘的でヤバイ集団に致命的な暴行を受けるか、或いは命をも危険に晒し、逃れられない避けられない究極の窮地に追い込まれているんや。

 宮本武蔵は吉岡一門に単身で突っ込み切り抜けた。荒木又衛門や堀部安兵衛の仇討も単身で多勢に向かって勝利を得た。

 桶狭間の戦で信長は三〇〇〇人の部隊で数万の今川義元の大軍に突っ込み勝利を得た。

 義経の鵯越の戦や屋島の戦も小数で大軍を打ち破った。

 それらは皆、敵の虚を突く計算された捨て身の作戦やった。

 けど、今のオレは周りを戦闘態勢充分な凶暴な集団に包囲されていて、正に玉砕あるのみの絶望的な状況であって、そこで勝利するには僅かに残された要素、即ち、敵の大将である金髪への痛撃の一打。それすら後の展開で袋叩きにさて瀕死の打撃を受けるか、死も想定した殺戮さえ充分ありえる。

 キューバを革命に導いた敬愛して止まないチェ・ゲバラの数々の戦闘。また、大阪夏の陣で真田幸村(本名・信繁)は慶長二〇年(一六一五年)の大阪夏の陣で茶臼山に本陣を置く敵の総大将徳川家康軍、数万の圧倒的多数の大軍に三〇〇〇とも五〇〇〇とも言われる小部隊で一直線に突っ込み、屈強で鳴らす家康旗本勢をも蹴散らして家康を二度も死地に追い込んだ(歴史を冷静に見ていると、この時、家康は幸村に殺されたか、深手を負って直ぐに死んだと自分は思う。この約一年後に家康の死が発表されるまでは影武者が表に出ていたと思う)。

 真田信繁の魂。目的を完遂させる為、不退転の闘争心が唯一の光明かもと思考の端に幽かに思いつつ、瞬時にそれら先人の勇猛な戦いを脳裏に巡らし闘気へ注ぎ込んだ。

 自分の闘気の源は、この店を絶対に護り貫くという気概。九年の歳月を費やして造り続けて全焼させてしまった信州木島平村の日本一巨大なログハウス・ロッヂ街山荘。その再建に挑む為の牙城であるこの店。牙城は何が何でも、誰であっても増してやこんなヤクザ共に牛耳られてなるものか。好きな言葉が頭の中で木魂した。



 連帯を求めて孤立を恐れず

 力及ばずして倒れる事は辞さないが

 力尽くさず挫ける事を拒否する



 四つのビールグラスを新たに加わった四人の前にゆっくりと置いた。八人の眼がオレを刺している。残忍で冷酷な十六の眼。猛る闘気を悟られないようオレは僅かに笑みをたたえていた。それは多分、彼らには不適な面構えに見えていたかも知れない。

「オンドリャーッ、ウチのオヤッサンに何ぬかしたんじゃい」

 四つのビールグラスを置いて屈めていた体を立て直した時、恫喝の大声が爆ぜた。その叫びが張り詰めた空気を一瞬に切り裂き、ダイガシと呼ばれていた中年のオッサンの地を割るような大声が空気を震撼させた。

 その瞬間、俺の中で時間が停止し視界の映像も凝固した。

 そう、過去に似たような場面が、懐かしいってのはそぐわへんけど、ふと甦った。

 あれは高二の初夏。ミナミの路地裏でチンピラヤクザ三人に囲まれ恫喝を受けた。上級生や多数の高校生相手のケンカには場数を踏んではいたが、本物のヤクザの凄みのある恫喝の前にはさすがに怯えきったまま無言で俯くしかなかった。その頃からもやっぱり、如何に怯えても取り入ったり侘びを入れるなんてするはずもなく、震えが出る恐怖を耐えて不貞腐れて俯いていた。

 グワーンという衝撃が走った。一撃の蹴りがオレの鼻っ面に炸裂した。

 目から星が飛び出るってホンマにあるんや。チカチカっと光を放った小さな星が飛び散って視界が一瞬闇と化し、体がグラッと傾いて倒れそうなのを何とか耐えて鼻に掌を当てた。鼻から大量の血が噴出し指の間を抜けて滴り落ちた。瞬時の見事な先制攻撃やった。

 掌におびただしい自分の真っ赤な血。サラサラしているようでありぬめりがあり、そうかオレの体の中にこんな血が流れているんや。

 しばらく、とは言え二、三秒の事やろう、ボーッと見ていた。そして、動いた。

 オレはオレでなくなり別人に豹変していた。恐怖が弾き飛び猛る狂気が爆ぜた。

 三人相手に体が勝手に機動的な動きで跳躍し、掴む、倒す、蹴る、殴る。気がついたらオレに先制攻撃の蹴りを入れたヤツの髪の毛を掴み、ソイツの顔はおびただしい血糊でグシャグシャに歪み、体は両手をダラリと下ろし膝をついて脱力していた。頭髪を掴んだオレの掌が硬直して離れず相手をぶら下げていた。

 その時ですら最初の痛撃の蹴りを受けたに止まって負けへんかった。

 他でも様々な格闘をしてきた。相手が多勢の場合は不思議と闘わず気迫で勝ってきた。そやから幼少時以外を除いて闘争の割には自分の体を痛めつけられた経験がない。

 デモ隊が先頭で機動隊とぶつかった。オレはかなり後方に居た。それがいつの間にか先頭で角材を振り回し暴れていた。更に気がつくと、オレ一人を遠巻きにした機動隊に三方を囲まれ味方のデモ隊は散って後方に下がっていて誰一人も居れへんかった。

「危ないから帰って来い」とか「下がれ」の叫びが背後からいっぱい飛んできた。

 孤立。

 ジュラルミンの楯が至近の三方から不気味にジワッと迫ってくる。初めて恐怖が。

 逃げたい。逃げたいと思った瞬間、オレは前に突っ込んで行った。次の瞬間、数人に両腕を抱え込まれ後ろへ引きずられていた。味方が数人、決死の覚悟でオレを救いにきた。その光景を見ていた機動隊の中から「何や、逃げるんか、根性ナシ」の罵声に闘気がまたもや炸裂。掴まれた複数の腕を振り払いのけ、角材を両腕でシッカリ握り締め、斜に構えて再度突進した。突進したはずが前にドッと倒れた。今度は二人に後ろからタックルされた。そのまま数人に後方へ引きずられて行った。嘲けて高笑いする機動隊達の声を無念に聞いたもんや。その時も、敵機動隊からは体の一部も触れさせへんかった。

 そやけど、今度はそうは行かんやろ。

半殺し、いや、殺されるかもと諦念の覚悟を強いられていた。

袋叩き、半殺し、殺される。それってどんなんやろう。

痛いんやろなぁ。

苦しいんやろなぁ。

その余り激しい悲鳴を上げのたうち回るんやろなぁ。エエねん、捨て身で砕けて散る。カッコエエやん。やられてもオレは負けへん。

凍りきった空気をダイガシの震撼さす大声が切り裂いた。次の瞬間、白黒ハッキリした影絵のような停止画像。固唾を呑み誰もが凝固して動きが止まった。戦慄の場面が視野いっぱいに入ってきた。

オレは右手には少しズッシリとした重量感のあるトレイを軽く握られ、右手横のダイガシの向こう隣に座る金髪の眉間を狙える位置で体勢を取っていた。

ダイガシは勝ち誇ったように腕組みをして、鬼の形相でオレを睨みつけていた。栗を巨大にしたような輪郭の顔。真ん中にズングリ居座った団子鼻。細い目。分厚く大きい口はムッと結ばれている。薄い頭髪。それらが全て凶暴で邪悪な威圧を放っている。

金髪はその影で何故か小さく見えた。他の組員はオレの出方、いや、金髪組長の一声で即座に行動に移せる態勢であった。

オレはそれらをゆっくり一瞥した。怖気る気配を全て殺し、意識してカッと見開いた眼でふてぶてしくも一人一人の顔を丹念に睨めつけながら、ゆっくり噛んで含むように抑えた語気で、

「そうか、又ぶり返しかい。何べん謝らしたら気が済むねん。お前ら八人で取り囲んでオレを嬲ろうちゅう訳かい。よおし分かった。もう一回だけ謝ったるわい。エエか、お前ら一人一人がその証人やど。ちゃんとよお見とくんやど」

 一呼吸置いて再度全員に闘魂むき出しの目線を鋭く送る。全員が固唾を呑んでいた。

「さっきはオレの態度が客扱いしてへんかった。その事はあらためて謝る」

 十六の眼がギラギラと釘付けになってオレを刺している。

 管理人とオバサンは終始うつむいたまま。

 金髪組長とオレの視線が絡んだ。オレは全霊の鬼気を浴びるようにカーッと睨みながら

「確かに謝ったな。で、それ以上どないさらすんじゃい」

 自分でもビックリする程の粗い大声がオレの口から飛び出した。

 トレイは前に両手の中にある。まさかそれが凶器になろうとは誰も気がついてへんやろ。やや反り返っていた体勢を少し前屈みにさせて瞬時に行動できる態勢に入った。

 彼等にはダイガシの地割れのような大声の恫喝の後は、頭を下げて許しを乞うオレの姿しか想像でけへんかったやろう。脅しを常習にしてきた彼らには当たり前の光景やろう。

 窮鼠猫を噛む。そんなもんとちゃう。追い込まれた野獣が猛る本性をむき出し逆襲に転じた。当って砕けて散れば良い。一点を突破する不退転のオレになっていた。

 無抵抗で哀願する者を容赦もなく袋叩きにして嬲った事は当たり前のように数々あったやろう。好きなだけ吠え立ててあらん限りの罵声も浴びせてきたやろう。

 しかし、いざ、同等の力をぶつけ合う本当の闘争には、虚勢では通用せえへん苛烈な現実に向き合った時、萎縮したり退いたりもしてその場を何とか取り繕う駆け引きもしてきたやろう。

 ところが、たった一人、六〇歳の堅気の男がヤクザ集団に正面切って挑んでくるなんて経験のないあり得ない光景であるはずや。

 意表を突かれた一同が不思議なものを見ているように構えを崩していた。

 一人で立ちはだかった男。この男の中に何が潜められているのか、一人一人に芽生えたのは得体の知れない不気味な恐怖であったかも。

 若い頃からの闘争の場では、吉川英治の小説『宮本武蔵』に出てくる兵法を実践して、一人が多数に打ち勝つ、つまり、敵の大将を抑えるか討ち取るかと一直線に挑んで身を持って体験してきた。とは言うものの、その場その場の現実に必ずしもそれが適用されるとは限れへん。相手のある事やし、敵にも同様の戦術を心得た者が居たり、それを凌ぐ剛の者が居れば、忽ち実力闘争の火蓋が切っておとされる。その場合、一人での勝利は限りなく不可能に近い絶望的な結果が待っているやろう。幸いしたのはかつて敵の中でそんな者に巡りあった経験がなかった。

 オレの目線は金髪親分を捉えたまま。

 またまたその瞬間、景色が停止し冷ややかに乾燥した空気に包まれた。陰惨な暴力の攻撃を受けると認識してまでも、敢えてヤバイ渦中に身を晒して見えてきたのは、この中でこの状況を冷静に捉えているのはオレだけやと確信した。

 暴力集団は圧倒的な数に物を言わせ威嚇し勝ち誇っていたのが、たった一人の逆襲で彼らの群れとしての連帯は崩れそれぞれが個に戻って、その個が意外な展開の中で驚きと恐れのようなものを味わった瞬間かも知れへん。

 僅かな時間が長く長く感じたのは、意表を突かれた敵が意識を不意に後退させられ、次のステップへの対処が空白になった。それが時間を停止させたような。

 ダイガシの表情が動いて、憎々しい眼差しを向けてきた。そやけど言葉はなく動く気配すらない。

 サイを投げたオレ。次の展開がどうなるか誰も測れない膠着状態。オレは捨て身で闘気の塊になっている。

捨て身になったその時点で何故か目の前の全状況が細部に渡って掌握できていた。左側の中央に座っていた若者が、中腰のまま右手を腰の後ろに回し金属製の凶器のような物を握り締めて微動だにせず固まっている。その位置から凶器を持って襲い来るには間合いが開き過ぎて即戦力にはならんやろう。おまけに表情からは闘気が後退していた。

意外な視線が一つあった。見開かれた目には敵意が感じられず瞬き一つせず見つめている若者。何故かその目はこの場に不釣合いな清涼な光を宿していた。俯いたままのオバサンと管理人以外の全ての目はオレに釘付けになってはいても殺気は消えて僅かな困惑が浮上していた。 

 そして、オレの眼光はハシッと金髪を捉え猛る鬼気が揺らめいていたはずや。

 真田幸村は圧倒的な大群の中へ槍のように突っ込み徳川家康を死地へ追い立てた。玉砕し殲滅されたとしても家康の首を取れば、それが本当の勝利と苛烈な激闘を繰り広げた。

 オレは、この金髪を一撃で叩きのめすのが勝利。後はどうなるか、寄って集って半殺しにされる前に金髪を仕留めた返す手で襲い来る次の誰かにも一撃ぐらいは浴びせて力のある限り闘うやろう。残虐な修羅場の中でもその時点では恐怖も驚愕も姿を消して、オレの鬼気が最後まで抵抗を繰り広げ荒れ狂うはずや。

この平凡な世に何故と言われながらも若い頃から闘いを想定した鍛錬を続けてきた。今、それが現実のものになろうとしていて、オレは阿修羅となって跳躍するやろう。その結果、1人か二人かを巻き込んで痛打を浴びせる自信はなくもない。

 そうなると、あるいはこの群れが、総崩れになる可能性だってなきにしもあらず。万に一つの勝利を勝ち取れるかも、燃え猛る気迫を自ら感じ取り、前へ、ただ前へと五体の筋肉が躍動のその時を見据えていた。

 金髪の視線が揺らいだ。そして大儀そうに右手をゆっくり上げた。

「よし、わかった」

「分かったってどう言うこっちゃ」

 間髪を入れずたたみ返すオレ。

「分かったから二人で話ししよう。その前にコイツ等にビールのお変わりしたってえや」

 はあぁ、えぇえっ、何っそれってどう言うコト。

 悲壮な覚悟を決めて阿修羅になろうとしていたのに、まるで腰砕けの肩透かし、挙げた手の下ろし場所がどっかにいってしもうた。この予想外の展開。

 袋叩き、半殺し、最悪は殺されるかもと、いや、間違いなくそうなると思っていたのに、何?これ、この展開。罠にしてはどうにもお粗末やんけ。

捨て身で挑む。個の威力が脅威になって群れの個々に迫る。個々は想定外の反撃に狼狽を隠せず群れの連帯は崩れ個としての怯えのようなものまで生まれている。

勝った。

真実そう思った。

暴力団相手のケンカだけじゃなく、生きている中で、日常の生活中でも追い詰められたり、突然降って沸いてくる過酷で最悪な状態となり窮地に立つ。とことん追い詰められた時、いつもそうやった。当って砕けて散れば良い。背を向けて無様に逃げるのだけは由とせえへん気概だけで闘ってきた。

捨て身のオレの気迫が八人のヤクザを制したのか。



小学校三年生までイジメられっ子やった。学校では常に苛められて殴られ直ぐにビービー泣いていた。家に帰ると三つ年上の兄の鉄拳制裁に晒され、怯えと悔しさで辛い辛い哀しさを子供心にも胸に宿していた。

ある日、イジメに来たガキ大将へ必死の思いで怒りを炸裂させた。小さな拳が相手の顔面を捉えていた。子供のケンカなんかは先に殴った方が勝ちやと一〇歳年上の従兄に教えられ、必死に勇気を振り絞って実践した。

ホンマにその通りになった。ガキ大将やった相手は突然大声で泣き出し、意図も簡単にアッサリと勝てた。勝利は大いなる自信をもたらした。

その日を契機に逃げる事から縁を切った。逃げてもやられるなら逃げずに当って砕けよとの信念で生き続けてきた。以来、イジメられる側に、差別される側に、少数の側に自分を置いてきた。そやから理不尽は許されへん。身にかかる理不尽な力には一歩も退かず、時には拭いきれない恐怖を抱えたまま必死で闘ってきた。



ヤクザは存在そのものが理不尽なんや。その理不尽の親玉がこの時、引き下がったのには正直、ホッとした。そやけど戦闘態勢を解いた訳とちゃう。二度も三度もぶり返してきた金髪の陰険な攻撃がこれで終わったと楽観できる訳がない。とりあえずグラスが空いていた者達へ新たにビールを運んだ。

「チョッと二人だけで話ししようや」

 声をかけてきた金髪親分は席を立ち、オレを離れた別の小さなテーブルに誘った。

 組員達は解放されたとばかり雑談をはじめている。何人かはチラチラこちらを窺う。その眼差しには既に敵意は消えて、ただ事の成り行きを見守る感じ。つい先ほどまでの緊迫した空気が嘘のように霧散していた。

「なかなかやるやんけ」

「オレは何もしてへんし」

「ただな、これだけは言うとくで。俺を舐めたらアカンど」

「それはお互いさんやな」

「ウハハハ、エエ根性してるな。ほな乾杯しようや」

 瞬間、コイツの虚勢がアホらしいなった。一人ではよう対処でけへんから手下の組員を呼び集めた。それだけでオレが土下座でもすると思とったんやろ。一歩も退かへんオレの姿勢と形相をコイツはどう受け止めたのか。事態の不利だけは悟ったに違いない。

 ここで事を荒立てて警察沙汰にでもなったら、飲み屋の親父一人を嬲るのに手こずって、いやそれ以上に自分や手下が大きな傷を負いでもしたら組としての面目が潰れるやろうし、堅気のオッサン一人に組員を動員して脅そうとしたのに、終始がつかへんようになったら親分の威厳が形無しになると思ったか。あるいは、内心密かに本気で恐れたか、それともオレを認め勧誘の企みを巡らせたか、それは過去にも何度も経験しただけに否めないやろう。いずれにしても、この金髪親分にとってここは鷹揚に構えて懐の深いとこを見せようとの魂胆が見え透いていた。

 こちらは必死の覚悟で臨んでいたのに突然ポカッと穴が開いてしもうた。

「な、今度一緒にゆっくり飲もうや」

「イヤやな。オレはな、ヤクザとは飲めへんねん」

「エエ根性しててそんな固い事言うなや。その内な」

 金髪親分はそう言い残して、席を立ち背を向けて配下の居る大テーブルに戻っていった。

 その背を見送りながら、確かに難は切り抜けてドッと安堵感が降りてきたが、これからの展開を思うと、チョッとちゃうやん、また嫌な方向へ流れ出したと悟らざるを得ない。

 闘魂を最大限に奮い立たせた後のこのフェイントで疲れが一挙に噴出してきた。同時にまた、ヤクザに気に入られてもうた。最大の疲れはそれなんや。

 程なく、どこから見ても更に堂の入った貫禄を備えた三人の男達が新たに入ってきた。

「オジキ、ご苦労さんです」

 何人かの若い組員がサッと立ち上がり直立して頭を下げた。その中の一番面構えの濃い男が別の組の組長で、金髪親分の舎弟と分かるのに時間はかかれへんかった。

 舎弟は金髪親分に頭を深く下げて一礼した後は側に居た組員達に肩をポンポン叩いて、元気にやってるかと鈍い笑顔を送り、金髪親分の前に行き更に一礼して腰を下ろした。

「姐さん、ご無沙汰してます。最近はお体の調子はどうでっか」

 オバサンにも声をかけた。オバサンは無言でうんうんと力なく頷いて返した。それから舎弟は金髪親分の話を神妙に聞き入ってから後ろを振り向いてオレに声をかけてきた。

「マスター、オヤッサンがお世話かけたそうで、すんまへんでした」

 慇懃に頭を下げる。この展開、やっぱりオカシイ。何か罠を仕掛けてくるのか、はたまたやっぱり勧誘の前触れかと穿ってしまい素直な気持ちになれへん。それでも「いやー、あー」と曖昧模糊な返事だけは返した。

 短時間で組織のほとんどにネットワークで急報されたのやろう。何とまぁ大袈裟なんやと呆れてしまう。結果として、そんな価値がどこにあると言うんやろ。金髪の根性が並に座っていたら一人だけでもオレと話は充分つけられたはずや。ひょっとして今後に備えてのデモンストレーションをかけてきたのかもね。

 それから十分も経てへん内に全員が腰を上げた。金髪がオレの前に来る。

「また寄せてもらうわ。これからもあんじょう迎えてや」

 無気力な表情のアル中オバサンの手を取り親愛な笑顔を満面に浮かべて出て行った。

「マスター、すんまへんでした」

「オヤッサン、酒が入るとチョッと質が悪うて、ご迷惑かけました」

 続いて出て行く組員の誰しもが異口同音、深々と頭を下げて出て行った。

 余りにも予想外の結末にどう対処して良いのか明確に思考を整えられないまま「あ、あぁおおきに」と腑抜けた感じで唖然と見送るだけ。普通ならここで、してやったりと痛快に思えるはずが、釈然とせえへん後味の悪さで苦い胃液が体内にジワーッと広がる。

 撃退でけへんかった。むしろ近寄らせてしもうた。勝ったと瞬間は思えた。そやけど負けたも同然の結果や。これでアイツ等は親しみを込めて平気で来るやろう。アイツ等が店に出入りせんようになってこそオレの真の勝利なんや。さて、それにはどうするか。

 翌日の昼過ぎ、オレは未だ寝ていた。そこを妻に起こされた。オレが夕方から深夜まで営業して、昼のランチ時は主に妻の担当と大まかに分担していた。

「昨夜のあのヤクザがきてんねん。ほんで呼んで欲しいって」

 う~ん、懲りんヤッチャなぁ。一晩明けて執念深くも更に難癖をつけに来やがったか。しゃぁない。ほな、受けて立つしかないやろうと店に降りていった。

 金髪親分はダイガシを従えていた。オレの顔を見ると元来のオドロオドロした邪悪な厳つい面構えがどっかに消えてしもうて、表情を崩してニッコニコしている。何か意表を突かれた感じで金髪の意図が掴み切れないまま二人の前に立った。

「まぁ、マスターも座ってや」

 しゃぁない、座る。

「昨夜はな、ホンマに済まんかった。堪忍してや。これから仲良う頼むわ、兄弟」

 キョ、キョ、キョーダイ!あああ、やっぱりこうなるかぁ。

 それこそオレにとって最大の嫌がらせや。何でオレが極道の兄弟にならなアカンねん。しかも一人で向かって来れんような見掛け倒しの根性ナシと。

 オレは文学を志し、芸術を愛し音楽をこよなく愛し、自然を尊び、人々の幸せと平和を願い、差別される側に立ち、権力を憎み抗う、愛と知性と教養に満ち溢れた生涯平和と反権力の戦士であろうと心かせけているっちゅうに、エッ、不条理そのものの極道とキョウダイ、んなアホな、笑い話もなれへん極めつけの嫌がらせや。

「へぇ、キョウダイか。ふ~ん。ほんだらどっちが兄貴分になんねん」

「まぁまぁ、そんなんどっちでもエエがな」

 アホかボケッ。どっちでもエエ事あるかい。

 一人のオレに一人でよう対処でけんと、組を挙げて取り囲んでも何もでけへんかったようなヤツとキョウダイ言われる事すらアホらしいやら不愉快やつうに、何でオレが弟分いわゆる舎弟になれるねんボケッ。第一、お前はオレより年下なんやど、とは口に出さず、二人の人懐っこい笑顔を見ていたら面倒臭そうなって、どうでもエエわと適当にあしらっていたら、まるで旧知の仲のような素振りを見せてくるやん。もうホンマにうんざりや。

 かつて若い頃にあったように、いつかコイツ等はオレを勧誘してくるに違いない。そうはイカンぞ、そんな隙は絶対に見せへんぞ。

それからも金髪は夫婦でとかダイガシを伴い顔を出す回数が増えてきた。ほんで、あの夜の様子とは嘘のように打って変わって、店に来れば先ず周りの様子を窺い空気を読むようにしながら出来るだけ目立たんように気配りをしていたが、何せ金髪はじっと居るだけでも邪気を滲ませ凶々しく目立つんや。



 それからかなり過ぎたある日。

 夕方の早い時間から店の奥の多目的ホール『森の部屋』で三〇人以上の貸切飲み会があった。その時もヒョッコリ現れた金髪親分とダイガシ君。

「何や、今日は忙しそうやなぁ」

 と遠慮勝ちに片隅で小さく座ってお客の出入りを珍しそうにしげしげ眺めていた。

 オレは料理と飲み物作りに追われていたから二人を構もうてる場合とちゃう。テキパキと仕事に勤しんでいた。

 貸切は建築士達の集まりで、若いのんから年配まで年齢層は多様で、サラリーマン風でもなく、かと言って芸術家風でもないフリーな服装に軽快な雰囲気を見せて出たり入ったりと賑やかしかった。彼らがカウンターのオレの前を通る度にオレと気さくな言葉を交わしていた。カウンターの中が厨房で、調理台とコンロを忙しく行き来するオレの居るカウンターの前方、端っこのテーブルに座っている金髪親分とダイガシ君はボソボソ話をしていた。その内容なんか気にずる訳もなく、関心もなく無視していたが、それでも時折会話の端くれが耳に入ってくる。

「オヤッサン、ここはワシらが来るような店とちゃいまんな」

「ホンマやな。何か居辛い感じやで。帰ろう」

 エッ、耳を疑うような会話。詰まりや、彼等が自分達とこの店の客層との違いをハッキリ認識して、その上に理解したちゅう事や。そういう認識と理解をさせるのが、オレが強く望んでいた訳なんや。二人の会話でその望みが叶った瞬間でもある。

 ヤッターッ。心の中でオレは叫んだ。これで、これでオレの完勝間違いなしや。

「キョウダイ、帰るわ」

 金髪の声が伏せた遠慮勝ちに聞こえたのは気のせいか、カネを払って二人はそうっと消えるように出て行った。



 しばらくしたある日の昼下がり、妻は出かけていてオレは独り店番をしていた。客は誰も居ない。毎度のごとく本に噛りついていた。やや低めの音でバッハの管弦楽を流していた。店は物憂い憂愁な色を滲ませ遥か夢心地で幻想的な異空間を見せていた。言うたらオレの落ち着く大好きな怠惰なひと時なんやな。そこへガラッとドアを開ける小さな音がした。物憂く振り向く。一人の巨漢がそおっと入ってきた。

「すみません。トイレを貸していただけないでしょうか」

 見るからに極道者の男。言葉の後に両手を真っ直ぐ下ろしお辞儀をした。はて、見た事のあるヤツ。

「ああ、エエで」

「ありがとうございます」

 男は先刻承知と真っ直ぐ奥にあるトイレへ行った。直ぐに出てきた。

「ありがとうございました。ご迷惑をかけました」

「アンタなぁ、前にもトイレ借りにきたやろう」

「ハイッ、いっぺんだけあります」

「そやったな。あのな、今日みたいにチャンと挨拶してもろたら気いよう貸せるねん」

「すんまへん。こないだはお礼も言わずに出て行きまして」

 以前、「表の車の持ち主は居るんか」と無礼にも吼えるように怒鳴って、横柄にトイレを使って出て行ったヤツとは思えない低姿勢で、取ってつけたように礼儀正しい。

外を見た。またまた極道の集団が歩道を占拠して屯していた。クソッタレ、その日も昼の営業はそれまでと諦めて店を閉めた。

 それからというもの、かなりの日々が過ぎた後、ふと気づいたら、金髪親分はじめ、極道達がほとんど店に姿を見せんようになっていた。

「ワシらが来る店と違いまんな」

ダイガシ君の言葉が甦った。金髪親分と近在の極道達や神戸からのあの集団が関連しているはず。その関係の作用で彼等の出入りが途絶えたと自然に考えられた。





刺青の男達

 例外はあった。メダカ君だけが何事もなく、それ以後も変わる事なく一人で時折ビールを飲みに来ていて、店にスッカリ馴染み他の常連とも顔見知りが多くなり、誰彼なくと会話を楽しんだりしていた。見かけに寄らず読書好きで、オレが手製の本を出版する度に待ってましたとばかり買ってくれていた。

 このメダカ君。

 夏のある夜。お客はメダカ君ただ一人残っていて、そろそろ閉めようとメインの灯りを落とし二人で飲んでいた。杉の一枚板で造った自慢のカウンター。その上のランタンだけが淡い灯りを残していた。二人はカウンターに頬杖をついてボソボソ話しこんでいた。

「マスターだけやで。マスターやから見せるわ」

と、いきなり立ち上がり、長袖のシャツを脱ぎ、上半身裸になって諸肌を見せた。

 灯りを落とした店内は大部分が暗く、カウンターの灯りだけが淡く宙に浮いて影の部分はほとんど見えない。諸肌を露にした彼はくるりと回り、背中をカウンターに向けた。

 カウンターの淡い灯りに浮かび上がったのは、何と、手首から肩へ、そして背中一面に彫り込まれた大掛かりで精巧な刺青。隙間もなく彫られている中心には全体に赤銅色が目立つ不動明王。

 メダカ君は見やすいようにと腕を軽く組み、やや背を丸めた。オレは惜しげもなく眺めまわす。今まで一切気がつかなかった。そりゃぁそうよ、それを隠す為に暑い夏の日も長袖に襟の詰まったシャツをいつも着ていたんや。

「ひぇーっ、見事なものやな。そやけど痛かったやろう」

「んなん、痛いちゅうもんちゃうで。まるで拷問や、苦行やったわ、ワハハハ」

「何でそんな思いまでして刺青入れるかな」

「つまり、アホやねん。ヤーコのしょうむない見栄や」

 アホや、と言う自覚があるからこそ普段は人目に晒さないように隠していた。これ見よがしに晒すものではないし、ましてや堅気さんには絶対見せてはアカンもんやねんと。

 彼の体つきはポッチャリしているように見えたが筋肉は硬く盛り上がり、背筋の窪みはスッキリ深く背中を立てに割っていた。まだまだ張のある肌に不動明王のカッと見開いた眼が鋭く射すような光を放って迫力を見せていた。

 激痛を耐えて彫り込ませた背中全面の刺青は、その世界では自慢にもなる。そやけど、世間様には簡単に公にでけへんと言う、彼に残る人としての正常な軌道が、他人には気づかせてはアカンと常に隠し通していた。それは彼流の全うな思考性なのかも知れない。

 彼の人生がどうであったのか、痛々しさが免れない背景を垣間見てしまう。

 この店に通い続け、時には今夜のように二人切りで一緒に飲む機会も何度かあって、その時々の会話に、彼の生い立ちや生きてきた道程の片鱗をポツリポツリと語られてきた。

 生野区で生まれ、高校時代からグレだして、暴走族に走り、一時はリーダーを務めたとか、暴走族を卒業した頃、仕事もなく、ある祭りで今の組のダイガシ、つまり竜童はんと出会いテキヤの手伝いから組の構成員になっていった。

 高校時代や暴走族時代のダチ公には、生野区と言う土地柄、在日韓国人が多い所。あらゆるところで差別を受ける彼等との心情が通えたのは、メダカ君自身も貧しい母子家庭の中で這いずるように生きた過程の中から、彼らと徒党を組んで暴走の限りを尽くしたり、他集団との抗争事件も多々経験したり、男の底辺を痛々しいまでに生きてきたと言う。痛々しさは、彫られた刺青そのものからも強く感じられた。

 映画や物語の中では刺青は時にはカッコのエエもんと描かれているが、現実に目の当たりにすると、鮮明でない濁りが混じった色彩は何処か怪奇で陰惨であり、哀れなまでに痛々しく映り、見事とは思うが、まさか美しいなんて思いようがない。

銭湯なんかでよく見かけるので、中年や初老の痩せて腹だけ出たオッサンヤクザの刺青は体格の貧相さが、むしろ全てを滑稽に見せていますがな。

 映画で高倉健が見せる夜叉のようなカッコ良さにはお目にかかった事はない。ボクシングのチャンプやったタイソンが二の腕に毛沢東の顔を彫り込んでいたのは、おおっオモロイやんそれもアリィぜよ、なんて思ってみたかな。

 TATTOOと刺青は別もんと思う。

 タットウはどこかコミカルで陽気なものを感じるが、刺青には妖気を含み怪奇で陰惨に見えるのは、相手に威圧をかけようとする陰険で凄惨な構えを宿しているからか。

 そやから勢いを見せるタメの龍であり鯉であり、威嚇する虎や般若とか不動明王などと、それはヤクザの虚栄そのものなんやろうな。



 刺青といえば、もう一人若いヤクザもんがいた。

 年の頃、二〇代後半やろう、二人の若者がいつの頃から時折顔を出すようになっていた。二人ともそろってイケメンで目がパッチリと生きの良い輝きを放ち、気持ちの勢いというようなものを感じさせられた。

 実際の兄弟ではなさそうやけど、年下と見られる若者が年上と見られる若者に「兄さん」と呼び、年上の方は年下に名前を呼び捨てにするか「お前」やった。

 二人はいつもカウンターの端で静かに話しこんで適当にグラスを重ねていたが、何度目かの来店で珍しく少し酔って来て、オレの常位置に当るカウンターの中央に座り、親しみを込めてにこやかに話しかけてきた。

「今日はマスターと話がしたいんですわ、イイですか」

 年下の方が嬉しそうにそう切り出してきたのがきっかけで、オレも快く受けて三人で初めて飲み、かつ和んで話を交えた。話すのはほとんど年下の若者で、少し茶目っ気があって、愛嬌よく可愛い感じやったが、どんな会話の時も常にキラキラした眼差しを直線的に見据えて話をする。ランタンの薄明かりの下で眼力が揺らいで、尋常じゃない胆の据わり方の奴なんやと窺えた。ふ~ん、この二人はそんじょそこらの普通の若者とはちゃう。注意深く潜ませて簡単には正体を見せようとはせえへんが、若いけどその筋の者と判断した。

 年上の方は笑顔が少ない。穏やかな表情でキラキラした瞳の中には何か憂いを感じさせる深遠なものを宿していた。時々、年下の若者が勢い余って羽目を外しそうになると必ず諌める。性格の相反する二人の間の連携には厭味も無駄も見えず清々しく映り、筋者とは見立てていても心地好く好感が持てた。

 その夜を皮切りに二人は店に来ると必ずオレの前に陣取り「マスターも一緒に飲んで下さい」気前良く酒を勧めてくれていた。

年下のイケメンの目には光が隠せようもなく煌めく。その煌めきの中に抑え込んだ狂気も見え隠れしていた。それを見ている内に何故か悪戯心が湧いてきてチョッと正体を突いて彼等自身から本音を引き出そうと試みた。

「どうでもエエねんけどな、オレには分かるねん。君ら、筋者やろ」

「いえいえ、何を仰います。シガナイ普通のサラリーマンですよ」

 筋者に即反応していながらぬけぬけと嘘で装う。

「ふふふ、オレにはそんなウソは通用せえへんで」

「もう、かなわんな、勘弁してくださいよ。僕らホンマにサラリーマンですよ」

 ニコニコヘラヘラと憎めぬ笑いが既に暗黙にも物語っていた。

「ま、エエ感じでいつも来てくれて親しなったし、そんな事は別にどうでもエエか」

「そうそう、んなコトはどうでもよろしいやん。僕らの事よりもマスターこそ何て言うんかなぁ、こうホラ、ドシッとしててえらいオーラを感じますやん。僕ら、そんなんにメチャ惹かれてこうして時々飲みに来さしてもうてますねん」

「何買いかぶってんねん。オレは普通に商売して毎日淡々と生きてるだけやで」

「それはよう分かります。そやけど、そこに何かが違う。以前は何をしてはりましたん」

 以前、と言われても、そこで九年間、信州木島平村で日本一巨大なログハウスを建て続けながらロッヂをやっていたが、十年目を迎えた年に全焼させ、大阪に舞戻り元の商売をやつてんねんけど、その傍ら再建に取り組んでいると、少し掻い摘んで話して聞かせた。

「そうですか、ほんでこの店はログハウスみたいでエエ雰囲気出してますねんね。そやけど一人でようやりますなぁ。やっぱりその辺がオーラになって出てますねん」

 頑張ってやってください、僕らにもお手伝い出来る事があったら言うてくださいとしみじみ語り合って、帰りにはオレの著書も買っていった。

 それからは更に顔を出す頻度が多くなって、時には年下の若者が一人でも来るようになった。一人で来るからオレとの会話も多くなる。彼はオレを慕っているのが明らかに分かる。二人の共通した野獣の性が同類の安堵感で慕ってくるんや。

彼のどこか一途な若さに気になるものがあって、他のお客をほっておいても話し相手になっていた。相手して話せば話すほど彼の目は輝きを増して迫ってきて、何かを掴もうとしているのが痛いほど伝わってくる。

生きるっていうのに憧れを抱いて尋ねあぐねているようで、未来を見つめ輝かしい何かの在り処を、例えオレからでもつながる路があれば踏み分けていきたいと思うのか。仮にそう思われたとしても、とんでもない、彼の望みに叶うものは何一つ持ち合わせがない。

と言うよりも、捨てない人生なら、若者の常として誰しも輝かしい未来を尋ねあぐねるもんや。ただ、煌く彼の目からはそれが他より数倍も強い光を放っていたと思う。

同じマンションにオレより一つ年下でキャリアを積んだバーのママが居た。

 一人娘が居て、親子二人して宗エ門町近くのテナントビルで長年バーを営み、このマンションでの古い住人。ここに店を出してから直ぐにお客で来てくれた。同業と同世代感覚のよしみも加わりママの男勝りで気風の良さが好きになった。最低でも週に一度は店の帰りに深夜寄ってくれていた。

仕事として店には必ず和服で行く。土日の休みの日は洋服の軽装で母娘が連れ立って遊びにもきてくれてご近所の友だちとして仲良しになっていた。

ママは自分の店ではほとんどウイスキーだけを飲む。理由は高額のボトルを早く空けさせ次のボトルを下ろさせて売り上げにつなげる魂胆、なかなか強かなんやな。ま、夜の酒売る稼業ならそれくらいの積極性は当たり前であって、そやから店を終えて客から離れたらオレの店では気侭に寝る前の好きなビールを飲みたいと、たいていは二、三杯飲んでオレにも必ず勧めてくれていた。

 いつも来てもらうだけでは悪いと思い、こちらからも一度はママの店を訪ねるのが筋じゃろうと、ある夜、早い目に店を閉めて訪ねたら、えらい喜んでくれた。客の期限切れの高級ウイスキーを何本も出してきて気前良く勧められ結構酔わされた。帰りには何度もの押し問答の末、結局はオレからカネを取らへんかった。

 ある夜、ママたち母娘とその二人の若者が遭遇した。

意気投合してママも珍しくいつもよりよく飲んで普通に騒いでその夜は終わった。

 それからしばらくしての深夜、ママからの電話。

「マスター、こないだの若い子が店に来てんねん。それがなメチャ酔うてチョッと手に負えへんねん。そっちへ連れて行ってもエエか。マスターやったら男同士で上手いこと扱えるやろう」

なるほど、ママが困ったのが納得できる、彼はかなり酩酊していた。

ママ親子はチョッと飲んで「マスター、私らこのまま帰ってエエやろか」疲れた様子。

 ママ達は帰った。若者と二人きりになった。

メインの照明を落とした淡い灯が若者の顔に頼りない寂しい陰りを作っていた。

いつもはキラキラ煌いていた目は半開きで焦点が定かでなく何かを懸命に追いかけているようでもあり、あるいは何かの哀しみの根源にココロの制御を奪われたかのように視線は虚ろに宙でふらついていた。ジーッとその横顔を見る。陰りのある寂しい横顔がランタンの灯りの下で影となって浮かんでいた。そこにキラリと小さく光るものが見えた。

泪。

前方のバックバーへ視線を虚ろに当てて疲れきったような無表情で呆けたまま無感動に泪だけが頬を伝い落ちていた。

「何や、明日からもう此処へ来れんようになるんか」

「うん、やっぱりマスターには分かるんや」

「アホか、お前見とったら見え見えやんけ」

「俺な、マスターが親父よりももっともっと好きやねん」

「・・・・・・・」

「マスターが見抜いたように俺はヤクザや。在日の韓国人や。ほんで親父はヤクザの親分や。ヤクザなんかになりとうなかった・・・・・そやけどな、これも運命ちゅうヤツなんやろうな、親父がヤクザの親分や、後を継ぐようになってしもてんねん。おんなじ後継いでヤーコになるんやったら、誰にも負けんくらいのヤーコになったんねん」

「何や、ほんで明日からムショか旅か。何かやらかしてきてほんで旅でしばらくほとぼりさまそうちゅう訳か」

オレは自分の科白が芝居じみいているのにイヤーな感じを覚えた。

「明日からオレがどうしようと、ほんな事はどうでもエエねん。マスターの前では堅気の男で居りたかってん。そやけどな、今度いつ会えるか分かれへん思ったらな、やっぱりホンマの自分を見せなアカンねん」

 彼はいきなり立ち上がってワイシャツのボタンを外しだした。

「しょうむないねん。軽蔑してくれてもかめへん。これが俺の住む世界や」

 パッとシャツを脱ぎ捨て背中を向けた。

 スラッとした細身の体には無駄肉はなく筋肉だけが生き物として隆起して鍛え上げているのが一目瞭然。鍛える、励む、勤しむ、大好きな言葉や。それを実践する奴も大好きなオレであって。

そやけど淡い灯の中で露出した背中には一面に彫り始めたばかりの筋彫りの刺青が鮮明に浮き出ていた。これから筋彫りの中に色彩を彫りこんで行くんやろう。筋の鮮明さが若い肉体にコイツの運命を如実に現しているようで、やるせない哀しいものを見てしまった。

「アホじゃ、お前は。根性なしや。ヤクザなんか根性のないもんがなるんじゃ」

「すんまへん。ホンマに根性なしですわ。親父には逆らわれへん根性なしです」

 バカたれがと目頭が熱くなってきやがった。

 何故か惹かれる青年やった。

「マスターと知り合って楽しい思いもさせてもらいました。色々勉強もさせてもらいました。そやけどこの先、今度いつお目にかかれるか分かりまへん。そう思うたら最後にどうしてもマスターに会いたかってん。そやけど、そう思うと素面ではようけえへんかった。ほな、俺、これで行きます。こんなドアホは忘れてください。どうか達者でいてください」

おいおい、芝居がかった臭い科白吐くなよと、喉まで出かけたけど、脱いだワイシャツをサッと着なおして一礼するや否や、スッと踵を返し静かにドアを開けて出て行く。彼の芝居じみた科白が頭の中で妙に余韻として残り、若者の背中を言葉もなく見送るのが精一杯であって。後ろ手でドアが静かに閉められ、街灯だけが頼りなく灯る夜の闇に吸い込まれるように若者は消えていった。



 それから一年ほどして突然その若者が姿を見せた。

 二人の青年を従えて入って来るなり腰を曲げ実直な一礼した。

「おおっ、帰ってきたんかいな」

「はいっ、一ヵ月ほど前に帰ってきました。それで今は小さいんですけど組を持たされました。所詮こんなもんですわ」

「・・・・・・」

従えた二人の青年に

「お前らそっちで飲んどけ。マスター悪いけどアイツらにビール出したってください」

東京を中心に関東を転々と渡り歩いて修行?を積んで、大阪に舞戻り親の傘下で新たな組を作ったばかりで多忙を極めていると言う。心なしか得意そうに話す。彼の目を見つめていると、以前のような煌きは見られず、俗物的な澱みが潜んでいるように見えた。

「マスター、何かあったらいつでも俺に言うてや。誰にも下手打たせへんで」

 その科白を聞いた途端、憑き物が落ちたようにこの若者に落胆と失望が湧き上がり全ての興味が霧散してしもうた。

「何やお前、一年かかってそんなしょうむないコト言いにきたんか」

 ああ、やっぱりヤクザは所詮ごく潰し、そんな世界に何でオレが関わらなアカンねん。





宿命を背負って

 金髪親分が来なくなって久しく、翌年の正月も明けた頃の昼下がり。

 この時間はほとんどお客はけえへん。繰り返すがそんな独りの時間が好きなんやな。ところがそうしてオレが独りを愉しんでいたら、時々歓迎でけへんヤツが入ってきたりする。

 で、その日も、戸が開けられ金髪親分が久しぶりに一人でヒョッコリ入ってきた。ああ、こんなヤツも居ったんやとあらためて思い出すほど、記憶の中では隅っこに追いやられ影が薄くなっていた。

「やぁ、元気にしてた。正月やさかい、まあ挨拶でもと思ってな。久しぶりやしキョウダイも付きおうて一緒に呑もうや。あれからワシ等が来とったらこの店の印象悪うなると思うてな、ほんで自粛してたちゅう訳や。そやけど正月くらいエエやろう。な、チョッと一緒に呑んでや」

 あのオドロオドロした顔を全面に崩してニコニコと人懐っこい笑顔で言うてきた。久しぶりやし自粛していたと健気に言われたら、お客も居らんしオレ一人やし少しは付き合わんわけにはいかんやろうと、彼の前に座った。

 ほしたら、この金髪君、しみじみと身の上話を始めだした。

 十六歳の時、故郷の奄美大島を飛び出して神戸に来たと言う。しばらく造船所の日雇いをしていたが、生来の粗暴さが抑えきれず度々のケンカで遂には相手を鉄筋で叩きまくり瀕死の重傷を負わせて少年院おくりになった。

 少年院で知り合ったヤツが神戸でヤクザの三下をしていた。気の合う仲になった。少年院を出ると先に出た彼を頼って同じ組の三下をやるようになったのがヤクザの道に足を突っ込んだきっかけやったらしい。数多くの出入りや抗争では先頭に立ってやってきたのが認められて、自分の組を持たされたのが十数年前になると言う。その間、傷害、恐喝と二度の刑務所くらしもあって、聞いていると留置所や刑務所というのは犯罪者を更正させる所やのに、現実は逆現象を生み、世間から隔離された処で犯罪者の悪同士がつながりを深める場としての要素を兼ね備えた処でもあるらしい。更に根性や箔まで増幅させて社会に戻ると、より巧妙で大胆な犯罪者へと更なる飛躍?をしていく者が圧倒的に多いように思えてしまう。

 それにしても、数々の修羅場を潜り抜けてたこの金髪君が、何でオレとの対決で如何にもお粗末な対処しかでけへんかったのかと訝ってしまう。

 勝手な憶測をすると、血気盛んな若さが失せて組織を頼りに守りの姿勢になってもうたんかいな。あるいは話半分ってところかも。多分そうやろう。

 金髪君の抱える組事務所は通天閣の近くで構えているらしく、上部組織の本家はやっぱり神戸やと言う。組の構成員は二〇人以上の所帯やったのが、どういう訳かこの一年で何人かが組を抜けて行ったと言う。そんな事はこれまでなかったのにと、首を傾げてボソボソ話す声には覇気が窺えず心なしか元気さえ見えなかった。

「なあ、キョウダイ、一回事務所に遊びに来てえや。大歓迎するで」

 そうか、そろそろそう出てきたか。勧誘の始まりや。

「もしな、カネが要るんやったら言うてえや。一〇〇〇万円位やったらいつでも直ぐに用意できるさかい及ばずながら力になるで」

「あのな、未だ分かってへんな。勘違いしたらアカンで。何でオレがヤクザの事務所に遊びに行ったり、カネまで借りんとアカンねん。余計なコト言わんとき」

「ちゃうがな、貸すんちゃうねんやん。要るんやったらつこうて言うてんねん。長野でログハウスとやらを作るのにカネ要るんちゃうんかいな」

「あのな、オレはこう見えてもちゃんとした堅気やで、しかもやな、ヤクザは大嫌いときてるわ。ヤーさんとはマジ関わりとうないねんな。今、こうしてるのは例外中の例外やで。そんなオレがそんなカネ使うはずないやろ」

「もうな、キョウダイとワシの間でそんな固い事言うなよ。ほんでな、ヒマな時でエエねん。キョウダイがチョクチョク事務所に顔出してくれたらワシの面子も立つしな、若いモンも張り切りよるがな。そやからホンマに遊びに来てぇや」

 目減りした子分達を補うタメに何と、このオレを組に引き込んで建て直しを図ろうという魂胆があからさまに出してきている。その愚かな思考とは別に弱り目のような現況にはチョッとは同情せんでもなかった。

組員が減った。そう言えばあれから一番目をかけていた若いのが直ぐに組を抜けて行ったから、捕まえて指の一本も落とさせなアカンと息巻いていた事があった。

 よく聞くと、あの夜、一番丁寧に頭を下げ「オヤッサン、酒が入るとチョッと質悪うて、ご迷惑かけました」と言うた若者らしい。その若者は一番戦闘的で組では期待されていたらしい。思い出せば、あの時、微動だにもせんとオレの顔に真っ直ぐ視線を当てていた。あの目には敵意とか闘気でもなく、何か不思議なものを見ているよう清涼な光を感じた。例えば初めて見る異質な情景を見逃すまいと確り見つめる目であったと思う。

 で、推測するなら、一人のオッサンを組がその時、動員できるだけの多勢で囲んだが結末は、臆してしまったような親分に多分、愛想をつかしたのやろう。それが何人かに連鎖反応があったように聞こえた。

 どうであれ、オレの知った事とちゃうし、面倒臭いので適当に聞き流し、好きなように言わして約二時間。

「そろそろ帰ろかな。今日は一緒に呑めてホンマに来て良かったわ。なぁ、あれから一年経つよな。ところであの日はどっちが勝ったと思う」

 ドアホが、何ぬかしとんねんコイツはと、つくづく哀れに思う始末。お前は一人でよう勝負できんと、子分どもを呼び集めたやんけ。それでも勝たれへんかってんど、その結果、子分の何人かが抜けたんちゃうんか。その辺の理も分かれへんのかとは口に出さず。

「ま、引き分けちゅうトコかいな」

「そやな。引き分けやな。そやけどあれから子分減ったなぁ。なぁ、キョウダイ、何かあったらいつでも言うてきてや、たいがいの事は始末したるさかい」

 あぁあ、この手の者が別れの挨拶に吐く科白はいつもこうや。最後には一抹の虚勢をひけらかして、役にも立たんのに見栄を張る。

 金髪君は、つまらん言葉を最後に口にした後は、一瞬やけど妙に寂しそうな表情を浮かべて帰っていった。

 そして、数年が経った。

 毎度のように黒門市場で買い物をしていた。市場は平日でも買い物客で群れていた。人々の流れに逆らいながら泳ぎきるように群を掻き分け目的の場所に進んでいた。それでも店々が日替わりで特価を出すのに細かく目線を送るのは忘れないでキョロキョロみていた。何気なく前方に視線を移したその時。

忙しく行きかう人の流れに抗う術もなく流れに漂うように一人の老人が歩いていた。

 肩を落とし伏せ目がちに弱々しく歩く姿には生気がない。待てよ、どっかで見たジイさんやど。何か強く引っかかるものがあって、はて、誰やったかなと見つめる事しばし。 

あっ、思わず小さく叫んだ。

 金髪もパンチパーマも取れて白髪交じりのボサボサの頭。やつれている。いや、萎れてくたびれてて、かつての覇気どころか生気すら消えていた。オレの足は勝手に動き、前方のジイさんに近づいて前に立った。

「ようっ」

「うん?」

「何や、まさか忘れたんちゃうやろ。オレやんけ」

「うん、分かってる」

「どうしてんのん。元気でやってる?組は大丈夫なん?」

「う、うん。まぁな。ほな」

 笑顔の一つもなく、呆けている程でもないけど目は虚ろに宙を泳ぎ、何か余計な者に出くわしたと言わんばかりに慌てて逃げるように去って行った。その後姿は悄然としていて哀れさが滲み出ていた。あの変わりようは、慌てて逃げるさまは、いったいどうしたのか推測せざるを得ない。買い物をしながらそればっかりを考えていたらおよその結論が幾つか見えてきた。

 敵対する他の組織に叩き潰されたか、あるいは下手を打って上部組織から破門の憂き目にあったか、いやいやちゃうど、あのまま子分が減っていって組は解散。そうやろう。いや、その全てが絡み合って勢いから投げ出されたのかな。多分そうや。起因はオレかも、それはあり得へんぞ。やっぱり本人の器量やろう。

 売り子達の威勢の良い掛け声が四方から飛び交う市場の喧騒の中で、それらを遠いもののように聞きながらその場にそぐわない白々とした乾いた気分に包まれていた。

 あんなヤツでも、落ちぶれたあの変わりようを見てしまうと、同情なんかする気はないにしても、人の浮き沈みの切なさが妙に身に染む日になってしもうた。



 いつものように生玉公園で鉄棒の逆上がりを中心に鍛錬で汗を流して、帰りは生玉神社の大鳥居を潜り、広い境内を斜めに抜けて、樹木がうっそうと繁る杜に入ると、今日からまた何かの催しがあるのか、樹木の切れた所とか大木の下とかであちこちテントが設営されかけていた。はて、今日は何があるのかなと僅かな興味を抱きつつそぞろ歩いた。

 一番奥の外れの広場でテントを設営していた一人の男が目にとまった。

 メダカ君。

 長袖のアンダーシャツのまま額に汗を流してたった一人で奮闘気味。

「メダカちゃん、一人で何頑張ってんねん」

「おうっ、マスター。明日から祭りや。ここで店張るねん」

「そうか、テキヤもやるんや。それにしても、一人で頑張らなアカンのか」

「そやねん。若いモンも居らんようになってな、ウチも人手不足になってもうてな、しゃぁないやん。一人でもやってかなアカンねん」

「ふーん、今日びのヤーさんもたいへんなんや」

「そやで、生き残るのんて大変や、難しいけど、そんなコト言うてられへんがな。形振り構わんとガンバルしかないやん。ところで、その長いのん何やのん」

「あっ、これか。木刀や。モロに見せたらヤバそうやしこんな筒に入れてんねん」

「ほたら何かいな。そんなんどっかで振り回してきたんかいな」

「そうやねん。毎日でもないねんけど時々な。これも体を鍛えるのにエエねん」

「へぇーそうなんや。そやけど何やな、マスターは俺らヤーコよりヤバそうやんけ」  

「ええっそんな風に見えるんかな、ハハハ、ま、ようそんな風に言われんねん。そやけど根は優しい文化人、文学者やで」

「そや、そう言うたら、しばらく行けへんかったけど本、出したんかいな」

「あー出した、出したで」

「ほな、俺、それ買うし」

「ほうか、ほな今、持ってこうか」

「かめへんかな、それやったら助かるわ。何せ事務所が東大阪に移ってからマスターとこもなかなか行かれへんし、今夜も多分無理やから」

「ほなチョッと待っててや、直ぐ取ってくるさかい」

メダカ君の組長は二年程前に病気でお亡くなりになりはった。

その後を、竜童はんが組長に昇格して、程なく隣のマンションにあった事務所を何処かへ移したと言うてたけど、東大阪やったんや。

組長が病気で死んだと聞かされた時、そう言えばと思い出した。

その一ヶ月か前に珍しくオッチャン組長が一人で来て、これまた珍しくカウンターに座ってオレにボソボソと話しかけてきた。話の中で

「なぁ、マスター。歳は取りとうないなぁ。チョッと病気したら気も弱わなるもんやな」

「どうしたん。社長、どっか悪いんかいな」

「多分、肝臓やろうな、しゃあないから明日でも医者に行こう思てんねん」

「アカンで社長。気ィだけはしっかり持っとかんと、病は気からちゅうやん」

「マスター見てたらそんな感じやな。ワシよりか何個も年上やのに元気で若々しいし、体かってホンマに逞しいやん。ウチの若いもんにはマスターファンが何人も居るで」

 どうしたんやろうこのオッチャン、元気がないだけとちごうて、今日は何やしみじみしてるやんと、その時は軽く訝っただけやったが、それがこの組長の来た最後の日になった。

 金髪君も居なくなり、メダカ君の事務所も遠く離れ少しはヤーさん達が減ってこの辺もチョッとはエエ感じになってきたと思う。

 ヤクザのメッカのような所へ知らずに飛び込んで、彼らとの色んな絡みが生じて、驚愕の場面の中に身を晒したりもしたが、過ぎ去って振り返るとそれはそれでまた違う懐かしささえ呼び起こし、人の運命の儚さすら覚える。

シノギを削るヤバイ稼業のヤーさんだけとちゃう。明日の運命は、いや、次の瞬間に何が起きるか、どう変わるか、生死の分かれ道が予告もなく突然襲ってきたり、急転直下奈落の底に叩き落とされたりと予測でけへん。

このオレも何をか言わんであって、

平穏に迎えた冬の朝、その数時間後に九年間建て続けてきた日本一巨大なログハウスが全焼するなんて、なんて、ね、そうじゃろう。人命に係わりはなかったものの全てを失い膨大な借金だけを抱えて、冷徹に奈落の底に叩き落された。

とてつもない負の底から子供達を育てあげ、何よりも再起できないほどの精神の消耗をきたした妻を守るタメにひたすらかけ続けてきた。

更に一方で全焼した山荘の再建に取り組む執念に、一歩も退けない生き方が激し過ぎると、守るべき妻子への新たな負担になっていたなんて。妻子はオレの元から離れていった。

九年間の信州木島平村の山荘での年月。それはオレが一番輝いた時代やった。

輝いた分だけその後、それ以上の年月が借金を返すだけに働き続け、自由に生きていけぬ日常を自嘲的に自らを茶化して、借金奴隷と称し秋(トキ)の来るのを耐えて忍んで待っている。

歳だけが容赦なく取っていく。それに流され負けじと体を鍛え続けていたら「ヤーコよりヤバそう」なんてお褒めの言葉をいただく始末や。

メダカ君が暑い日中にもかかわらず、刺青を隠すタメに長袖のシャツを着て汗まみれで一人奮闘してテントをせっせと設営している姿は、肩で風を切って周りを威嚇するヤーさん本来の姿とは程遠く、勢いから外れてしもたら、もう何でもエエ、生きるタメなら過酷な労働にも耐える健気な気概を見せていた。その姿は清々しく目に映った。

「メダカちゃん。これっオレの本。初めてな出版社から出たんやで。今までみたいに手製とちゃうし、読んでや。『山麓の炎』ちゅうねん。炎はほむらって読むんやで」 

「うわぁ、えらい立派な本が出来たやん。うん、読む読む。なんぼなん」

「消費税抜きの一五〇〇円や」

「ほうか、ほな二〇〇〇円取っといて」

「へぇ、さっすがぁ、おっとこ前や。そら嬉しいな、ほな喜んでもろとくわ。おおきにな」

「飲みにも行きたいけど、何せ遠なってしもたからな。その内顔を出すわ」

「うんうん、いつでも又きてや。待ってるさかい」

北九州市「自分史文学賞」応募用『無血の抗争』 本章1

― 本章 ―



屋号の枕に『ジャズ』

 生玉の物件を見て思わず「よっしゃっ」と手を叩いた。

 千日前通に面した谷九と下寺町の上り坂のほぼ真ん中。十六階建てのマンション。

 歩道から四メートルほど奥まって建てられていた。その一階正面の左角。一階三五坪、二階が二五坪と上下一体の空間。そして前は歩道まで約四メートルの専用敷地。

 それを見た瞬間「丸太のデッキが作れる」とイメージした。

 三〇〇万円の保証金。当時四〇万円の家賃。保証金に一〇〇万円。後は長期の分割払い。四〇万円の家賃は大きいが、二階は三LDKに匹敵して家族四人がゆうに暮らせる広さなら、別にマンションを借りるよりお得じゃろうと思った。

 一階は歪なL型で曲ったところからの空間は広い。間口四メートル。道路までの専用敷地には丸太のデッキと横に車庫を設ける。入口の空間を店にして、奥は多目的ホールと、一日で内装の大雑把な思案をまとめた。

 まるで怪しい宗教にでもとり憑かれたかのように常軌を逸した凄まじさで前へツンのめて行く。ここぞと思ったらろくに検証もせんと、自分の閃きと計算を信じて疑わず、猪突猛進するオレであって、後でいつもそれを悪い癖と反省しつつも、何処かで、これも背負った己の性じゃとザックリ受けて流す。そんなオレを周りではハラハラ見つめる者あり、一方で賛同して期待を込めて支援の手を差しのべる者ありと二分される。

 一九八九年、周りの一部の者から無謀と言われながら信州木島平村で日本一巨大なログハウス建築に着手した時は、多くの人の夢をオレが実現するんやと、突っ込んでいった。

 オレの凄まじさからはどちらかと言うと後者が目立ち多数派であって、その人達にコレまでどれほど助けられ、どれだけ迷惑の限りを尽くしてきたか。



九年間建て続けてきた日本一巨大ログハウスのロッジ街山荘が、一九九八年十二月、冬の晴れ渡った穏やかな朝、車二台だけを残し他は全て焼失。一変して奈落の底に叩き落され、膨大な借金を背負ったまま敗軍の落ち武者のように生まれ故郷の大阪へ舞い戻った。

翌年の二月、千日前で十五坪の『JazzShotBAR 火の鳥 街山荘』を開業。千日前で店を出すのはこれで二回目になる。一回目は一九七〇年、同じ通りの少し北よりやから、何か因縁めいたものを感じてしまう。すなわちゼロから励めと言われているようで。

 屋号の『火の鳥』とは全焼した山荘の再建へ火の鳥の如く甦れとの悲願を込めてつけた。

 全焼して膨大な借金を抱えて、店を開業できたのはそれこそ全国のお客さんを主流にした数多くの人達からの心のこもった見舞金が寄せられて叶えられた。

 『火の鳥』は四ヶ月も過ぎた頃から業績は鰻登りに上向いて、再建への意欲に拍車がかかり、更に欲を出してもっと広い一階の通りに面した店へ躍進しようと一年も経過した頃から移転先を物色し始めていた。

 火の鳥は吉本興業が運営するナンバグランド花月NGKの直ぐ傍で店には吉本の芸人さん達も来るようになっていた。NGKの脇に通りの真ん中まで派手な看板を出しているたこ焼屋があって、そこの店主も飲みに来るようになった。彼は大阪市内に何軒かのたこ焼の店を持っていて更に拡張しようと虎視眈々としていた。

 んで、オレの店を見て次はウッディーな丸太作りの店にしたいから作って欲しいと依頼してきた。元より酒を商う飲み屋より丸太相手の造作が大好きなオレ、二言返事で引き受けた。依頼された物件は千日前通りと松屋町筋の交差点、生玉神社参道の入り口、大鳥居の脇、下寺町の西南角にあった。昼はそこで丸太のたこ焼屋造りに勤しみ、夜は深夜まで火の鳥を営業した。そんなある日、あんまり馴染みのない下寺町、生玉界隈をふと探索する気になってブラブラ歩いていると、下寺町から谷九に向かう坂の丁度真ん中辺りにこの生玉の物件と巡りあったと言う訳なんや。たこ焼き屋を完成さすと、直ぐに契約して河内長野森林組合から長さ四メートルの丸太の原木数十本を大型のトラックに山積みして搬入させた。それを契約物件の前の占有敷地に山と積み上げて作業にかかった。大阪の都会に突如現れた原木の山。道行く人はビックリ、その多くの人が興味津々と覗いていく。「何ができまんねん」一日に何人もの質問を受ける。

 マンションが林立する地域柄、繁華街と違って地域密着型の商いになると思うからオレの性格と相反して丁寧に受け応えしながら意気揚々と作業は毎日順調に進んでいった。

 そんな中で「エッ」と不快な光景が再々展開されているのが気になった。

 時には道路の片側に車を連ね、十数人の黒い背広姿の男たちが通行人を威嚇するように歩道で屯していやがる。

 車のナンバーの多くは神戸やんけ。神戸と言えば日本一の巨大組織を誇るY組。

何、コレッと、マンションの管理人や近所の人達に聞けば、同じマンションと隣のマンションや後ろのマンションにヤクザの組事務所が四つもあるちゅうやん。

 何を隠そう、いやいや隠さへん、オレの大嫌いな順でいくと政治家、警察権力、ヤクザ、医者と、ヤクザは上位三番目になる。それが群れるド真ん中に入ってしまった訳で、これはえらいとこに来たもんぜよと、後悔は後の祭りときた。

 物件と立地条件だけを見て「よっしゃ」と手を打ち決めたら最後、脇目も振らず突き進んだ。脇目も振らなアカンねんな。充分調査して初めから分かっていたら絶対けえへんのにと、カリカリ地団駄踏む思い。来てしもうたものはしょうがない。ヤクザなんかが入りとうない店にするこっちゃ。



 一九七〇年。万博が終わった九月に千日前で店を出してからずっと屋号の枕に『ジャズ』を掲げてきた。その頃、繁華街ミナミの夜の世相はかなり殺伐としていた。巷ではもめ事や喧嘩は当たり前。チンピラ、ヤクザがはばかることなく横行してしいた時代。

 下手してうっかり店を出したもんなら、ここはシマ内や、やれショバ代を払えだの用心棒代を払えのと、無法な強要や脅しをしてくるヤクザ、暴力団の全盛の時代やった。

 そんな輩が来たところで撃退する気概には燃えていたものの、できたら初めから係わらんで済むようにするのが一番と考えるのも当然やろう。

 当時、すでに廃り気味やったがジュータンバーと言われる店が隠れ家のようにミナミの繁華街には点在していた。オレもそれを目指した。

 入り口で履物を脱いで入る店。店内にはジュータン(実はカーペットなんやけど)が敷き詰められていてテーブルも低く、じかに床に座れて足も伸ばしたりできるから、リラックスムードで酒を飲んだりお喋りしたり騒いだりできる。

表社会からは裏面に位置したアングラ、サイケデリックと言われた文化を当時の若者の感性が受け入れた最盛期の頃で、そんな店こそ時代のニーズに適用すると確信した。

 ところがそんな店こそ、かえってヤクザ、暴力団の標的になりそうに思った。

 そこで初めて屋号の『街』の枕に『ジャズ・バー』をつけた。ジャズをやっている店にヤクザもチンピラもけえへんと考えた。

 本来はリズミカルに楽しむはずのジャズを、神様と称されたジョン・コルトレーンがジャズの資質をまるで哲学までに高めるように難解なものにしてきた結果、前衛ジャズが主流のように浮上してきた。

 当時やたらと多かったジャズ喫茶では、話もでけへんくらいに大音響が炸裂する空間で、飲む気もないのにコーヒーカップを前に置き腕を組んで瞑想するかのように聴き入るのがスタイルやった。ワシャそういうのは肌に合わんぞ。見ただけで白けさせられるんや。

 ジャズはリズムやんけ、音を体に受けて足とか指先でリズムをとりながら楽しく聴くもんぜよ。んで、コーヒーでなく酒やないとアカンねんと思う。それは今も変わず、そやから何十年も酒を提供するジャズバーをやってきた。

 六〇年代、学園紛争の兆しが見え出した少し前辺りからそんなジャズ喫茶がやたらと多くなった。集まるのはにわか全共闘や何処にも所属しないで気分だけのノンポリと言われた大多数の学生が主体のようであったかな。

 全共闘も反戦青年委員会も革命諸派(オレもその一員やった)も激しい闘争をへて、権力の苛烈な弾圧の嵐の中で敗退を余儀なくされ崩壊し、霧散し、表面的には影すらも消えたようにいなくなっても、ジャズを聴く当時の若者のスタイルは相変わらずやった。

そこでジャズを枕詞につけたバーであったら、そんな所へヤクザもチンピラも出入りする訳がないやろうと読んだ。その目論みしばらくは正しかった。

 看板はジャズバーでも店ではR&Bとかフォークソングやブルースにロックなど何でもありでアングラ、サイケデリック調の『ジャズバー街(まち)』は繁盛していった。





高利貸し山ちゃんと、組長の松っちゃん

 十年も続けた千日前の『ジャズバー街(まち)』。その間、全くヤクザと縁もなく係わりもなかった訳ではなかった。ヤクザも客で来るのは稀にあった。そやけどこんな店に一人で来るヤクザは自分がヤクザである気配を殺して店の雰囲気にヒッソリ溶け込んで傍目には分かれへん。オレがそれを見抜いてしまうのは、若い頃からケンカや闘争の中に体を晒して生きてきた自分の獣的臭覚が嗅ぎ取る。であっても、気配を殺している者には彼に合わせてそっとしておいた。

 ところがそんな中に、小さな組織のヤクザの組長はじめ組員が出入りするようになって、さぁどうすべぇと困り果て、思案の日々を過ごした時期もあった。

 山ちゃんというのが妹の彼氏?になって家に遊びに来るようになった。オレの住いは実家が経営するアパートの一角。実家は路地を隔てた直ぐ横。

 山ちゃんは子供好きなのか遊びにくると、その頃まだ幼児やったオレの長男を必ず連れ出して一緒に遊んでいる光景と時々出く合わした。

 そんな時、山ちゃんは相好を崩して実に人懐っこくオレに接してきて「兄さん」と下にも置かん丁寧な態度を崩せへん。山ちゃんはオレより二つ年上。物腰柔らかい丁寧な中にも気圧されるような凄味が内蔵されていた。山ちゃんの稼業は裏の金融業。つまり、ヤクザやホステスとか夜の商売の人達相手に高利貸しをやっていた。

大きい顔の真ん中に鼻が胡坐をかいたように居座って厳つい面構えがどう見てもヤクザをも凌ぐ凄みを醸し出していた。ソイツが店に来るようになった

 その内、彼と懇意な組長が一緒に来るようになった。その組長は山ちゃんよりまた二つ年上やけど組長としては若い。その組長、松っちゃんと山ちゃんがつるむのはやっぱり金が絡んでいた。山ちゃんから組の資金を時々用立ててもらっていたようで、返済の遅れが原因で口論する場面もあって、遂、オレが仲に入って取り成していたら、いつしか、松っちゃんは山ちゃんを超えてオレに慣れ親しんでくるようになった。

組長が来るという事は必ず二、三人のお付きの組員も一緒に来る。山ちゃん一人でも店にはチト困ったもんぜよと思うのに、小さな組とは言え一つのヤクザの組が出入りするのは流石にマズイ。ここらで釘を刺ささんと店に一般のお客が激減する恐れがあった。

「松っちゃんな、親しんで来てくれるのは嬉しいし、オレも松っちゃんの表裏のない性格は好きや。ただなぁ、見ても分ってもらえると思うんやけど、この店は普通の若いお客が集まるとこやろ。松っちゃんらがそれを心得てくれて気いつこうてくれてるのはよう分ってんねん。それに今のところお客も日頃接しえへんヤクザと仲よう話ができるのを物珍しさで嫌がってもせえへん。そやけどな、やっぱりアカンねんな。オレはヤクザが大嫌いや。けどな、松っちゃんは嫌いちゃう。例えばオレが外でそんなつながりを持つんやったら問題ないねんけど、店はアカンねん」

「う~ん」

「来るんやったら時々にして松っちゃん一人で来てくれへんか」

「そらそうやな。オヤッサン、マスターの言う通りやで。ワシ等が来る店とちゃうで」

 代貸格の子分が深く頷いた。

「そうかぁ、やっぱりな、アカンのやな。そう思って俺は気いつけとったんやけどな。そうやなぁ、こうゾロゾロ来とったらアカンわな。分ったマスター、もうあんまり顔出さんようにするわ。マスターも店を気張ってや。ほんでな何かあったら言うてや、俺らすぐ飛んでくるさかいな」

 スッキリアッサリ、来るなとだけは言われへん。

遠まわしに言うてしまうのは、どんなに馴染んで仲良しにしていても、ヤクザはヤクザ。構成員十人ほどの小さな組織でもオレ一人では正面きってきつく言うのはケンカを売るようで流石に退けるもんがあった。媚びるでなく対等かそれ以上の気概を保ちながら、それでいて相手の面子も立てるように、オレとしてはそれなりに必死でもあった。

 で、松っちゃん達も不承不承オレの意図を汲んで従う姿勢を示してくれたので、一件落着とホッとして、従来通り普通に店をやっていけると思ったのも束の間、それから余り間も置けへんある日、松っちゃんが一人でやってきた。嬉しそうに優しい笑顔で話してきた。

「マスター、ヤクザが大嫌いや言うのんはよう分かってんねんけどな、俺はなマスターの一匹狼的な心意気に惚れてしもうてんねん。そやのに店にもあんまり顔出すな言われたらどうにも落ち着けへんねんな。色々考えたんやけど、この前、外での付き合いやったらエエって言うてたやん。そやったらマスターが俺らの事務所にチョクチョク顔出してくれたらと思ってな。どや、ウチの組の客分か顧問になってくれへんか。組の奴等にも言うたら皆そらぁエエってことになってな。その事だけで今日こうして訪ねてきたんや」

 当時はホンマにヤクザ全盛時代とでも言うかとにかく数が多かった。

 ヤクザと右翼に新左翼等の小さい組織は雨後の筍のように生まれては、しのぎを削って消されたり潰されていた時代やった。

 大きい組織は、小さい組織を傘下に収め勢力を伸ばして、対抗する組織を牽制しようする暴力団世界の事情があったようで。

 松っちゃんとこのような小さい組織は少しでも組を大きく強くしたいし、一人でも組員を増やしたい。そんなとこで見初められたオレ。そんなもん心外でしか在り得へん。

「アホなこと言わんといてや。オレは松っちゃんをヤクザとして付き合おてんのんちゃうで。松っちゃんは松っちゃんとして好きなだけや。むしろ、オレの方が松っちゃに堅気になれやと言いたいんやで。そんな話を持ってこられても迷惑なだけやで」

 強くキッパリ断るオレの姿勢が予想外やったのか「う~ん」と腕組みして首を傾げてしばらく無言でいて「分かった。俺が浅はかやったな」と落胆を隠しきれない面持ちで松っちゃんは諦めざるを得んかった。

 松っちゃんとのそんなやり取りと関係なく相変わらず山ちゃんは気ままに店に来ていた。

ある日、店が立て込んで忙殺されていた所へ電話が鳴った。山ちゃんやった。「悪い、今忙しいから電話後にして」と電話を切った。ものの十分もせん内に山ちゃんが血相変えて飛び込んで来た。

「何でや、何で俺の電話を一方的に切るねん。おかしいやんけ」

「えっ」

「俺が電話したんや。何で切りさらすねん」

 顎を突き出し肩を怒らせ巻き舌で凄んできた。おっお、やっと本性出してきたか。そやけどここで一歩でも押される訳にはイカンやろ。やんわりと押し殺した低い声で

「何息巻いてんねん。メッチャ忙しいから山ちゃんやったら分ってもらえる思ってああ言うたんや。それが分ってくれへんのか」

「そうか、そやけどな喋らん内に切られたら腹立つで」

「そうかそれは悪かった。そやけどそんなん言うなや、親しいから出来るコトちゃうんか」

 山ちゃんはそれ以上何も言わず、むっと口を歪め不服さを顔いっぱいに残してその時は出て行った。結局何で電話してきたか怒りの余り本人も忘れてしもうていた。

それから何日か経った頃、飲んで調子に乗った山ちゃんが話の中でオレには絶対許されへん一言を飛び出させた。

「所詮アイツ等はヨツやし、アカンで」

と山ちゃんは事も無げに失言した。オレの反応は早かった。

「山ちゃん、その言い方は止めとけや」

「おっ、何でや、おかしいやんけ。なんぼ兄さんでも堪忍でけへんな。俺の言うことに止めとけとはどういうこっちゃ」

 先日の電話の件もあってか気持ちが尖ったままやったんやろう。一歩も譲らん気迫でスキンヘッドの見るからに強面が凄んできた。

 何かイヤーなものが喉元を苦くさせてきて唾を飲み込んだものの、ここはオレも絶対退いたらアカンとこや。差別用語が平気に飛び交い、差別をあからさまに容認してしまうような店には絶対しとうないし許されへん。



 父は明治の男。明治の男にとって妻は従者、子は所持品くらいにしか思ってへんかった。母は父に酷い暴行を時折受けていた。押し倒され、蹴られ、髪の毛を捉まれたまま引き摺りまわされ、その残虐な光景を目の当たりにすると、父の所持品である幼少のオレは我を忘れて父の巨体に取りついた。取りついても難なく振り払われ放りだされる。それでも立ち上がり取りつくのを幾度か繰り返す内に父は「オノレの躾が悪いからこんなガキが出来さらすんじゃい」と捨て台詞残して残虐なシーンは一旦収束する。

 中学も高学年になり、オレの体格もいつしか父のそれを上回る頃には父の暴虐も姿を消した。それでもオレは父を許さず憎み、父は子供たちの中でも唯一オレを疎んじた。

 高校に上がり二年の一学期で退学処分になった。以来社会に放り出されて喘ぐように生きていく中で、社会の多くの矛盾と出会い、「権力」と言う言葉を知った。

 父の存在は家庭の中での権力と言う悪でしかないとの認識を持つに至った。更に社会を検証し深く見ていくと、もっと巨大で極悪な権力が差別を生み、搾取を強要する縮図を知り、オレの中に反権力、反差別、反搾取の強固な意志が育まれ、いつしか闘いに打って出る行動も生まれてきた。つまりはこの世の仕組みの一切をひっくり返さなければ権力も、差別も、搾取もない世の中にはならないと、革命思考へと道は順序良くつながっていった。

 反米ベトナム反戦の闘争、沖縄奪還の闘争、成田空港反対闘争、朝鮮人韓国人への根強い差別政策の権力と行政への闘い、部落の解放闘争、野宿者への救援活動や権利の回復への闘い、と言うのが数年に及んだ若い頃の生き様であった。

 闘いから遠ざかっても原点の意思と信念には揺るぎがなく、生活の隅々に自己の思いを貫徹させる努力は忘れないでいた。そんなオレが山ちゃんの失言をたしなめない訳がない。

「オレもな、なんぼ山ちゃんでもヨツいう言い方は許されへんねん」

「おお、ワレよう言うてくれたやんけ。ヨツはヨツじゃい。許されへんてか、許されへんかったらどないさらすんじゃい」

カネの力とごり押しで世間を切り裂いて行こうとするアウトローの山ちゃん。話の中身より自分の言語を否定され遮られた、その事だけが沽券に関わり逆鱗に触れたと激怒を呼び起こし、是が非でも相手をねじ伏せようする。山ちゃんの一歩も引けない性が前面に噴出してきた。

「そうか、ほんだら言うけどな。山ちゃん・・・・・・・チョンコ呼ばわりされたらどう思うねん」

「・・・・・・・・・」

 山ちゃんは在日韓国人。生まれてから差別の真っ只中に置かれ、グレて暴れて鑑別所、刑務所と渡り、今じゃ夜の大阪で裏金融の稼業でしのぐ。

「アカンねん。差別したり偏見持ったりしたらアカンねん。オレはな、どんな偉いヤツでもドアホでも差別する奴は許されへんねん。そんなヤツはオレの敵や」

 スキンヘッド、凄味の顔が更に赤鬼の形相へと豹変させてオレをカッと睨みつけてきた。頬が歪み微妙に痙攣している。カウンターに置いた拳に力がこめられていてカウンター越しにオレを殴りにくるような凄まじい眼光を鋭く刺してきた。エエやろう。殴りに来い。一発二発ぐらいやったら殴られてたろうやんけ、オレも山ちゃんをキッと見据えた。

 山ちゃんとはオレから求めて付き合いが始まった訳とちゃう。むしろオレとしては彼のようなヤクザ紛いの人生を歩むアウトローとは関わりを持ちたくないと言うのが本音で、彼が彼でなかったら排除もしていたやろう。

ただある時期、オレも山ちゃんに大きな借りを作った。



一九七〇年九月二日に『ジャズバー街』を千日前の河原町でオープンした。

七〇年日米安保条約が苛烈な激しい反対闘争を弾圧し事もなげに批准され、民衆の関心を万博に導き表面いかにも平穏で豊かな経済国家の世相を演出した。

 その万博が終わった九月。

ジャズバー街は闘いに破れた残党やそれにかぶれた若者の集う店として産声をあげた。

その頃、関西で一世を風靡したタウン誌『プレイガイドジャーナル』が経営の破綻で潰れた。その後を引き継ごうと思い立った。店には反戦平和の残党やかぶれ者が集いその中にはイラストレーター、詩人、文学青年達が少なくなかった。彼らこそ本作りには打ってつけの人材と思い、彼らをまとめて新たなタウン誌『タウンUP』を創刊しようと思い立った。それは路頭に彷徨うが如き彼らに指針を与えるのと同時に店の発展にもつながると確信したからでもあった。

雑誌作りは周りの支援も受けて予定通り進み三千部印刷して二千部以上が売れた。初出版にしてはまあまあ満足すべき結果ではあったが『創刊準備号』ってコトで広告収入はゼロ。準備号をたたき台にそこから広告を取っていくはずやった。

ところがね、見えなかった落とし穴がポッカリ口を開けて待っていたんやな。

反体制、反権力運動に走れたり、首を突っ込む事は出来ても、また本を作る文化的な仕事は出来ても、事、実利の営業になると屁の突っ張りにもならん者ばっかりやった。営業の主力はもっぱらオレ一人という状態が待ち受けていた。

そのオレとて店があって夜の活動はでけへん、皆が広告取りに奔走するものと当然のように思っていたが、不器用さだけを曝け出すわ怖気づくわ、広告を取るのには思いもせえへんかった過酷な状況に陥ってしまった。結果的に創刊準備号だけでホシャッてしまった。

印刷代をはじめ色んな経費が借金となってオレ一人に百万以上のしかかってきたわな。

途方に暮れて、山ちゃんにボヤイてしまった。

「兄さん、百万位やったらつこうてや」

意図も簡単に言われたんやな。

 闇の金融屋の高利貸しで過酷に取り立てる山ちゃんが、利息ナシ、催促ナシ、オレを助けてくれた。その心意気が嬉しくて今まで以上に山ちゃんの存在を認めた。一年がかりで返しはしたものの、これは大いな借りそのもので、そんな事情もあって長い深い付合いになっていた。



 鬼気迫る眼差しの山ちゃんの瞳が一瞬キラリと光り潤みを帯びたような。心なしか表情が崩れた。いや、歪んだと言うべきか。それでも視線は外さず瞬きもせんとカッと見開いたままオレを睨みつけいてる。鋭利な刃物の切っ先を突きつけられたような、肌はヒリヒリと、爆ぜる寸前の緊迫感が空気を冷え冷えと乾燥させていた。

 ヤクザになった事はなかったが、それでも若い頃からのケンカ人生。形相の凄みでは山ちゃんの比ではないけど、仮に彼と乱闘になってもオレには充分勝てる自信はあった。

 やのに、闘争の構えは全く湧くでなく、どっちかと言うと谷底を覘いている不安定さとも言うか足元からスーッと寒い感覚が忍び寄り、哀しいモノに胸中を侵蝕されていた。

 差別と反逆、そして孤独な魂。

 山ちゃんみたいな者が店に来るのは歓迎でけへん。そやけど、妹との関連を外れたところで、何かオレの裏に潜む孤独感と反逆の野獣に似たものと噛み合うのを覚えていた。

極道、外道を地で行く山ちゃんの苛烈な反逆と、社会の在り様を由とせず背を向けて何にも組せず独りで生きているオレもアウトロー。その共有感が核になって交わりを持たせていたんかも知れへん。



 突如、ドーンと衝撃音が狭い店に響いた。

 山ちゃんはカウンターに両腕を叩きつけるようにして立ち上がった。

「じゃかましいわい。分かったわ。ワレーッ、やっぱりエエ根性さらしてるのぉ。日本人がなんじゃい。チョンコがどないしてん。オレは負けへんのじゃい。もうな、二度とな、ここへはけえへん。マスター、兄さんもあんじょう店やっとけや」

 吠えるように叫んで山ちゃんはサッと踵を返し荒々しく出て行った。

 その後姿を見送る。何でやろ、寂しさがどっと押し寄せてきた。

 山ちゃんの歩んだ道。

 ぐれて暴れて少年院から刑務所と渡ってきて、カネの亡者になって夜の裏街道を強かに突き切っていく。その起因は差別にあった。差別を力で突破しようとヤクザに走る者は少なくない。そして、差別され続けた者が、別の差別の人達を蔑む。そんな矛盾した情景をオレはどうしようもなく哀しく見つめてしまう。

膿んでいるんや。山ちゃんも膿んでいる。屈辱と無念から生まれる鬱積した寂しさを内包して荒々しく生きるしかでけへん。体で感じた屈辱の憤怒だけが全てであって歪んだ社会の根源を見極める術もなく、社会の外れた処で暴力を背景に生きようとして突出するが余り、自分より以下の蔑む者を見出して上であろうとする、非論理の膿が自ずと蓄積されているんや。それって、哀しいと思うオレなんやな。

 ふと周りを見た。先ず妻が不安な眼差しでオレを凝視している。客達はそれとは違う緊張が溶けない不安な視線を送っていた。店がポカッと白けた空間になっていた。

 山ちゃんはそれ以来プッツリ顔を見せんようになった。同時に出入りしていた松っちゃん達のヤクザもけえへんようになった。そこに何かの因果関係があったのかどうか知る由もなかったが、それで彼等との関係が断ち切れた。

 突如訪れた願ってもない展開はそれ以降も長く平穏に続いた。

良かったと思う。山ちゃんの不注意な失言が思わぬところで店を望み通りに戻したんや。

思い起こせば、生まれ育った大正区の大運橋で一九六五年に最初の店を開いて以来、ヤクザ関係を断ち切った平穏な時代でもあった。

確か一九七三年頃の記憶やったと思う。以来、生玉に店を出すまで久しくヤクザとの接点は一切なかった。





大正区の場末で

一九六七年に初めてスナックを始めた。

大正区のどん詰まり、通称「大運橋(だいうんばし)」は工場の町、鉄錆の匂いが漂い煤煙が上空をよぎり覆い尽くす、混濁した空気が消えない町では人々の荒んだ生活観が満ち溢れていた。争いごと、ケンカ騒ぎ刃傷沙汰は日常を支配していて、時には殺人も起きる町には当然のようにチンピラやヤクザ共がはびこっていた。そんな輩が時々顔を出しては店に威圧をかけてきたり、嫌がらせやこけおどしにも来る。血気盛んな若いオレはその都度体を張って対処してきた。

 今でも鮮明に思い出すのは店に六人の若いチンピラ共が押し入ってきた時の事。

 開店間もない未だお客の一人も来ていない早い時間、トーンと軽く響いてドアが内に開けられた。クッと顎を突き出し猫背で肩を怒らせ両手をズボンのポケットに突っ込み、体を左右にユッサユッサ揺らしながら如何にもチンピラ然とした若い男が入ってきた。続いて同じような者が一人、二人、合計六人が続々入ってきた。どれもがヘラヘラニヤニヤ薄笑いを浮かべ店の隅々を舐めるように見渡し、カウンターの椅子を乱暴に引きヨッコラショと腰をかけた。

八人がけのカウンターだけの狭い店。そこにずらりと座られたらそれでいっぱいって感じ。そいつらが入ってきた瞬間にオレの顔は険しくなっていたと思う。

 その中には幼い頃から知っている年下の者も居て、へぇー何でコイツがヤーコにと訝ったものの、そやから言うてオレの険しい顔が崩れる理由にはなれへん。

 ヨーロッパの田舎、多分ドイツの田舎の農家をイメージして作った店。柱とか木部はマホガニー色に統一して柱と柱の間は漆喰を白く塗りこめた壁。

 照明はマホガニーに溶け込むように茶色いランタンでほんのり薄暗く照らし。ほの暗い店の奥の突き当たりにジュークボックスのカラフルな弱い光が浮き立つ。

 当時は未だジャズを知らなかったから、エルビス・プレッスリーが大好きで、ローリングストーンズとかも好きで、はたまた映画音楽とかを入れたりで、大正区の場末にしては異色の気取った構えを演出していた。

ソイツ等はカウンターに座ったものの誰一人としてオーダーしようともせえへん。

 それどころかカウンターの備品や飾り物を手に取り、裏に返しては「ケッ、しょうむないもん置きさらして」とか「何や此処は女も居れへんのかい」とか明らかに露骨な嫌がらせに来ていやがる。一人がジュークボックスを覗き込んで

「何や訳の分からんもの入ってるで、歌謡曲の一つも入っとれへんやんけ」

とジュークボックスの上に尻を乗せた。と同時に真ん中に居たリーダー格がカウンターの上に足を投げ出しニヤニヤと下卑た笑いで店内をあちこちと舐めるように見渡す。



 この二年前、二二才で喫茶店を開業した。

実家の隣町の南恩加島にあったラブホテルの一階が居抜の喫茶店で、什器も何もかもそろっていて借りる決心をした。コーヒーの点て方も酒の種類も知らず、ましてや料理さえも覚束ないのにここで初めて独立した。

中卒の学歴では正社員としての就職は絶望的で、あるのは時給の店員か僅かな日給の職工とか肉体労働でしかなかった。それに甘んじられない蓮っ葉な負けん気が、必ず儲けて浮上したると、最初はミシン、続いて不動産、先物取引等の営業や怪しげな業界誌の営業記者と渡り歩いた。どれも学歴でなく実力が評価されるのが魅力やった。不動産をやっていた頃の半年ほどは二十歳の若造にしては不相応な荒稼ぎができたが、それは勤めていた会社が全国で詐欺としか言いようのない山野商法を組織的にやっていたから若いオレにもおこぼれがあった訳で、経験も知識も力量さえも備わっていない若いオレにはどれも何をやっても巧くいかず、結果は惨敗でしかなかった。

折りしもその年に長男が誕生して、父親としては若過ぎる二二歳であった。

一攫千金を夢見て海千山千の大人達の中に飛び込んで翻弄されながらも悪知恵だけを覚えたものの、惨めな敗北を省みて、子供を育てる父親として堅実に慎ましく働く事を決意した。近所の大手鉄工所で職工の手元、日給一三〇〇円と明らかに低所得なんや。

妻には住まいの入り口を改造してパンとか駄菓子に牛乳とかの飲料水を細々と商をさせていて、そのあがりの中から毎日五〇〇円を信用金庫へ日掛け貯金をさせていた。

 隣町で居抜の喫茶店を見つけ、中を見せてもらった。約十五坪、四人がけのテーブルが五卓に調理場のカウンターは五人が座れる。通りに面していて前は映画館にショッピングセンターと立地条件には申し分ない。保証金二〇万円。家賃四万円。

 難点は上に家主が経営するラブホテルと、同じ屋根の下で店の背後が家主の住居。それでも若いオレはやる気に燃えた。それは冒険というより、自分の力を際限まで出し尽くし確実に稼げるのを目指した。

保証金二〇万円は日掛け貯金が一年満期で丁度二〇万円。信用金庫に話すと満期分を融資するときた。ならば身一つで商売を始められる。

 当時はコーヒーが七〇円。月に二〇万円売り上げを見越したら、一〇万円以上の収入が見込まれるはずや、鉄工所で休まず働いても精々四万円そこそこ、独立して収入が上がるならと飛びついた。

 コーヒー屋にコーヒーの点て方を教えてもらい酒の種類も覚え、必死に料理にも取り組んで、モーニングから深夜まで無休で働いた。睡眠時間は平均三時間ぐらいやったかな。

 努力の甲斐があって売り上げは三〇万円を超える月もあった。

 そうなると欲が出てきて、一年後、妻が営むパン屋を改装して、サイホンで点てるコーヒーを当時としては破格の一五〇円で出す高級喫茶店を目指し、思いきって大金七〇万を改装費に当てて初めて自分の設計による店を造った。

それなら妻一人でもやっていけるし、実家が隣だけに母や妹達も手伝いになる。

それも半年ほどやると更に欲が出て、借りいてる家賃がバカらしくなったのと、裏が家主というのは色々衝突する事も増えて煩わしくなったのも大きな要素となり、一五〇円の高いコーヒーでもコーヒーはコーヒー、精々二杯止まりで長居されてたいした売り上げになれへん。これは打破せなアカンやろと考えた。

 ならば、酒を売るスナックに変貌させたら売り上げはもっと上がるはずやと、思い立つと直ぐ実行のオレは、隣町の喫茶店から撤退して妻と二人で昼は喫茶店、夕方から深夜までスナックに切り替えて精を出した。

追々お客も膨らんで行き、常連も増える。元々寡黙で酒の弱かったオレが店では冗舌にもなり酒もドンドン強くなって益々商売に意欲を燃やしていた。

 ところが。

 オレの生まれ育った大正区の通称『大運橋』という町は、六〇年代、大中小の工場が点在密集して、住民は労働者が主体の下町。

 当時はまだまだあからさまに差別されていた朝鮮地区、韓国地区、沖縄地区が肩を寄せ合うようにして小さな集落を作り日本人に囲まれるように暮らしていた。

 工場の町やから正規の社員より下請け孫請け業者の日雇い労働者が圧倒的に多かった。

下請けにはヤクザも多く、労働者へのピンハネは何重にも仕組まれていた。町には三畳一間とか四畳半一間のアパートが点在して地方から集まってくる労働者の住処であったり、流れ者や与太者たちの棲家でもあった。それら労働者、流れ者をピンハネするヤクザや新興暴力団の愚連隊共が顔を効かす地域には、立ち飲みの安酒場、怪しげなバーやホテル、パチンコ屋、スマートボール屋、映画館も場末ながら二軒もあり、荒んで爛れた表情を持つ町でもあった。そんな環境で育ったオレもケンカ人生を男と思い込み生きてきた。

 地元の暴力団が何するものぞと恐れる風もなく、ま、かっこつけて言えば体を張っていた訳で、ましてその中に幼い頃から知っている年下のヤツが居るような三下相手でははなっから呑んでかかっていた。



 リーダー格がカウンターに足を投げ出したのを潮に、よしここまでやと見切りをつけた。

「こらぁっ、お前ら、外に出んかい」

 粗い大声がオレの口から炸裂した。その一喝で全員が立ち上がり挑むように身構えた。

「なんやとう。外へ出ぇってどういうこっちゃ。オンドリャいてもらいたいんか」

 オレよりかチョッと年上と思われるリーダー格が直ぐに反応して凄んできた。

「外へ出ぇちゅうのは、外へ出ぇっちゅうコトや」

「外へ出てどないさらすんじゃい、ワレーッ」

「まぁ兄ちゃん、俺らチョッと飲みに来ただけやし」

 知っている年下のヤツが今更窺うようにとりなしてきた。

「グダグタぬかさんと、お前ら外へ出んかい」

「なんやとぉ、オンドリャーッ、ホンマにいてこますどう」

 カウンターの奥の端は出入りできるように少し空けていた。オレはリーダー格を睨みつけたままカウンターの外へゆっくりした歩調で出て行き彼の前に立った。立つや否や右手でソイツの胸をドンと押した。

「出え言うたら出んかい。このボケが」

 カウンターから出るオレの動きを見ていたソイツの表情から忽ち血の気が退くように心なしか蒼ざめ見開いたままの目は何か不思議なものを見るようにポケーッとしていた。

 オレがそれを見逃す訳がない。コイツ等はカッコばかり粋がって中身はチョロイ小心者なんや。徒党を組み群れを頼りに仲間の手前やから強がって脅しをかけてくる。当然、脅される相手はビビッて怖気づき、侘びや泣きを入れたりするものと思い込んでいるから、それが通じへん者に対する出方はインプットされてへん。

 かと言って現実に暴力を仕掛けるには、平然と一人で多勢に向かってくる者ってのは得体が知れず薄気味悪い。その意外性がわずかにも恐れを誘発して、呆気にとられポカーンとした表情から怯えを浮き立たせた表情へ変わるのに時間は必要なかった。

 中学生の頃からケンカ三昧やったオレにはそんなヤツ等の心情が容易く汲み取れる。そやからこそ、一押し二押しと追い詰めて二度とふざけた真似をさせんように完膚なきまで

叩き潰す気迫で迫っていった。

「俺ら、ただ飲みに来ただけやのに何で外へ出て行け言われなアカンねん」

「お前らに飲ます酒は置いてへんのじゃい」

「分かったよ。帰ったらエエねんやろ」

「アカンなアホンダラ。ただ帰す訳にはいかんのじゃい。ボケが」

「ほな、どうしたらエエねん」

 チンピラが徒党を組んで新興の暴力団入りして弱い者狩りしかしてへん青二才ども。修羅場など経験もしてへんから、一旦崩れると歯止めがない。立ち直るなんて不可能。怯えで表情も声も弱々しく哀願が露になって萎みきった態度になっていた。

 そこを更に追い討ちをかけ、もう一度、今度は強く力を入れドーンと胸を突いた。

 反り返ってヨタヨタと足をもつれさせて後ろに退った。

「とにかく外へ出んかい」と一喝。

「出てどないすんねん」

「店の中やったらな、物も壊れたりするかもな。外へ出てオンドレをコテンパンにいてこましたるんじゃい」

「そんな無茶言わんといてぇな。俺ら、実際なにもしてへんし。堪忍してぇや」

「アカンな。オンドレ等みたいなドアホは痛い目に合わな分かれへんのじゃい」

 後の五人は既に逃げ腰で、何が何でもオレと目線を合わさんよう必死の努力をしている。

「兄ちゃん、もうエエやん、堪忍してぇや。俺らが悪かったから、そんなキツイ事言わんといてぇや。なぁ、チッコイ頃から知ってる仲やん」

 幼い頃から知っていた年下のヤツが必死で許しを乞うてきた。

「アホかお前は、チッコイ頃から知ってた言うねんんやったら何やねん、お前らのさっきのざまは、ボケが許す訳にはいかんのじゃい」

「そやから、俺らが悪かったって誤ってんねん。頼むから堪忍してぇや」

「ほうか、ほな鼻っ面潰すか歯の一本も折るぐらいにしとったろか」

「すんまへん。謝ります。そやからホンマにカンニンしてください。お願いします」

 リーダー格が頭を下げて必死の哀願をしてきた。

 オレはもう噴出したいくらいの爆笑を抑え、更に押し殺した低い声で、

「お前ら、ホンマに謝ってんねんな」

「ハイッ、ホンマにすんませんでした」

「謝ったから許される思ったらアカンど。そやけどな、コイツの顔も立ててやな、ドツクのは止めとったろか。その代わりな、一つオレと約束せえや」

「分かりました。どんな事ですか」

「よしっ、その前に土下座せんかい」

「ハイッ分かりました」

 言うや否や全員が膝を折ってひれ伏し土下座した。もう可笑しゅうて腹ん中でゲラゲラ笑っていたもんや。そやけど顔つきは相変わらず怒りを噴出させたままで

「うん、まぁそれでエエやろ。よっしゃ、オレが今から言う事をよう聞くんやど。お前らがチンピラでしょうもないヤーコになろうがどうしょうがオレにはどうでもエエこつちゃ。そんな知った事か。そやけどな、世の中はそんなお前らみたいなヤツ等が少数やねん。ほとんどの人が真面目に働いてんねんど。特に商売している人はな、毎日売り上げがどの位あるんやろうと必死や。このオレかってな、この店出すのにはな、借金してやな、エエ店にしようと毎日が必死や。そんな一生懸命働いている人らにタカッたり嫌がらせしたり、お前らはして来たやろ。

オレやからお前らみたいなチンピラなんか平気やけど、普通の世間の人らはそんなお前らでも怖がる人が多いんや。ま、そこらを知ってお前らも調子に乗ってやっとんやけど、オレはそれが許されへんのじゃい。エエかこれからは絶対すんなよ。絶対せえへんとオレに約束せえ。その約束が守られへんかったらお前ら一人一人を見つけ出して、その時こそ足腰立てんくらいいてこましたるからな。言うたら、弱い者イジメするなっちゅうこっちゃ。分かったか。約束やど」

前述がすべて再現できたかどうか、多分こんな話やったと思う。

二〇歳前後の若者やからこういうのも通じるが、これが年季の入ったヤクザや極道者にはそうはいかんやろう。