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2011年10月6日木曜日

北九州市「自分史文学賞」応募用『無血の抗争』 本章1

― 本章 ―



屋号の枕に『ジャズ』

 生玉の物件を見て思わず「よっしゃっ」と手を叩いた。

 千日前通に面した谷九と下寺町の上り坂のほぼ真ん中。十六階建てのマンション。

 歩道から四メートルほど奥まって建てられていた。その一階正面の左角。一階三五坪、二階が二五坪と上下一体の空間。そして前は歩道まで約四メートルの専用敷地。

 それを見た瞬間「丸太のデッキが作れる」とイメージした。

 三〇〇万円の保証金。当時四〇万円の家賃。保証金に一〇〇万円。後は長期の分割払い。四〇万円の家賃は大きいが、二階は三LDKに匹敵して家族四人がゆうに暮らせる広さなら、別にマンションを借りるよりお得じゃろうと思った。

 一階は歪なL型で曲ったところからの空間は広い。間口四メートル。道路までの専用敷地には丸太のデッキと横に車庫を設ける。入口の空間を店にして、奥は多目的ホールと、一日で内装の大雑把な思案をまとめた。

 まるで怪しい宗教にでもとり憑かれたかのように常軌を逸した凄まじさで前へツンのめて行く。ここぞと思ったらろくに検証もせんと、自分の閃きと計算を信じて疑わず、猪突猛進するオレであって、後でいつもそれを悪い癖と反省しつつも、何処かで、これも背負った己の性じゃとザックリ受けて流す。そんなオレを周りではハラハラ見つめる者あり、一方で賛同して期待を込めて支援の手を差しのべる者ありと二分される。

 一九八九年、周りの一部の者から無謀と言われながら信州木島平村で日本一巨大なログハウス建築に着手した時は、多くの人の夢をオレが実現するんやと、突っ込んでいった。

 オレの凄まじさからはどちらかと言うと後者が目立ち多数派であって、その人達にコレまでどれほど助けられ、どれだけ迷惑の限りを尽くしてきたか。



九年間建て続けてきた日本一巨大ログハウスのロッジ街山荘が、一九九八年十二月、冬の晴れ渡った穏やかな朝、車二台だけを残し他は全て焼失。一変して奈落の底に叩き落され、膨大な借金を背負ったまま敗軍の落ち武者のように生まれ故郷の大阪へ舞い戻った。

翌年の二月、千日前で十五坪の『JazzShotBAR 火の鳥 街山荘』を開業。千日前で店を出すのはこれで二回目になる。一回目は一九七〇年、同じ通りの少し北よりやから、何か因縁めいたものを感じてしまう。すなわちゼロから励めと言われているようで。

 屋号の『火の鳥』とは全焼した山荘の再建へ火の鳥の如く甦れとの悲願を込めてつけた。

 全焼して膨大な借金を抱えて、店を開業できたのはそれこそ全国のお客さんを主流にした数多くの人達からの心のこもった見舞金が寄せられて叶えられた。

 『火の鳥』は四ヶ月も過ぎた頃から業績は鰻登りに上向いて、再建への意欲に拍車がかかり、更に欲を出してもっと広い一階の通りに面した店へ躍進しようと一年も経過した頃から移転先を物色し始めていた。

 火の鳥は吉本興業が運営するナンバグランド花月NGKの直ぐ傍で店には吉本の芸人さん達も来るようになっていた。NGKの脇に通りの真ん中まで派手な看板を出しているたこ焼屋があって、そこの店主も飲みに来るようになった。彼は大阪市内に何軒かのたこ焼の店を持っていて更に拡張しようと虎視眈々としていた。

 んで、オレの店を見て次はウッディーな丸太作りの店にしたいから作って欲しいと依頼してきた。元より酒を商う飲み屋より丸太相手の造作が大好きなオレ、二言返事で引き受けた。依頼された物件は千日前通りと松屋町筋の交差点、生玉神社参道の入り口、大鳥居の脇、下寺町の西南角にあった。昼はそこで丸太のたこ焼屋造りに勤しみ、夜は深夜まで火の鳥を営業した。そんなある日、あんまり馴染みのない下寺町、生玉界隈をふと探索する気になってブラブラ歩いていると、下寺町から谷九に向かう坂の丁度真ん中辺りにこの生玉の物件と巡りあったと言う訳なんや。たこ焼き屋を完成さすと、直ぐに契約して河内長野森林組合から長さ四メートルの丸太の原木数十本を大型のトラックに山積みして搬入させた。それを契約物件の前の占有敷地に山と積み上げて作業にかかった。大阪の都会に突如現れた原木の山。道行く人はビックリ、その多くの人が興味津々と覗いていく。「何ができまんねん」一日に何人もの質問を受ける。

 マンションが林立する地域柄、繁華街と違って地域密着型の商いになると思うからオレの性格と相反して丁寧に受け応えしながら意気揚々と作業は毎日順調に進んでいった。

 そんな中で「エッ」と不快な光景が再々展開されているのが気になった。

 時には道路の片側に車を連ね、十数人の黒い背広姿の男たちが通行人を威嚇するように歩道で屯していやがる。

 車のナンバーの多くは神戸やんけ。神戸と言えば日本一の巨大組織を誇るY組。

何、コレッと、マンションの管理人や近所の人達に聞けば、同じマンションと隣のマンションや後ろのマンションにヤクザの組事務所が四つもあるちゅうやん。

 何を隠そう、いやいや隠さへん、オレの大嫌いな順でいくと政治家、警察権力、ヤクザ、医者と、ヤクザは上位三番目になる。それが群れるド真ん中に入ってしまった訳で、これはえらいとこに来たもんぜよと、後悔は後の祭りときた。

 物件と立地条件だけを見て「よっしゃ」と手を打ち決めたら最後、脇目も振らず突き進んだ。脇目も振らなアカンねんな。充分調査して初めから分かっていたら絶対けえへんのにと、カリカリ地団駄踏む思い。来てしもうたものはしょうがない。ヤクザなんかが入りとうない店にするこっちゃ。



 一九七〇年。万博が終わった九月に千日前で店を出してからずっと屋号の枕に『ジャズ』を掲げてきた。その頃、繁華街ミナミの夜の世相はかなり殺伐としていた。巷ではもめ事や喧嘩は当たり前。チンピラ、ヤクザがはばかることなく横行してしいた時代。

 下手してうっかり店を出したもんなら、ここはシマ内や、やれショバ代を払えだの用心棒代を払えのと、無法な強要や脅しをしてくるヤクザ、暴力団の全盛の時代やった。

 そんな輩が来たところで撃退する気概には燃えていたものの、できたら初めから係わらんで済むようにするのが一番と考えるのも当然やろう。

 当時、すでに廃り気味やったがジュータンバーと言われる店が隠れ家のようにミナミの繁華街には点在していた。オレもそれを目指した。

 入り口で履物を脱いで入る店。店内にはジュータン(実はカーペットなんやけど)が敷き詰められていてテーブルも低く、じかに床に座れて足も伸ばしたりできるから、リラックスムードで酒を飲んだりお喋りしたり騒いだりできる。

表社会からは裏面に位置したアングラ、サイケデリックと言われた文化を当時の若者の感性が受け入れた最盛期の頃で、そんな店こそ時代のニーズに適用すると確信した。

 ところがそんな店こそ、かえってヤクザ、暴力団の標的になりそうに思った。

 そこで初めて屋号の『街』の枕に『ジャズ・バー』をつけた。ジャズをやっている店にヤクザもチンピラもけえへんと考えた。

 本来はリズミカルに楽しむはずのジャズを、神様と称されたジョン・コルトレーンがジャズの資質をまるで哲学までに高めるように難解なものにしてきた結果、前衛ジャズが主流のように浮上してきた。

 当時やたらと多かったジャズ喫茶では、話もでけへんくらいに大音響が炸裂する空間で、飲む気もないのにコーヒーカップを前に置き腕を組んで瞑想するかのように聴き入るのがスタイルやった。ワシャそういうのは肌に合わんぞ。見ただけで白けさせられるんや。

 ジャズはリズムやんけ、音を体に受けて足とか指先でリズムをとりながら楽しく聴くもんぜよ。んで、コーヒーでなく酒やないとアカンねんと思う。それは今も変わず、そやから何十年も酒を提供するジャズバーをやってきた。

 六〇年代、学園紛争の兆しが見え出した少し前辺りからそんなジャズ喫茶がやたらと多くなった。集まるのはにわか全共闘や何処にも所属しないで気分だけのノンポリと言われた大多数の学生が主体のようであったかな。

 全共闘も反戦青年委員会も革命諸派(オレもその一員やった)も激しい闘争をへて、権力の苛烈な弾圧の嵐の中で敗退を余儀なくされ崩壊し、霧散し、表面的には影すらも消えたようにいなくなっても、ジャズを聴く当時の若者のスタイルは相変わらずやった。

そこでジャズを枕詞につけたバーであったら、そんな所へヤクザもチンピラも出入りする訳がないやろうと読んだ。その目論みしばらくは正しかった。

 看板はジャズバーでも店ではR&Bとかフォークソングやブルースにロックなど何でもありでアングラ、サイケデリック調の『ジャズバー街(まち)』は繁盛していった。





高利貸し山ちゃんと、組長の松っちゃん

 十年も続けた千日前の『ジャズバー街(まち)』。その間、全くヤクザと縁もなく係わりもなかった訳ではなかった。ヤクザも客で来るのは稀にあった。そやけどこんな店に一人で来るヤクザは自分がヤクザである気配を殺して店の雰囲気にヒッソリ溶け込んで傍目には分かれへん。オレがそれを見抜いてしまうのは、若い頃からケンカや闘争の中に体を晒して生きてきた自分の獣的臭覚が嗅ぎ取る。であっても、気配を殺している者には彼に合わせてそっとしておいた。

 ところがそんな中に、小さな組織のヤクザの組長はじめ組員が出入りするようになって、さぁどうすべぇと困り果て、思案の日々を過ごした時期もあった。

 山ちゃんというのが妹の彼氏?になって家に遊びに来るようになった。オレの住いは実家が経営するアパートの一角。実家は路地を隔てた直ぐ横。

 山ちゃんは子供好きなのか遊びにくると、その頃まだ幼児やったオレの長男を必ず連れ出して一緒に遊んでいる光景と時々出く合わした。

 そんな時、山ちゃんは相好を崩して実に人懐っこくオレに接してきて「兄さん」と下にも置かん丁寧な態度を崩せへん。山ちゃんはオレより二つ年上。物腰柔らかい丁寧な中にも気圧されるような凄味が内蔵されていた。山ちゃんの稼業は裏の金融業。つまり、ヤクザやホステスとか夜の商売の人達相手に高利貸しをやっていた。

大きい顔の真ん中に鼻が胡坐をかいたように居座って厳つい面構えがどう見てもヤクザをも凌ぐ凄みを醸し出していた。ソイツが店に来るようになった

 その内、彼と懇意な組長が一緒に来るようになった。その組長は山ちゃんよりまた二つ年上やけど組長としては若い。その組長、松っちゃんと山ちゃんがつるむのはやっぱり金が絡んでいた。山ちゃんから組の資金を時々用立ててもらっていたようで、返済の遅れが原因で口論する場面もあって、遂、オレが仲に入って取り成していたら、いつしか、松っちゃんは山ちゃんを超えてオレに慣れ親しんでくるようになった。

組長が来るという事は必ず二、三人のお付きの組員も一緒に来る。山ちゃん一人でも店にはチト困ったもんぜよと思うのに、小さな組とは言え一つのヤクザの組が出入りするのは流石にマズイ。ここらで釘を刺ささんと店に一般のお客が激減する恐れがあった。

「松っちゃんな、親しんで来てくれるのは嬉しいし、オレも松っちゃんの表裏のない性格は好きや。ただなぁ、見ても分ってもらえると思うんやけど、この店は普通の若いお客が集まるとこやろ。松っちゃんらがそれを心得てくれて気いつこうてくれてるのはよう分ってんねん。それに今のところお客も日頃接しえへんヤクザと仲よう話ができるのを物珍しさで嫌がってもせえへん。そやけどな、やっぱりアカンねんな。オレはヤクザが大嫌いや。けどな、松っちゃんは嫌いちゃう。例えばオレが外でそんなつながりを持つんやったら問題ないねんけど、店はアカンねん」

「う~ん」

「来るんやったら時々にして松っちゃん一人で来てくれへんか」

「そらそうやな。オヤッサン、マスターの言う通りやで。ワシ等が来る店とちゃうで」

 代貸格の子分が深く頷いた。

「そうかぁ、やっぱりな、アカンのやな。そう思って俺は気いつけとったんやけどな。そうやなぁ、こうゾロゾロ来とったらアカンわな。分ったマスター、もうあんまり顔出さんようにするわ。マスターも店を気張ってや。ほんでな何かあったら言うてや、俺らすぐ飛んでくるさかいな」

 スッキリアッサリ、来るなとだけは言われへん。

遠まわしに言うてしまうのは、どんなに馴染んで仲良しにしていても、ヤクザはヤクザ。構成員十人ほどの小さな組織でもオレ一人では正面きってきつく言うのはケンカを売るようで流石に退けるもんがあった。媚びるでなく対等かそれ以上の気概を保ちながら、それでいて相手の面子も立てるように、オレとしてはそれなりに必死でもあった。

 で、松っちゃん達も不承不承オレの意図を汲んで従う姿勢を示してくれたので、一件落着とホッとして、従来通り普通に店をやっていけると思ったのも束の間、それから余り間も置けへんある日、松っちゃんが一人でやってきた。嬉しそうに優しい笑顔で話してきた。

「マスター、ヤクザが大嫌いや言うのんはよう分かってんねんけどな、俺はなマスターの一匹狼的な心意気に惚れてしもうてんねん。そやのに店にもあんまり顔出すな言われたらどうにも落ち着けへんねんな。色々考えたんやけど、この前、外での付き合いやったらエエって言うてたやん。そやったらマスターが俺らの事務所にチョクチョク顔出してくれたらと思ってな。どや、ウチの組の客分か顧問になってくれへんか。組の奴等にも言うたら皆そらぁエエってことになってな。その事だけで今日こうして訪ねてきたんや」

 当時はホンマにヤクザ全盛時代とでも言うかとにかく数が多かった。

 ヤクザと右翼に新左翼等の小さい組織は雨後の筍のように生まれては、しのぎを削って消されたり潰されていた時代やった。

 大きい組織は、小さい組織を傘下に収め勢力を伸ばして、対抗する組織を牽制しようする暴力団世界の事情があったようで。

 松っちゃんとこのような小さい組織は少しでも組を大きく強くしたいし、一人でも組員を増やしたい。そんなとこで見初められたオレ。そんなもん心外でしか在り得へん。

「アホなこと言わんといてや。オレは松っちゃんをヤクザとして付き合おてんのんちゃうで。松っちゃんは松っちゃんとして好きなだけや。むしろ、オレの方が松っちゃに堅気になれやと言いたいんやで。そんな話を持ってこられても迷惑なだけやで」

 強くキッパリ断るオレの姿勢が予想外やったのか「う~ん」と腕組みして首を傾げてしばらく無言でいて「分かった。俺が浅はかやったな」と落胆を隠しきれない面持ちで松っちゃんは諦めざるを得んかった。

 松っちゃんとのそんなやり取りと関係なく相変わらず山ちゃんは気ままに店に来ていた。

ある日、店が立て込んで忙殺されていた所へ電話が鳴った。山ちゃんやった。「悪い、今忙しいから電話後にして」と電話を切った。ものの十分もせん内に山ちゃんが血相変えて飛び込んで来た。

「何でや、何で俺の電話を一方的に切るねん。おかしいやんけ」

「えっ」

「俺が電話したんや。何で切りさらすねん」

 顎を突き出し肩を怒らせ巻き舌で凄んできた。おっお、やっと本性出してきたか。そやけどここで一歩でも押される訳にはイカンやろ。やんわりと押し殺した低い声で

「何息巻いてんねん。メッチャ忙しいから山ちゃんやったら分ってもらえる思ってああ言うたんや。それが分ってくれへんのか」

「そうか、そやけどな喋らん内に切られたら腹立つで」

「そうかそれは悪かった。そやけどそんなん言うなや、親しいから出来るコトちゃうんか」

 山ちゃんはそれ以上何も言わず、むっと口を歪め不服さを顔いっぱいに残してその時は出て行った。結局何で電話してきたか怒りの余り本人も忘れてしもうていた。

それから何日か経った頃、飲んで調子に乗った山ちゃんが話の中でオレには絶対許されへん一言を飛び出させた。

「所詮アイツ等はヨツやし、アカンで」

と山ちゃんは事も無げに失言した。オレの反応は早かった。

「山ちゃん、その言い方は止めとけや」

「おっ、何でや、おかしいやんけ。なんぼ兄さんでも堪忍でけへんな。俺の言うことに止めとけとはどういうこっちゃ」

 先日の電話の件もあってか気持ちが尖ったままやったんやろう。一歩も譲らん気迫でスキンヘッドの見るからに強面が凄んできた。

 何かイヤーなものが喉元を苦くさせてきて唾を飲み込んだものの、ここはオレも絶対退いたらアカンとこや。差別用語が平気に飛び交い、差別をあからさまに容認してしまうような店には絶対しとうないし許されへん。



 父は明治の男。明治の男にとって妻は従者、子は所持品くらいにしか思ってへんかった。母は父に酷い暴行を時折受けていた。押し倒され、蹴られ、髪の毛を捉まれたまま引き摺りまわされ、その残虐な光景を目の当たりにすると、父の所持品である幼少のオレは我を忘れて父の巨体に取りついた。取りついても難なく振り払われ放りだされる。それでも立ち上がり取りつくのを幾度か繰り返す内に父は「オノレの躾が悪いからこんなガキが出来さらすんじゃい」と捨て台詞残して残虐なシーンは一旦収束する。

 中学も高学年になり、オレの体格もいつしか父のそれを上回る頃には父の暴虐も姿を消した。それでもオレは父を許さず憎み、父は子供たちの中でも唯一オレを疎んじた。

 高校に上がり二年の一学期で退学処分になった。以来社会に放り出されて喘ぐように生きていく中で、社会の多くの矛盾と出会い、「権力」と言う言葉を知った。

 父の存在は家庭の中での権力と言う悪でしかないとの認識を持つに至った。更に社会を検証し深く見ていくと、もっと巨大で極悪な権力が差別を生み、搾取を強要する縮図を知り、オレの中に反権力、反差別、反搾取の強固な意志が育まれ、いつしか闘いに打って出る行動も生まれてきた。つまりはこの世の仕組みの一切をひっくり返さなければ権力も、差別も、搾取もない世の中にはならないと、革命思考へと道は順序良くつながっていった。

 反米ベトナム反戦の闘争、沖縄奪還の闘争、成田空港反対闘争、朝鮮人韓国人への根強い差別政策の権力と行政への闘い、部落の解放闘争、野宿者への救援活動や権利の回復への闘い、と言うのが数年に及んだ若い頃の生き様であった。

 闘いから遠ざかっても原点の意思と信念には揺るぎがなく、生活の隅々に自己の思いを貫徹させる努力は忘れないでいた。そんなオレが山ちゃんの失言をたしなめない訳がない。

「オレもな、なんぼ山ちゃんでもヨツいう言い方は許されへんねん」

「おお、ワレよう言うてくれたやんけ。ヨツはヨツじゃい。許されへんてか、許されへんかったらどないさらすんじゃい」

カネの力とごり押しで世間を切り裂いて行こうとするアウトローの山ちゃん。話の中身より自分の言語を否定され遮られた、その事だけが沽券に関わり逆鱗に触れたと激怒を呼び起こし、是が非でも相手をねじ伏せようする。山ちゃんの一歩も引けない性が前面に噴出してきた。

「そうか、ほんだら言うけどな。山ちゃん・・・・・・・チョンコ呼ばわりされたらどう思うねん」

「・・・・・・・・・」

 山ちゃんは在日韓国人。生まれてから差別の真っ只中に置かれ、グレて暴れて鑑別所、刑務所と渡り、今じゃ夜の大阪で裏金融の稼業でしのぐ。

「アカンねん。差別したり偏見持ったりしたらアカンねん。オレはな、どんな偉いヤツでもドアホでも差別する奴は許されへんねん。そんなヤツはオレの敵や」

 スキンヘッド、凄味の顔が更に赤鬼の形相へと豹変させてオレをカッと睨みつけてきた。頬が歪み微妙に痙攣している。カウンターに置いた拳に力がこめられていてカウンター越しにオレを殴りにくるような凄まじい眼光を鋭く刺してきた。エエやろう。殴りに来い。一発二発ぐらいやったら殴られてたろうやんけ、オレも山ちゃんをキッと見据えた。

 山ちゃんとはオレから求めて付き合いが始まった訳とちゃう。むしろオレとしては彼のようなヤクザ紛いの人生を歩むアウトローとは関わりを持ちたくないと言うのが本音で、彼が彼でなかったら排除もしていたやろう。

ただある時期、オレも山ちゃんに大きな借りを作った。



一九七〇年九月二日に『ジャズバー街』を千日前の河原町でオープンした。

七〇年日米安保条約が苛烈な激しい反対闘争を弾圧し事もなげに批准され、民衆の関心を万博に導き表面いかにも平穏で豊かな経済国家の世相を演出した。

 その万博が終わった九月。

ジャズバー街は闘いに破れた残党やそれにかぶれた若者の集う店として産声をあげた。

その頃、関西で一世を風靡したタウン誌『プレイガイドジャーナル』が経営の破綻で潰れた。その後を引き継ごうと思い立った。店には反戦平和の残党やかぶれ者が集いその中にはイラストレーター、詩人、文学青年達が少なくなかった。彼らこそ本作りには打ってつけの人材と思い、彼らをまとめて新たなタウン誌『タウンUP』を創刊しようと思い立った。それは路頭に彷徨うが如き彼らに指針を与えるのと同時に店の発展にもつながると確信したからでもあった。

雑誌作りは周りの支援も受けて予定通り進み三千部印刷して二千部以上が売れた。初出版にしてはまあまあ満足すべき結果ではあったが『創刊準備号』ってコトで広告収入はゼロ。準備号をたたき台にそこから広告を取っていくはずやった。

ところがね、見えなかった落とし穴がポッカリ口を開けて待っていたんやな。

反体制、反権力運動に走れたり、首を突っ込む事は出来ても、また本を作る文化的な仕事は出来ても、事、実利の営業になると屁の突っ張りにもならん者ばっかりやった。営業の主力はもっぱらオレ一人という状態が待ち受けていた。

そのオレとて店があって夜の活動はでけへん、皆が広告取りに奔走するものと当然のように思っていたが、不器用さだけを曝け出すわ怖気づくわ、広告を取るのには思いもせえへんかった過酷な状況に陥ってしまった。結果的に創刊準備号だけでホシャッてしまった。

印刷代をはじめ色んな経費が借金となってオレ一人に百万以上のしかかってきたわな。

途方に暮れて、山ちゃんにボヤイてしまった。

「兄さん、百万位やったらつこうてや」

意図も簡単に言われたんやな。

 闇の金融屋の高利貸しで過酷に取り立てる山ちゃんが、利息ナシ、催促ナシ、オレを助けてくれた。その心意気が嬉しくて今まで以上に山ちゃんの存在を認めた。一年がかりで返しはしたものの、これは大いな借りそのもので、そんな事情もあって長い深い付合いになっていた。



 鬼気迫る眼差しの山ちゃんの瞳が一瞬キラリと光り潤みを帯びたような。心なしか表情が崩れた。いや、歪んだと言うべきか。それでも視線は外さず瞬きもせんとカッと見開いたままオレを睨みつけいてる。鋭利な刃物の切っ先を突きつけられたような、肌はヒリヒリと、爆ぜる寸前の緊迫感が空気を冷え冷えと乾燥させていた。

 ヤクザになった事はなかったが、それでも若い頃からのケンカ人生。形相の凄みでは山ちゃんの比ではないけど、仮に彼と乱闘になってもオレには充分勝てる自信はあった。

 やのに、闘争の構えは全く湧くでなく、どっちかと言うと谷底を覘いている不安定さとも言うか足元からスーッと寒い感覚が忍び寄り、哀しいモノに胸中を侵蝕されていた。

 差別と反逆、そして孤独な魂。

 山ちゃんみたいな者が店に来るのは歓迎でけへん。そやけど、妹との関連を外れたところで、何かオレの裏に潜む孤独感と反逆の野獣に似たものと噛み合うのを覚えていた。

極道、外道を地で行く山ちゃんの苛烈な反逆と、社会の在り様を由とせず背を向けて何にも組せず独りで生きているオレもアウトロー。その共有感が核になって交わりを持たせていたんかも知れへん。



 突如、ドーンと衝撃音が狭い店に響いた。

 山ちゃんはカウンターに両腕を叩きつけるようにして立ち上がった。

「じゃかましいわい。分かったわ。ワレーッ、やっぱりエエ根性さらしてるのぉ。日本人がなんじゃい。チョンコがどないしてん。オレは負けへんのじゃい。もうな、二度とな、ここへはけえへん。マスター、兄さんもあんじょう店やっとけや」

 吠えるように叫んで山ちゃんはサッと踵を返し荒々しく出て行った。

 その後姿を見送る。何でやろ、寂しさがどっと押し寄せてきた。

 山ちゃんの歩んだ道。

 ぐれて暴れて少年院から刑務所と渡ってきて、カネの亡者になって夜の裏街道を強かに突き切っていく。その起因は差別にあった。差別を力で突破しようとヤクザに走る者は少なくない。そして、差別され続けた者が、別の差別の人達を蔑む。そんな矛盾した情景をオレはどうしようもなく哀しく見つめてしまう。

膿んでいるんや。山ちゃんも膿んでいる。屈辱と無念から生まれる鬱積した寂しさを内包して荒々しく生きるしかでけへん。体で感じた屈辱の憤怒だけが全てであって歪んだ社会の根源を見極める術もなく、社会の外れた処で暴力を背景に生きようとして突出するが余り、自分より以下の蔑む者を見出して上であろうとする、非論理の膿が自ずと蓄積されているんや。それって、哀しいと思うオレなんやな。

 ふと周りを見た。先ず妻が不安な眼差しでオレを凝視している。客達はそれとは違う緊張が溶けない不安な視線を送っていた。店がポカッと白けた空間になっていた。

 山ちゃんはそれ以来プッツリ顔を見せんようになった。同時に出入りしていた松っちゃん達のヤクザもけえへんようになった。そこに何かの因果関係があったのかどうか知る由もなかったが、それで彼等との関係が断ち切れた。

 突如訪れた願ってもない展開はそれ以降も長く平穏に続いた。

良かったと思う。山ちゃんの不注意な失言が思わぬところで店を望み通りに戻したんや。

思い起こせば、生まれ育った大正区の大運橋で一九六五年に最初の店を開いて以来、ヤクザ関係を断ち切った平穏な時代でもあった。

確か一九七三年頃の記憶やったと思う。以来、生玉に店を出すまで久しくヤクザとの接点は一切なかった。





大正区の場末で

一九六七年に初めてスナックを始めた。

大正区のどん詰まり、通称「大運橋(だいうんばし)」は工場の町、鉄錆の匂いが漂い煤煙が上空をよぎり覆い尽くす、混濁した空気が消えない町では人々の荒んだ生活観が満ち溢れていた。争いごと、ケンカ騒ぎ刃傷沙汰は日常を支配していて、時には殺人も起きる町には当然のようにチンピラやヤクザ共がはびこっていた。そんな輩が時々顔を出しては店に威圧をかけてきたり、嫌がらせやこけおどしにも来る。血気盛んな若いオレはその都度体を張って対処してきた。

 今でも鮮明に思い出すのは店に六人の若いチンピラ共が押し入ってきた時の事。

 開店間もない未だお客の一人も来ていない早い時間、トーンと軽く響いてドアが内に開けられた。クッと顎を突き出し猫背で肩を怒らせ両手をズボンのポケットに突っ込み、体を左右にユッサユッサ揺らしながら如何にもチンピラ然とした若い男が入ってきた。続いて同じような者が一人、二人、合計六人が続々入ってきた。どれもがヘラヘラニヤニヤ薄笑いを浮かべ店の隅々を舐めるように見渡し、カウンターの椅子を乱暴に引きヨッコラショと腰をかけた。

八人がけのカウンターだけの狭い店。そこにずらりと座られたらそれでいっぱいって感じ。そいつらが入ってきた瞬間にオレの顔は険しくなっていたと思う。

 その中には幼い頃から知っている年下の者も居て、へぇー何でコイツがヤーコにと訝ったものの、そやから言うてオレの険しい顔が崩れる理由にはなれへん。

 ヨーロッパの田舎、多分ドイツの田舎の農家をイメージして作った店。柱とか木部はマホガニー色に統一して柱と柱の間は漆喰を白く塗りこめた壁。

 照明はマホガニーに溶け込むように茶色いランタンでほんのり薄暗く照らし。ほの暗い店の奥の突き当たりにジュークボックスのカラフルな弱い光が浮き立つ。

 当時は未だジャズを知らなかったから、エルビス・プレッスリーが大好きで、ローリングストーンズとかも好きで、はたまた映画音楽とかを入れたりで、大正区の場末にしては異色の気取った構えを演出していた。

ソイツ等はカウンターに座ったものの誰一人としてオーダーしようともせえへん。

 それどころかカウンターの備品や飾り物を手に取り、裏に返しては「ケッ、しょうむないもん置きさらして」とか「何や此処は女も居れへんのかい」とか明らかに露骨な嫌がらせに来ていやがる。一人がジュークボックスを覗き込んで

「何や訳の分からんもの入ってるで、歌謡曲の一つも入っとれへんやんけ」

とジュークボックスの上に尻を乗せた。と同時に真ん中に居たリーダー格がカウンターの上に足を投げ出しニヤニヤと下卑た笑いで店内をあちこちと舐めるように見渡す。



 この二年前、二二才で喫茶店を開業した。

実家の隣町の南恩加島にあったラブホテルの一階が居抜の喫茶店で、什器も何もかもそろっていて借りる決心をした。コーヒーの点て方も酒の種類も知らず、ましてや料理さえも覚束ないのにここで初めて独立した。

中卒の学歴では正社員としての就職は絶望的で、あるのは時給の店員か僅かな日給の職工とか肉体労働でしかなかった。それに甘んじられない蓮っ葉な負けん気が、必ず儲けて浮上したると、最初はミシン、続いて不動産、先物取引等の営業や怪しげな業界誌の営業記者と渡り歩いた。どれも学歴でなく実力が評価されるのが魅力やった。不動産をやっていた頃の半年ほどは二十歳の若造にしては不相応な荒稼ぎができたが、それは勤めていた会社が全国で詐欺としか言いようのない山野商法を組織的にやっていたから若いオレにもおこぼれがあった訳で、経験も知識も力量さえも備わっていない若いオレにはどれも何をやっても巧くいかず、結果は惨敗でしかなかった。

折りしもその年に長男が誕生して、父親としては若過ぎる二二歳であった。

一攫千金を夢見て海千山千の大人達の中に飛び込んで翻弄されながらも悪知恵だけを覚えたものの、惨めな敗北を省みて、子供を育てる父親として堅実に慎ましく働く事を決意した。近所の大手鉄工所で職工の手元、日給一三〇〇円と明らかに低所得なんや。

妻には住まいの入り口を改造してパンとか駄菓子に牛乳とかの飲料水を細々と商をさせていて、そのあがりの中から毎日五〇〇円を信用金庫へ日掛け貯金をさせていた。

 隣町で居抜の喫茶店を見つけ、中を見せてもらった。約十五坪、四人がけのテーブルが五卓に調理場のカウンターは五人が座れる。通りに面していて前は映画館にショッピングセンターと立地条件には申し分ない。保証金二〇万円。家賃四万円。

 難点は上に家主が経営するラブホテルと、同じ屋根の下で店の背後が家主の住居。それでも若いオレはやる気に燃えた。それは冒険というより、自分の力を際限まで出し尽くし確実に稼げるのを目指した。

保証金二〇万円は日掛け貯金が一年満期で丁度二〇万円。信用金庫に話すと満期分を融資するときた。ならば身一つで商売を始められる。

 当時はコーヒーが七〇円。月に二〇万円売り上げを見越したら、一〇万円以上の収入が見込まれるはずや、鉄工所で休まず働いても精々四万円そこそこ、独立して収入が上がるならと飛びついた。

 コーヒー屋にコーヒーの点て方を教えてもらい酒の種類も覚え、必死に料理にも取り組んで、モーニングから深夜まで無休で働いた。睡眠時間は平均三時間ぐらいやったかな。

 努力の甲斐があって売り上げは三〇万円を超える月もあった。

 そうなると欲が出てきて、一年後、妻が営むパン屋を改装して、サイホンで点てるコーヒーを当時としては破格の一五〇円で出す高級喫茶店を目指し、思いきって大金七〇万を改装費に当てて初めて自分の設計による店を造った。

それなら妻一人でもやっていけるし、実家が隣だけに母や妹達も手伝いになる。

それも半年ほどやると更に欲が出て、借りいてる家賃がバカらしくなったのと、裏が家主というのは色々衝突する事も増えて煩わしくなったのも大きな要素となり、一五〇円の高いコーヒーでもコーヒーはコーヒー、精々二杯止まりで長居されてたいした売り上げになれへん。これは打破せなアカンやろと考えた。

 ならば、酒を売るスナックに変貌させたら売り上げはもっと上がるはずやと、思い立つと直ぐ実行のオレは、隣町の喫茶店から撤退して妻と二人で昼は喫茶店、夕方から深夜までスナックに切り替えて精を出した。

追々お客も膨らんで行き、常連も増える。元々寡黙で酒の弱かったオレが店では冗舌にもなり酒もドンドン強くなって益々商売に意欲を燃やしていた。

 ところが。

 オレの生まれ育った大正区の通称『大運橋』という町は、六〇年代、大中小の工場が点在密集して、住民は労働者が主体の下町。

 当時はまだまだあからさまに差別されていた朝鮮地区、韓国地区、沖縄地区が肩を寄せ合うようにして小さな集落を作り日本人に囲まれるように暮らしていた。

 工場の町やから正規の社員より下請け孫請け業者の日雇い労働者が圧倒的に多かった。

下請けにはヤクザも多く、労働者へのピンハネは何重にも仕組まれていた。町には三畳一間とか四畳半一間のアパートが点在して地方から集まってくる労働者の住処であったり、流れ者や与太者たちの棲家でもあった。それら労働者、流れ者をピンハネするヤクザや新興暴力団の愚連隊共が顔を効かす地域には、立ち飲みの安酒場、怪しげなバーやホテル、パチンコ屋、スマートボール屋、映画館も場末ながら二軒もあり、荒んで爛れた表情を持つ町でもあった。そんな環境で育ったオレもケンカ人生を男と思い込み生きてきた。

 地元の暴力団が何するものぞと恐れる風もなく、ま、かっこつけて言えば体を張っていた訳で、ましてその中に幼い頃から知っている年下のヤツが居るような三下相手でははなっから呑んでかかっていた。



 リーダー格がカウンターに足を投げ出したのを潮に、よしここまでやと見切りをつけた。

「こらぁっ、お前ら、外に出んかい」

 粗い大声がオレの口から炸裂した。その一喝で全員が立ち上がり挑むように身構えた。

「なんやとう。外へ出ぇってどういうこっちゃ。オンドリャいてもらいたいんか」

 オレよりかチョッと年上と思われるリーダー格が直ぐに反応して凄んできた。

「外へ出ぇちゅうのは、外へ出ぇっちゅうコトや」

「外へ出てどないさらすんじゃい、ワレーッ」

「まぁ兄ちゃん、俺らチョッと飲みに来ただけやし」

 知っている年下のヤツが今更窺うようにとりなしてきた。

「グダグタぬかさんと、お前ら外へ出んかい」

「なんやとぉ、オンドリャーッ、ホンマにいてこますどう」

 カウンターの奥の端は出入りできるように少し空けていた。オレはリーダー格を睨みつけたままカウンターの外へゆっくりした歩調で出て行き彼の前に立った。立つや否や右手でソイツの胸をドンと押した。

「出え言うたら出んかい。このボケが」

 カウンターから出るオレの動きを見ていたソイツの表情から忽ち血の気が退くように心なしか蒼ざめ見開いたままの目は何か不思議なものを見るようにポケーッとしていた。

 オレがそれを見逃す訳がない。コイツ等はカッコばかり粋がって中身はチョロイ小心者なんや。徒党を組み群れを頼りに仲間の手前やから強がって脅しをかけてくる。当然、脅される相手はビビッて怖気づき、侘びや泣きを入れたりするものと思い込んでいるから、それが通じへん者に対する出方はインプットされてへん。

 かと言って現実に暴力を仕掛けるには、平然と一人で多勢に向かってくる者ってのは得体が知れず薄気味悪い。その意外性がわずかにも恐れを誘発して、呆気にとられポカーンとした表情から怯えを浮き立たせた表情へ変わるのに時間は必要なかった。

 中学生の頃からケンカ三昧やったオレにはそんなヤツ等の心情が容易く汲み取れる。そやからこそ、一押し二押しと追い詰めて二度とふざけた真似をさせんように完膚なきまで

叩き潰す気迫で迫っていった。

「俺ら、ただ飲みに来ただけやのに何で外へ出て行け言われなアカンねん」

「お前らに飲ます酒は置いてへんのじゃい」

「分かったよ。帰ったらエエねんやろ」

「アカンなアホンダラ。ただ帰す訳にはいかんのじゃい。ボケが」

「ほな、どうしたらエエねん」

 チンピラが徒党を組んで新興の暴力団入りして弱い者狩りしかしてへん青二才ども。修羅場など経験もしてへんから、一旦崩れると歯止めがない。立ち直るなんて不可能。怯えで表情も声も弱々しく哀願が露になって萎みきった態度になっていた。

 そこを更に追い討ちをかけ、もう一度、今度は強く力を入れドーンと胸を突いた。

 反り返ってヨタヨタと足をもつれさせて後ろに退った。

「とにかく外へ出んかい」と一喝。

「出てどないすんねん」

「店の中やったらな、物も壊れたりするかもな。外へ出てオンドレをコテンパンにいてこましたるんじゃい」

「そんな無茶言わんといてぇな。俺ら、実際なにもしてへんし。堪忍してぇや」

「アカンな。オンドレ等みたいなドアホは痛い目に合わな分かれへんのじゃい」

 後の五人は既に逃げ腰で、何が何でもオレと目線を合わさんよう必死の努力をしている。

「兄ちゃん、もうエエやん、堪忍してぇや。俺らが悪かったから、そんなキツイ事言わんといてぇや。なぁ、チッコイ頃から知ってる仲やん」

 幼い頃から知っていた年下のヤツが必死で許しを乞うてきた。

「アホかお前は、チッコイ頃から知ってた言うねんんやったら何やねん、お前らのさっきのざまは、ボケが許す訳にはいかんのじゃい」

「そやから、俺らが悪かったって誤ってんねん。頼むから堪忍してぇや」

「ほうか、ほな鼻っ面潰すか歯の一本も折るぐらいにしとったろか」

「すんまへん。謝ります。そやからホンマにカンニンしてください。お願いします」

 リーダー格が頭を下げて必死の哀願をしてきた。

 オレはもう噴出したいくらいの爆笑を抑え、更に押し殺した低い声で、

「お前ら、ホンマに謝ってんねんな」

「ハイッ、ホンマにすんませんでした」

「謝ったから許される思ったらアカンど。そやけどな、コイツの顔も立ててやな、ドツクのは止めとったろか。その代わりな、一つオレと約束せえや」

「分かりました。どんな事ですか」

「よしっ、その前に土下座せんかい」

「ハイッ分かりました」

 言うや否や全員が膝を折ってひれ伏し土下座した。もう可笑しゅうて腹ん中でゲラゲラ笑っていたもんや。そやけど顔つきは相変わらず怒りを噴出させたままで

「うん、まぁそれでエエやろ。よっしゃ、オレが今から言う事をよう聞くんやど。お前らがチンピラでしょうもないヤーコになろうがどうしょうがオレにはどうでもエエこつちゃ。そんな知った事か。そやけどな、世の中はそんなお前らみたいなヤツ等が少数やねん。ほとんどの人が真面目に働いてんねんど。特に商売している人はな、毎日売り上げがどの位あるんやろうと必死や。このオレかってな、この店出すのにはな、借金してやな、エエ店にしようと毎日が必死や。そんな一生懸命働いている人らにタカッたり嫌がらせしたり、お前らはして来たやろ。

オレやからお前らみたいなチンピラなんか平気やけど、普通の世間の人らはそんなお前らでも怖がる人が多いんや。ま、そこらを知ってお前らも調子に乗ってやっとんやけど、オレはそれが許されへんのじゃい。エエかこれからは絶対すんなよ。絶対せえへんとオレに約束せえ。その約束が守られへんかったらお前ら一人一人を見つけ出して、その時こそ足腰立てんくらいいてこましたるからな。言うたら、弱い者イジメするなっちゅうこっちゃ。分かったか。約束やど」

前述がすべて再現できたかどうか、多分こんな話やったと思う。

二〇歳前後の若者やからこういうのも通じるが、これが年季の入ったヤクザや極道者にはそうはいかんやろう。

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