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2010年1月26日火曜日


 

 

 

鳩 

慌てず、焦らず、投げ捨てず、諦めない

        

 

 

 

 

 はっ?えっ?

 鳩? ハトやん。何でこんな処に居るん?

 買い物から帰って無意識に店の階段を上りきった。

十六段。それだけ天井が高い。外からの淡い明りが踊り場を幽かに浮かび上がらせている。その踊り場の二段下。ふと目に入ったのがチョコンと居る一羽の鳩。

オレが近づくと心なしか後ずさりした。
 シッと追っ払おうかなと思ったのも束の間、彼女(オスかメスか判然とせえへんが何となく可愛い感じがしたので)と目と目が合った。
 円くちっちゃな目が可愛い。
 しかも穏やかに見えて、細く突き出した口ばしも可憐で可愛い。

お互いしばし見つめ合っていた。
 「何してん、こんなトコで」
 もちろん、彼女は答える訳もなくオレを見つめた。
 あれー、左の羽がだらりと垂れているやん。
 「は~ん、怪我したんかいな」
 手当てと言うても近づくと逃げるやろうし、捕まえるにしても手荒な真似になってしまいそうで臆してしまう。ま、エエか。その内何処かへ飛んでいくやろうとオレは店に入り買い物を整理したり、片付け物をしたりでいつしか鳩のコトは忘れていた。

 「あんなとこに鳩が居るやん」
 開店時の夕方、最初に来たお客ご婦人第一声。
 えっ、まだ居るんかいなと、どうでもエエと思いつつ見に行った。
 鳩は階段を二段上がって場所を上に移して踊り場の端に悄然と立っている。
 近寄って「どうした、よう飛ばんのか」と声をかけた。
 彼女はだらりと垂らした左肩の羽を退けるようにしてヨチヨチと横に動きながらオレから遠ざかろうとする。

それがシナを作るようで妙に色っぽい。
 
「あのな、オレはな、鳩なんて大キライなんや。鳩とカラスは駆除してもエエ思ってねんや。鳩はな群れて糞をそこらじゅうにして汚しまくるやろ。何が平和の使者やシンボルや。大嫌いやど。それが何でそんなトコに居るねん。怪我したらしたで何処か他に行くトコあるんちゃうんかいな。そやのに選りによってなんでこんな建物の奥に来るんかな。鳩は嫌いやけどメッチャ気になるやろう」
 チッチャイ円い目がオレを見つめて話を聞いているようで、その姿が清楚で毅然としているように見えた。
 踊り場を挟んで向かいの店はダーツバー。
 二階建ての建物で踊り場を挟んで二軒だけを振り分けたテナントビル。あちらさんは先輩でもう何年も営んでいるから次々とお客が入って来る。
 それに比べたら開店未だ一ヶ月も経ってへんオレの店にはポツリポツラとお客が来るだけ。
 どっちにしても両店に来るお客はこの日は迷い込んだ鳩の横を通るコトになる。当然誰しも鳩に目が行き怪訝に思うやろ。

そやけどまさか怪我してるのが一目瞭然の彼女に誰もおかしなチョッカイはかけんと思う。
 オレはしゃぁないなと踵を返して店に戻った。

来るお客は一様に彼女のコトを口にした。そやからお客との他愛のない話の中でもオレの頭は、あの鳩をどうしようどうしたらエエんかなと、案じる気持ちが膨らむばっかりで気が気でないようになっていた。

 最後のお客が帰る。
 見送って店から出る。
 ツクネンと彼女は同じ場所にさも何事もないように立っている。
 何時間も目の前を人が通り過ぎて行くのに慣れてきたのやろう、チョッと近寄った位では身を退こうとせえへんようになっていた。
 ヨシッ、とオレは心の中で手を打った。
 帰るお客に彼女の気をひきつけさせる陽動作戦にでた。
 先に出たお客に彼女の視線が向いた瞬間、オレの手は彼女の背中を掴んでいた。
 体を捩り首をねじって振り向いてオレを見つめながら身悶えし抵抗しようとしているが、オレの右手は彼女の小さい体を鷲掴みにして、更に空いていた左掌で彼女の腹部をそっと包み込んだ。
 そのまま抱きかかえお客に別れを告げて誰も居ない店内に戻った。

テーブルの上にそっと置く。もちろん暴れないように軽く押さえ込み逃げられないようにして左の羽をそっと広げた。

プシュプシュと魔法の水(濃厚なミネラル液)を霧状に噴きかけた。

羽の上からも裏かも丹念にかけた。その度に彼女は体全体をピクンピクン震わせて微かな抵抗を試みていた。それはほんの十数秒のコト。それからそっと彼女を床に置き手を離し解放した。
 かなり慌ててオレから離れていく。
 店内は照明を落としていて薄暗い。テーブルの下へ潜り、椅子の下を横切りヨチヨチフラフラと兎に角オレから少しでも遠くへと懸命な気概を後姿に見せて。
 もう彼女がこの店内の何処へ行こうが好きにすれば良い。 
 オレとしてはやるだけのコトをやって彼女を無事保護したんやし、後は意に介さず酒を喰らってそのままソファーで眠りに落ちた。


 家の中が大変なコトになっている。

煙が充満している。煙の向こうに火炎が渦巻いている。

まるで映画でも観ているような感覚。

そのくせその真っ只中に居て何をどうして良いのか、動こうと必死で焦るが体がズシッと重たくスローモーションの映像のような動きしかでけへん。
 妻が居る。

その妻を絶対に救い出さねばと焦り、思うに任せぬ動きに怒りが阿修羅のように滾る。鼻腔に煙が這い上がり息が苦しい。
 突然、九十八年山荘火事中に居て逃げ場を失っているオレ。

絶体絶命のピンチやんけ、妻を、妻だけは何が何でも助けなアカンねんや。
 その時、燃え盛るログの隙間から何やら飛び込んできた。
 鳩や。そう思った瞬間、鳩に導かれて妻もオレも燃え盛る山荘の外に出ていた。

 おぉ、夢やったんかいな。
 久しぶりに紅蓮の炎に包まれた山荘全焼のシーンが鮮明に浮かび上がってきた。まあまあ、汗までかいてまんがなと苦笑してみた。
 鳩?
 そう言えば鳩は?
 そうか、鳩を保護したのを思い出した。
 既に広い窓から眩しいばかりの陽光が店内いっぱいに広がっていた。
 そうか、昨夜も店で寝てしもうたんや。
 相変わらず独りで飲み続けてたのを思い起こし、そして保護した鳩の事も思い起こした。

広い店内の何処かに彼女は居るはずやと、音を立てないように這いつくばってテーブルや椅子の下を探るように覗き見渡したが見当たれへん。
 夢の中に何で鳩が出てきたんやろう。そうか、鳩を保護して良いコトをしたと思い込んでいたから多分あんな夢を見たんやな。
 鳩の恩返し、アホやでホンマにいい気なもんやと自嘲しながら振り返る。
 その時、ステージのピアノが目に入った。
 腰を屈め音を立てないようにピアノの下を覗き込んだ。
 光が遮られて陰になっている薄暗いピアノの下。

そこに置いてあるバスドラの向こうに斑で灰色の羽が見えた。何してねんやろ、まだ警戒は解いてへんやろうな。
 しゃあないなぁと、そのまま様子を窺うように観察を始めた。
 待つコトしばし。
 尾羽を振り振りヨチヨチと彼女が姿を現した。オレとの距離は約2m。
 「ゆっくり休めたか、腹減ってんちゃうか。喉も渇いたやろう」
 首を少しこちらに向け、やはり清楚つぶらな瞳でオレをジーッと見つめながら問いかけを聞いている。
 コイツ、人の話が分かるんかいな。そんなアホなとは思いつつも分ってるような錯覚に陥ってしまうのは、やっぱり彼女のつぶらな瞳のせいなんやろな。
 「チョッと待っとき」
 空いた灰皿二つを手にしてカウンターの中に入り、灰皿の一つに米粒を僅かに掴んで入れ、一方の灰皿に水を入れユックリ静かにピアノの方に引き返した。
 彼女との距離二mほどの処で止まり、ゆっくりしゃがみ込んでそうっと両手を伸ばして二つの灰皿を彼女のほど手前に音を立てないように置いた。
 慌てる風でもないが警戒は怠らないというように彼女は二三歩後ずさりしてやっぱりオレをジッと見つめている。
 「ほな、ここへ置いとくで。気が向いたら食べ、飲み」

オレはカウンターに戻り頬杖をついて対極にあるピアノの下の彼女の動きを注意深く眺める。
 窓からの陽光がキラキラと照り返している。

眩い店内は天井の高さがm近くありゆったりと大らかなゆとりのある空間

内装は丸太を駆使してログハウスを装い、その殆どを焦げ茶色に塗装しているから古い田舎家のようでもあってしっとりと落ち着けるんやな。

オレは自作のこの空間が好きや。

一歩外へ出ると天神橋商店街一筋東裏通り。

立ち飲み屋や飲食店が軒を並べていて、それぞれが競って看板を出しているから狭い路地を更に狭くしている。それでも昼前からどの店にも客がやってくる。何でそんな昼から酒を飲む人が多いんやろと不思議に思う。

狭い裏通りながら人の往来が頻繁にあって途絶える事がない。

そやからここなら商売は上手く行くやろうと割り込んできた訳やけど・・・

オレは本来人が群れるとことか、ビルがひしめき合ったりする処とか、車が多いとか、要するに都会がイヤなんや。

とは言うものの自分の店がお客で溢れるのは大歓迎ちゅうからチト矛盾しとるが、商売してるんやしそれも在りかなと。

そんなことで用がない限り何処にも出かけず一日中店に籠るのがほとんどと言うのがオレの日常になっている。

ログハウス風の趣きで深い静かな空間に保護した鳩と音も立てずゆったりしてるなんて現実感が薄れておとぎの世界に入り込んだような錯覚に陥る。その妙にふわーっとした幻想に浸っていた。

 

分ほどが経っても彼女は水にも米粒にも何の興味も示していないようや。
 むしろ時々首を捻りキョトキョトと辺りを見回している。
 そのうち窓の方に視線を移しジーッと見つめだした。
 その位置からだと建物と建物の間に細長い空が見える。その空を見つめているのか。
 今日は陽光がさんさんと降り注ぎ青い高い空なんや。

そんな大空を自由に羽ばたいていた昨日までの日々を思い起こしているのか。
 或いはあの空に戻るコトを真剣に考えているのか。
 どう見ても今の彼女の羽の状態では飛び立つことはでけへんやろう。
 そやのに空を仰ぎ見たまま微動だにもせず静止している。

体を覆う灰色の斑模様の羽毛、特に首筋の玉虫色が艶を帯びて陽光を浴びキラキラしている。

そんな彼女を見ていたら妙に切ないものが込みあげてきた。
 何とか元の状態に戻して羽ばたかせてやりたいものやと切に思いながらオレは彼女から目を離せないでいた。

と、その時、彼女に動きが出た。
 二つの灰皿を横切ってヨチヨチと移動を始めた。
 窓の直ぐ横のスピーカーの前まで歩いて止まってまた動かへん。
 ただ首だけを時々上下してスピーカーと窓を見ている。

高さ八十㎝ほどのスピーカーは三角の形で、上から下に向かって手前の方にと傾斜しいる。
 オレはカウンターから離れもう一方の窓辺に置いてあるソファーに移動した。
 先ほどまで眠りに落ちていたソファー。ソファーの端とスピーカーの間はm程。
 オレがソファーに寄りかかると彼女はキッとオレに視線を向けてきた。
 しかし表情にも眼差しにも変化は見えない。まあ単純に出来た鳥類の顔では何を感じ何を思案してるのか窺い知る由もないけれど、明らかなのは動いたオレが思案に耽る彼女の邪魔をしたのや。
 オレは構うコトなく足を投げ出してソファーに横になり彼女を見続けた。
 彼女の視線もオレから離れない。
 つぶらな清楚な瞳がジーッとオレを見つめる。
 表情の無さがかえって無垢な深遠さを滲ませているようだ。
 彼女の澄み切った瞳は感情も理性も一点に絞り込んだ一途さを秘めてオレの心の奥まで見つめているような。
 波紋が緩やかに揺らぐような微細な感動、そう言葉では通じへん魂の通い合いが鳩とオレの間で生まれている。
 「分かった。飛べるようになるよな。そのタメにはオレも最大限の協力をするし、それには君も滋養を採らんとアカンやろう。先ずは水を飲むコトやな。その水には少し魔法の水も入れてるし回復のお手伝いになるよ」
 聞き分けたかのように彼女はツト身を翻しヨチヨチと元の位置に戻って、そこでまた改めてオレを見つめなおすと、次には又窓の方に視線を移しそれからやっぱりスピーカーを見つめ何かを懸命に探しているようだ。
 しばらくしてスピーカーの方にヨチヨチ歩いてきた。
 立ち止まり、スピーカーの下から上へとチラチラと何度も視線を送っては時折神妙に居住まいを正し窓を見つめている。
 窓からの陽射しに眩しく浮かぶ彼女の姿がどこか幻想的で、それに陽光の柔らかい温もりが重なりオレに睡魔がさしてきた。

オレは心地よくうつらうつらとし出した。

朦朧とした思考は妖気に包まれて意識が店の空間を漂い、その意識にあわせて鳩がふわりふわり浮かぶように飛んでいる。

そこがまるで無限の空間であるかのように、不確かに漂うオレの意識と、不思議な鳩の浮遊とが仲良く連れ立っていた。

バタバタドサッ!

その不調和な音が夢見るオレの幻想の世界をパチンと弾き飛ばし、突然現実の小さな事件が目に飛び込んできた。

彼女を凝視した。
 彼女はバタバタと羽を懸命に羽ばたかせスピーカーの下部の枠に飛び乗ろうとしている。それは時には成功するもののスピーカーの斜面が直ぐに彼女の小さな体を弾き飛ばして転げ落ちさせる。落ちた彼女はもがきながらもヨタヨタと起き上がり体勢を立て直しジーッとスピーカーと対峙する。
 力の回復を粘り強く待ってるんやろう。感情を包み込み一つの目的へ静かな不動の闘気だけを滾らしてるんや。

 「そうか、スピーカーから窓辺に行きたいんや。そやけど今は無理やで。もうチョッと力を蓄えてから挑戦した方がエエで。それにしても窓辺に辿りついたとしてもまだまだ飛ばれへんし、危険やし、とに角無理したらアカン」
 オレに声をかけられ、彼女はそのまま首だけを捻って視線をじっとオレに当ててきた。

そんな訳はないと思いつつも、その仕草にはこの子はホンマにオレの言葉を理解してるんやと当たり前のように錯覚させられてしまうオレであって。

 「なっ、そう言うコトやからもうちょっとジッとしとき。ほんでなやっぱり何か食べなアカンし水も飲まなアカンやろ。オレはな、チョッと買い物に行ってくるさかいな、くれぐれも無理なコトしたらアカンで」
 睡魔から開放されたオレはそのまま買物に出かけた。


 天神橋商店街、実に活気のある商店街や。
 天一から天六までの約kmのアーケード。
 その長さが日本一、いやアジア一と言うのも充分頷ける。

 中学校は私立で大正区の大運橋から阿倍野区の昭和町まで通ったから、当時、市電から地下鉄に乗り換えるのはナンバやった。
 そんな少年の頃からナンバに馴染みミナミで群れてヤンチャの限りを尽くしてたから、キタという所には殆ど縁がなかった。
 縁がないというより意識して敬遠して敵視さえしていた。
 大阪の心情はミナミやでとガキの頃から一徹に思い込んでいた。
 何ちゅうか、大阪と東京を対比する感じでのミナミとキタやった。
 そやからキタちゅうのは梅田界隈だけでその他はまるで異国のように思っていたオレであって。いやもっと酷く僻地くらいに思っていたのに、キタの堂山に店を出し天六で住み始めてオレの無知さ加減が顕かになり、で、毎日が発見のサプライズになった。

 天神橋商店街の賑わいと長さに驚嘆し、梅田を少し外れた中崎町界隈の静かなセンスの良い賑わいに好感を抱き、いつしかこの界隈が大好きになっていた。特に天六、天満の賑わいはミナミや堂山町辺りのギラついた夜の膿のような禍々しさは見えず、明るい庶民的な活気にも親しみが持てる。チャリで少し行けば大川の畔の清閑な緑と水面も愉しめて、昼オレ孤独を癒してくれる。
 それでもチト物足らないものがあった。

年間馴染んだ生玉には店の直ぐ裏手に生玉神社と生玉公園があってそこには鉄棒やタイヤを埋め込んだ遊具などがあったし、何よりも都会にしては樹木が生い茂り広さもそこそこあったからオレの格好の鍛錬場にもなっていた。
 ジムとかと言う狭い空間に大勢人が集まってくるような処は一人を愉しむオレの肌には馴染ない。

人気のない処を好むオレは野外での鍛錬が好きなんや。

信州木島平村へ行けば山の懐の中で伸び伸びと思い切り暴れられる訳で。

ま、大阪のような都会では身近にそれを望むべくもないのやが、それでも生玉公園は充分楽しめる鍛錬場であって馴染んでいた。ところがこの天満界隈の公園は小さく品祖で、しかも午後になると学校を終わった子供達が群れ集い騒がしく肩身の狭い思いする。

今度の天満の店は天井が高く広々している。
 鉄棒も設置して体はいつでも鍛えられるが、やっぱり野外での鍛錬とは比べようもない。
 この天満の店の内装工事の初っ端は丸太と資材の搬入やった。何せ二階建ての建物やからエレベーターもエスカレーターもない。

体力と力持ちを自負するオレは十六段の階段を重い丸太や資材を担いで連日搬入に勤しんでたんやが、五日目に突然激しい腰痛に見舞われた。
 それを耐えて忍んで内装工事に入ったものの腰痛は益々激しくなるばかり。

病院で検査した。何と背骨ずれて椎間板が磨り減ってしまって無いちゅう結果やん。

医者は手術以外にないと断言しやがった。手術なんかしたら何ヶ月も寝たり、更にリハビリも加えてたら半年は動かれへん。

膨大な借金を抱えながら我武者羅に強行するオレにはそんな余裕なんてある訳がない。

激痛が続き歩くのも困難な状態が続くと、老いとはこう言うところから始まるのかなと六十六歳のオレは流石に心細くなってきたのを跳ね返すが如く、ならば医者の世話にもならんと自力で治したるやんけとそれまでも続けていた鉄棒の逆上がりやる頻度を小まめに増やして行った。

逆上がりをして股関節を軸に体をくの字に折って頭を下にぶら下げていると背骨が伸び圧迫から開放されて楽になる。それを繰り返すコトで腕力や背筋腹筋も徐々に鍛えられ、年齢を超えて体は更に強化されていく。

先日も若者三人を相手に逆上がり大会をやって、オレはいきなり連続三回やって見せて、精々一回しかでけへんかった彼等に「オレは六十六のジジィやで」と得意満々に見せびらかして若者達を大いに悔しがらせてやったもんや。

 JR天満駅から天六に掛けての界隈は飲食店が多く、不景気に侵食されている大阪の現状を尻目にかなりの店が当たり前のように繁盛してんねんやな。何故かすし屋が多く行列が出来る店も稀ではない。 
 店の裏の窓を開けると少し離れた場所に高層マンションがそそり立っている。
 その一階と地下は大きな市場「ぷらら天満」になっていてその北側が天満市場でとに角物が安い。安いからもっぱら買物はそこになる。
 仕入れがほぼ目と鼻の先ちゅうのは実に便利や。
 数日前には天満駅を横切った直ぐ先の商店街にあの『スーパー玉出』が進出してきた。
 で、その日鳩は気になるもののその玉出を視察に行き、折り返してぷらら天満でも買物をして小一時間ほどで店に帰ってきた。

 「あっ、危ない!」

と思わず叫びそうになった声を呑み込んでジイッと様子を窺った。
 出かける前彼女はピアノの横、スピーカーの後ろの窓辺をしきりに見つめていた。
 それが今、その窓辺に止まってる。背中をこちらに向けている彼女の姿が真っ先に目に飛び込んできた。
 一瞬オレに驚愕が走った。

絶対に未だ飛べないとオレは確信している。
 そやから今、彼女がどんだけ危険な状況であるか瞬時に把握するオレであって。
 窓辺から外の通りのアスファルトまではm近くの高さ。

足を滑らせて落下でもしたら致命傷をこうむる可能性は大なんや。

かと言ってオレが慌てふためいて大声を出したり駆け寄ったりしたら警戒心と恐怖で彼女がバタつきバランスを崩して足を滑らせる恐れがある。その咄嗟の判断がオレを冷静にさせた。即座にスイッチを切り替えて、そおっと音を立てないようにそろりと静かに近づいていった。 

 彼女から二mほどのところで立ち止まる。気配を察したのか首をひねりその視線がオレを捉えていた。 無表情やけどあどけないつぶらな黒い瞳がジーッとオレを見つめる。 それがオレには何かを訴えているように思えた。
「何してん?危ないやんか、そんなトコに居ったら。どないしてそこへ上がったんや」
 答えは直ぐに分かった。
 オレの居れへん間に何度か挑戦してスピーカーの短い斜面をよじ登り隣の椅子に移りそして窓辺にたどり着いたのやろう。
「あのな、そこまでは必死で何とか上がれたやろう。そやけどお前はな、その羽では飛んでいかれへんねんで。危ないからもう少し辛抱してそこから降りておいで」
 ジッと聞いているのか首をひねったまま視線を外さず見つめている。
 オレが傍に行って抱き上げて床に下ろすことはでけへん。

実際は、彼女は一切オレを信用してへんやろ。その証拠に水も米も口にした形跡はない。ただ、距離を保っていれば逃げようとしないのだけはハッキリしていた。mの距離を保ったままオレには何の行動もとられへん。

説得して諦めさせて彼女が自主的に降りて来るのを待つしかないがそれは現実味のない不可能なコト。
 突然、彼女はひねっていた首をクルッと正面に向けそのまま前を向いて動かない。オレを完全に無視してるやん。

隙をついて一挙に彼女のトコまで行き手でこちらへ引っ張ろうと、咄嗟に思った。跳躍して彼女を引き寄せようと思ったが、直ぐに諦めた。
 それは大いなる賭け。
 もし、失敗したら彼女は窓の外に転落する。
 それは命に係わる超重大なコトや。
 そんな賭けはやっぱりでけへん。
 第一、今オレはそんな事ができる体ではない。
 m先まで一気に跳躍なんかしたら折角治まってきた背骨の痛みが激しくぶり返すのは必至や。
 そっと引き返して買した荷物を片付け、またそっと近寄りなす術もなくソファーに腰を下ろし見守るコトにした。

 午後の陽射しが広い窓からいっぱいに射しこんでいる。その目映い明かりの中にチョコンと鳩が佇み陽射しを浴びて羽がキラキラ照り輝いている。

微動だにせずただ前方を無表情で見つめて照り輝く姿はどこか神々しく妖精か精霊の化身のような錯覚さえ覚えさせる。
 侵しがたい聖域をただ見守るオレはいつしか居ずまいを正し神妙にしているのが当然のようになっていた。

だらりと垂れた左の羽。それでは飛びたてる訳でもないのに、ジッと立ち尽くし一点に視線を向けている。

そこには宇宙の大いなる摂理を悟り、その計り知れないエネルギーを一身に受け取ろうとしているかのような輝く崇高な小さな小さな存在があった。

小さいながら強固なその存在がオレを圧倒してくる。
 十分が過ぎ、二十分が経ち、更に時間は経っていく。

一心に窓外を見つめる彼女、小さいが無色透明な彼女の尊厳に引き寄せられてただただ見守るオレ。

痛ましくだらりと垂れた左の羽。にもかかわらず、抗えない強固な意志が彼女のつぶらな瞳に宿り、オレの懸念がいかにも無用のようにも思えた。
 飛び立とうとしているんや。
 そやけど自分の今ある力が如何に頼りないかを彼女は悟っている。
 そやから動かへん。
 動けるパワーを体内の底から念じるように呼び起こしているんや。

小さな不動の姿勢に思う。

その時が来るのがいつなのかおそらく彼女自身は感知しているんやろう。
 「分かったよ。多分、君は無謀なコトはせえへんやろう。自分の在りようを冷静に理解してんねんな。もう邪魔せえへんからな」

 目映い彼女の輝きと午後の陽射しに包まれてオレの体は気だるい脱力感が浸透してきていつしか眠りに堕ちていた。

 バタバタバタ、激しい羽音でハッと目が覚めた。
 どの位眠っていたんやろうと、彼女の居る窓辺に目をやる。
 居れへん。床にもおれへん。
 彼女の姿が消えた。
 慌てて窓から身を乗り出して下を見る。
 下の焼肉屋の突き出したテントが邪魔をして視界をさえぎる。
 それでも更に身を乗り出して覗いたが見える範囲に彼女の姿はない。
 う~ん、やっぱりオレの懸念は正しかったんや。
 睡魔の中でエエ加減な妄想に捕らわれて保護せなアカン処置を怠ったと、悔恨が途轍もなく沸きあがり、そのまま身を翻して下へ降りようとした、その時。
 バタバタと羽音がまた何処からか聞こえてきた。
 それは多分、極近距離。周りを見渡す。
 また、羽音がした。窓から視線を真っ直ぐ前に移した。
 居った。
 向いのマンションのベランダ。
 その角に爪を引っ掛け滑り落ちまいと羽をばたつかせている懸命な彼女の動きが目に飛び込んできた。
 「おおぅっ」思わず呻くオレであって。
 「ガンバレ」続いて小さな叫びが口から飛び出していた。
 爪の力が尽きて滑り落ちようとするのを懸命に羽をばたつかせて浮き上がらせベランダに上ろうと何度も試みている。

 やった。とうとう登りきった。
 鉄柵の間をヨチヨチとすり抜け通りを見渡せるようにこちらに向き直り、一度羽を大きく広げてゆっくりと沈むようにうずくまった。
 流石に疲れたとみえる。それからまたその姿勢のまま微動だにしない。
 やっぱり、彼女は冷静に自らを推し量っていたんや。
 窓を見上げ、窓までの距離と自らの力量を測り、微動だにせず外を見つめていたのは冷徹な思惟の表れであったんや。
 命を全うしようという至上の摂理に従い、自身の体力と置かれた環境を冷静に推し量り、投げ出さず、諦めず、慌てず、着実に一つ一つの段階をクリアしていく。
 動物の本能というだけでは済まされない意識された熱い個の輝きがある。
 窮地に追い込まれて冴えわたる個としての静かな闘志が孤高な魂を生み神々しいまでにも高められていく。
 深遠に思いを巡らし、ここぞと確信した時の判断で躊躇うことなく敏捷な行動力で一歩ずつ前へ前へ確実に道を切り拓く。

こににあるは前進のみ。振り向くことも後退すると言うことを拒否した揺るぎのない強靭な意志を見せ付けられた。
 集団や群れでパニクルことの浅はかな行為などとは比べるべくもなく。


 人間でもこうはいかへん。
 いや、人間こそ一人では何も出来ないというのが現代人かも。
 群れに寄りかかり個の尊厳と輝きを失くし他者と同一化と言う方向へ流されがちな現代の多くの人間には無縁とも思える「個の輝き」。
 個の輝きとは大袈裟なものではなく増してや英雄を気取るのでなく、窮地に遭遇した時こそ、確りと目標を捕らえて目立たず静かに淡々と向かう一途な姿勢なんやろな。

 

 窮地に立つ。  
 オレは何度も窮地に立たされてきた。
 九十八年の信州木島平の街山荘全焼、コイツは最大の窮地であった。
 なってしもうたモノはしょうがないと現実を速やかに受け入れ、精一杯冷静になり次の行動を考えた積りでいたが、後から振り返ってみると、仕方のないコトやけど動転して慌てて随分と間抜けなコトの多かったことか。
 もっと冷静であったなら、消火が不可能と判断した時に持ち出せていた物はかなりあったはず。

押しかけた野次馬を前にして下手な気取りを演じていたような気もする。

その時のオレは、状況を見極め自分を見つめるという、この鳩のような冷静な行動をとれなかったんやな。

悔しさが込みあげてくる。

文字通り取り返しのつかない悔しさはオレの胸中で常にくすぶっている。

そのコトが次へ進む大きな原動力となって今もひたすら駆け続けているがそれでも色んな窮地が後を絶たず今では窮状慣れしているようでもあるんやな。

 この鳩は人間の愚かな懸念より、もっと高いところから自らを見つめていた。
 どんな人間の格言や説法よりも、感動を持って身に染み込まさせる教えを受けたと思う。
 ふと、思う。
 慌てず、焦らず、投げ捨てず、諦めない。
 日ごろ自分に言い聞かせている言葉を、鳩が摂理の化身となって身を持って示してくれた。

 小一時間も経ったころ、パタパタと羽音がして彼女は更に高く舞い上がっていった。
 その羽音はバタバタからパタパタへと軽やかな響きに変わっていた。
 大空に舞い上がり何処へか姿を消していった彼女の残像を瞼にしたとき、熱い滴がオレの目から流れ落ちていた。
 否めない感動を体は素直に受け止めてんねんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はらだ よしお  原田 譽志男 著

 

 

2009年10月23日金曜日

無血の抗争

 無血の抗争



 生玉の物件を見て「よっしゃっ」と手を叩いた。
 千日前通に面した谷九と下寺町の上り坂のほぼ真ん中。16階建てのマンション。歩道から4mほど奥まって建てられていた。
マンションの一階正面の左角。一階35坪は2階25坪と上下に続いた空間。そして前は歩道まで約4m専用敷地。それを見た瞬間「丸太のデッキが作れる」とイメージできた。
 300万円の保証金。当時40万円の家賃。
 保証金に100万円。後は長期の分割払い。40万円の家賃は大きいが、2階は3LDKに匹敵して家族4人で暮らせる。
 一階は歪なL型で曲ったところの空間は大きい。間口4m。道路までの専用敷地には丸太のデッキと横に車庫を設ける。入口の空間を店にして、奥は多目的ホールにして、一日で内装の思案はまとまった。

 まるで怪しい宗教にでも嵌ったかのように常軌を逸した凄まじさで前へツンのめて行く。ここぞと思ったらろくに検証もせんと、自分の閃きと計算を信じて疑わず、猪突猛進するオレは、後でいつもそれを悪い癖と反省しつつも、何処かで、これも背負った己の性じゃとザックリ受けて流す。
 そんなオレを周りではハラハラ見つめる者あり、一方で賛同して期待を込めて支援の手を差しのべる者ありと二分される。
 オレの凄まじさからはどちらかと言うと後者が目立ち多数派であって、そのコトからコレまでどんだけ助けられ、どんだけ迷惑の限りを尽くしてきたコトか。

 契約して直ぐに河内長野森林組合から長さ4mの丸太の原木を数十本大型のトラックに山積みして搬入させた。それを契約物件の前の占有敷地に山と積み上げて作業にかかった。
 大阪の都会に突如現れた原木の山。道行く人はビックリ、その多くの人が興味津々と覗いていく。「何ができまんねん」一日に何度も質問を受ける。
 意気揚々と励む二人の若者とオレ。作業は毎日順調に進んでいった。
 そんな中で「エッ」とオレを不快にさせる光景が頻繁に展開されているのに気がついた。。
 時には道路の片側に車を連ね、更に十数人の黒い背広姿の男たちが通行人を威嚇するように歩道に並びやがる。
車のナンバーの多くは神戸やんけ。神戸と言えば日本一の巨大組織を誇る山口組。聞くところによると同じマンションと隣のマンションや後ろのマンションにヤクザの組事務所が四つもあるちゅうやん。
 これはえらいとこに来たモンやと後悔は後の祭りときた。まるでヤクザのメッカのような所に飛び込んでしもうた。
はじめから分かってたら絶対けえへんのにとカリカリと地団駄踏む思い。
 来たものはしょうがない。ヤクザなんかが入りとうない店にするこっちゃ。

 まるで怪しい宗教に嵌ったかのように自分の閃きと計算には信じて疑わぬ狂信ぶりで常軌を脱して凄まじく前へつんのめっていく。
 ここぞと思ったらエエ加減な検証だけで猪突猛進するオレは、それを悪い癖と反省多々ありながら、何処かでそれも背負った自らの性じゃと自負さえしている。
 周りはそんなオレをハラハラ見つめる者もあり、同調して期待を込めて支援の手を差しのべる者とに二分されるが、オレのその凄まじさからはどちらかと言うと後者が目立ち多数派であるようで。
 

 70年、万博が終わった九月に千日前で店を出してからずっと店名の頭に『ジャズ』を掲げてきた。
 オープン当初。ミナミの繁華街の夜の世相はかなり殺伐としていた。ではもめ事や喧嘩は当たり前。チンピラ、ヤクザが横行ししのぎを削っていた時代。下手してうっかり店を出したもんなら、ここはシマ内や、やれショバ代を払えだの用心棒代払えのと、無法な強要や脅しをしてくるヤクザ、暴力団の全盛の時代やった。そんな輩が来たところで撃退してやる気概は確固としてあったものの、できたら初めから係わらんで済むように考えた。
 当時、すでに廃り気味やったがジュータンバーと言われる店が隠れ家のように点在していた。オレもそれを目指した。
 入り口で履物を脱いで入る店。店内にはジュータンが敷き詰められていてテーブルも低く、じかに床に座れれ足も伸ばしたりできるから、リラックスムードで酒を飲んだりお喋りしたり騒いだりできる。
 そんな店こそヤクザ、暴力団の標的になりそうに思った。
 そこで初めて屋号の『街』の頭に『ジャズ・バー』をつけた。ジャズをやっている店にヤクザもチンピラもけえへんと考えた。

 本来はリズミカルに楽しむはずのジャズを神様と称されたジョン・コルトレーがジャズの資質をまるで哲学までに高めるように難解なものにしていった。前衛ジャズ旺盛の時代が続いた。
 ジャズ喫茶で話もでけへんくらいにボリュームいっぱいのに挙げて、炸裂するような音響の中、半分も飲んでないコーヒーカップを前に置き腕を組んでさも考えるように聴くのがスタイルやった。
 オレはそんなのに嫌悪感を抱いていた。ジャズはリズムやんけ、リズムを体に受けて足とか指先でリズムをとって楽しく聴くモノ。しかもコーヒーでなく酒やないとアカンねんと思っていた。それは今も変わってへんのや。
 六十年代後半、学園紛争が始まる少し前辺りからそんなジャズ喫茶がやたら多くなった。集まるのは俄か全共闘やその崩れの学生が主体。
全共闘も反戦青年委員会も革命諸派(オレもその一員やった)も激しい闘争をへて、権力の熾烈な弾圧の嵐の中で敗退を余儀なくされ崩壊し霧散し影すらも消えていった。ところがジャズを聴く当時の若者のスタイルは変われへんかった。
 そんな所へヤクザもチンピラも出入りする訳がない。
 その考えは正しかった。
 フェイントをかますオレの策略は当たった。看板はジャズバーでも店ではR&Bとかフォークソングやブルースにロックなど何でもありで店は繁盛していった。
 十年も続けた千日前の『ジャズバー街(まち)』。その間、全くヤクザと縁もなく係わりもなかったと謂えば嘘になるが、ヤクザも客で来るコトは来た。
 そやけどそんな店に単独で来るヤクザは自分の身分を隠しオレの店の雰囲気にヒッソリ溶け込んでいたのは何人か居たし、殊更自分がヤクザであるコトを雰囲気にも出せへんかった。

 ただ一時期やけど、組長はじめ組員が出入りするようになって困った時期もあった。
 一人の金貸しのAちゃんというのが妹の彼氏?になって家に遊びに来るようになった。
 オレの住いは実家が経営するアパートの一角。実家は路地を隔てた直ぐ横。
 Aちゃんが遊びにきて、まだ幼児やったオレの長男を連れ立って一緒に遊ぶ光景と時々出く合わした。
 そんな時、Aちゃんは相好を崩して実に人懐っこくオレに接してきて「兄さん」と下にも置かん丁寧な態度を崩せへんかった。Aちゃんはオレより二つ年上。
Aちゃんの稼業は裏の金融業。つまり、ヤクザや夜の商売の人達専門にカネを貸す高利貸しやったんや。そいつが店に来るようになってその関係の組長などが出入りするようになった。
 オレに接する柔らかい物腰とは反して、その容貌はスキンヘッドの厳つい面構えで、どう見てもヤクザをも凌ぐ凄みを醸し出していた。
彼の関連の組長が一緒に来るようになった。
その組長はAちゃんよりまた二つ年上で組長としては若い。Aちゃんと親しいのは金が絡んでAちゃんから組の資金をちょくちょく用立ててもらっていたようで、時々返済の遅れが原因で口論する場面もあった。
 その組長松っちゃんがAちゃんを凌いでオレに慣れ親しんできたんや。
 組長が来るというのは二三人のお付きの組員も一緒に来る。
 Aちゃん一人でも店にはチト困ったもんぜよと思うのに、小さな組とは言え一つのヤクザの組が出入りし出しては流石にオレも釘を刺ささんと店に一般のお客が激減する恐れがあった。
 「松っちゃんな、親しんで来てくれるのは嬉しいし、オレも松っちゃんの表裏のない性格は好きや。ただなぁ、見ても分ってもらえると思うけどこの店は普通の若いお客が集まるとこやろ。松っちゃんらがそれを心得てくれて気つこうてくれてるのはよう分ってんねん。それに今のところお客も日頃接しえへんヤクザと仲よう話ができるのを物珍しさで嫌がってもせえへん。そやけどな、やっぱりアカンねんな。オレはヤクザが大嫌いや。そやけど松っちゃんらは嫌いちゃう。それはオレが外でそんなつながりを持つんやったら問題ないねんけど、店はアカンねん」
 「うん」
 「来るんやったら時々にして松っちゃん一人で来てくれへんか」
 「そらそうやな。おやっさんマスターの言う通りやで。ワシ等がくる店ちゃうで」
 代貸格の子分が深く頷いた。
 「そうかぁ、やっぱりな、アカンのやな。俺は気はつけとったんやけどな。そうやなこうゾロゾロ来とったらアカンわな。分ったマスターもうあんまり顔出さんようにするわ。マスターも店を気張ってや。ほんでな何かあったら俺等すぐ飛んでくるさかいな」
 スッキリアッサリ、来るなとは言われへんと、遠まわしに言うてしまうオレには、どんなに馴染んでて仲良しにしてても、ヤクザはヤクザ。
 構成員十人ほどの小さな組織でもオレ一人ではやっぱり正面きってきつく言うのはケンカを売るようで流石に引けるもんがある。
 媚びるでなく対等かそれ以上の気概を保ちながら、それでいて相手の面子も立てるように、オレとしてはそれなりに必死でもあったやんやな。
で、松っちゃん達も不承不承オレの意図を汲んで従う姿勢になって、オレとしてはこれで一件落着とホッとして、従来通り普通に店をやっていけると安心したのも束の間、ある日松っちゃんが一人でやってきて優しい笑顔で話してきた。
 「マスター、ヤクザが大嫌いや言うのんはよう分かってんねんけどな、俺はなマスターの一匹狼的な心意気に惚れてしもうてんねん。この前、外での付き合いやったらエエって言うてたやん。ほんでな考えてんけどな、ウチの組の客分か顧問になって欲しいんや。組の奴等にも言うたら皆そらぁエエってことになってな。どうや、なってくれへんか」
 当時はホンマにヤクザ全盛時代とでも言うかとに角数が多かった。
 ヤクザと右翼に新左翼等の小さい組織は雨後の筍のように生まれては、しのぎを削って消えたり潰されていた時代やった。
小さい組織でも数を増やして傘下に収め勢力を増やして、対抗する組織を牽制しようする暴力団世界の事情があったようで。
 松っちゃんのような小さい組織は少しでも組を大きく強くしたい。そんなとこで見初められたようなオレ。そんなもん心外でオレの中では在り得へん。
 「アホなこと言わんといて。オレは松っちゃんをヤクザとして付き合おてんのんちゃうで。松っちゃんは松っちゃんとして好きなだけや。むしろ、オレの方が松っちゃに堅気になれやと言いたいんやで。そんな話を持ってこんといてくれや」
 キッパリ断るオレの姿勢に松っちゃんも諦めたようで
 そんな折、飲んで調子に乗ったAちゃんの話の中にオレの絶対許されへん一言があった。それは、「所詮アイツ等はヨツやし、アカンで」とAちゃんは失言した。
「Aちゃん、その言い方は止めとけや」
彼はオレより二つ年上。それでも「兄さん」とオレを呼ぶ。
「おっ、なんぼ兄さんでも堪忍でけへんな。俺の言うことに止めとけとはどういうこっちゃ」
スキンヘッドの見るからに強面が凄んできた。
「オレもな、なんぼAちゃんでもヨツいう言い方は許されへんねん」
「おお、ワレよう言うてくれたやんけ。ヨツはヨツや。許されへんかったらどないさらすんじゃい」
「そうか、ほんだら言うけどな。Aちゃんチョンコ呼ばわりされたらどう思うねん」
「、、、、」
 Aちゃんは在日韓国人。生まれてから差別の真っ只中に置かれ、グレて暴れて鑑別所、刑務所と渡り今は夜の大阪で裏稼業。
「アカンねん。差別したり偏見持ったりしたら。オレはなどんな偉い奴でもドアホでも差別する奴は許されへんねん。そんな奴はオレの敵や」
 スキンヘッド、凄味の顔が更に赤鬼の形相でオレをカッと睨みつけてる。カウンター越しにオレを殴りにくるような凄まじい眼光を鋭く刺してきた。
エエやろう。殴りに来い。一発二発位なら殴られてやろうとオレもAちゃんをジッと見据えた。
 妻も居合わせた客達も固まったままオレ達二人を驚愕の眼差しで見ていた。
 鬼の眼差しのAちゃんの瞳が一瞬キラリと光り潤みを帯びたような。
 心なしか表情が崩れた。いや、歪んだと言うべきか。
 それでも視線は外さず瞬きもせんとカッと見開いたままオレを睨みつけてる。
 空気がキーンと張り詰め鋭利な刃物の刃先のような緊張感で停止したままや。
 ヤクザとちゃうけど、オレも若い頃はケンカ人生。形相の凄みではAちゃんの比ではないけど、仮に彼と乱闘に入ってもオレには十分彼に勝てる自信はあった。
 そやけど、闘争の気持ちはオレには全くなく、どっちかと言うと哀しいモノが胸中を駆け巡っていた。差別と反逆、そして孤独な魂。
 店にAちゃんのような者が来るのは歓迎でけへん。そやけど、妹との関連を外れたところで、何かオレの裏に潜む孤独感に似たものを感じてもいた。その共有が交わりを持っていたんかも知れへん。
 突然、衝撃音が狭い店に響いた。
Aちゃんはカウンターに両腕を叩きつけるように立ち上がった。
「じゃかましいわい。分かったわ。ワレーッ、やっぱりエエ根性さらしてるの。日本人がなんじゃい。チョンコがどないしてん。オレは負けへんのじゃい。もうな、二度とな、ここへはけえへん。マスターもあんじょう店やっとけや」
 吠えるようにいうとサッと踵を返し荒々しく出て行った。
 何でやろ、寂しさがどっとオレに押し寄せてきた。
Aちゃんの歩んだ道。ぐれて暴れて少年院から刑務所と渡ってきて、カネの亡者になって裏道を強かに突き切っていく。その起因は差別にあった。差別を力で突破しようと言うのがヤクザの中には多い。
 そして、差別され続けた者が、別の差別の人達を蔑む。そんな矛盾した情景をオレは哀しく見つめてしまう。膿んでいるんや。Aちゃんも膿んでいる。屈辱と無念から生まれる寂しさを内包して荒々しく生きる事しかでけへん。
 ふと周りを見た。先ず妻が不安な眼差しでオレを凝視している。客達はそれとは違う緊張が溶けない不安な視線を送っていた。
 
 Aちゃんはそれ以来ぷっつり顔を見せんようになった。同時に出入りしていた松っちゃん達のヤクザもけえへんようになった。そこに何かの因果関係があったのかどうかオレには知る由もなかった。
 これで彼等との関係が断ち切れた。それはオレの願ってたもんでもあって、良かったと思う。Aちゃんの不注意な失言が思わぬところで店をオレの望み通りに戻した。  確か七十五年頃の記憶やったと思う。以来、生玉に店を出すまで久しくヤクザとの接点は一切なかった。

2009年10月21日水曜日

かおるちゃん 1

ペンかおるちゃん

  目の前に高いフェンスが巡り小さな球場を囲んでいた。
  空高く浮き雲がゆったり流れている。
  初夏の昼前、目映い日差しがさんさんと降り注いでいた。

  フェンスを前にして大木が程よい間隔で公園の隅っこで並んでいる。
  どれもが枝を縦横に伸ばし深い緑を広く拡げ程よい木陰を作ってい
 た。

  その木漏れ日の下に両手を軽く伸ばせば掴める鉄棒があった。
  起きだして直ぐに公園に行くのを日課にして、公園に着くとフェン
 スの周りを軽く走り体をほぐして30分程ストレッチをした後、鉄棒
 の下に立つ。
 
  足を地に着かず連続3回は逆上がりをする。
  力尽きて一旦降り立って力の回復を待ってまた鉄棒に挑む。
  それを数回繰り返して川辺の道を歩き大渉橋を渡ると妻の実家があっ
 た。

  つまり、信州木島平の街山荘が全焼して仮の住まいにしていた。
  近くの松島公園はその頃オレにとっては木島平の高社山の山腹を縫
 う林道での鍛錬の場の代わりになっていた。
  その頃は息子達と一緒に毎日鍛錬に勤しんでいたが、大阪に舞い戻っ
 てからは殆どがオレ一人だけの鍛錬やった。

  これで最後にしようと一気に逆上がり鉄棒の上で体を起こし静止し
 てふと前を見るとおっさんが一人口を半開きにしてオレを見上げてる。
  その視線とあった瞬間

 「へぇえぇ、ようやりまんな」


  山荘での山麓の生活は思い出したように伸びた髭を手入れする位で
 その髭も段々長い目に手入れするようになって傍目では伸び放題って
 感じやった。

  髭とはなかなか重宝なもので信州の凍てつくような冬には肌の防寒
 の役目を果たし、夏は外で作業する事の多いなかブヨとか羽虫等の攻
 撃から守ってくれるのだ。

  焼け出されたのが12月16日で大阪に舞い戻ったのが師走も押し迫っ
 たころで、冬やし髭面のまま師走の大阪の町を闊歩していた。
  気がつくと大阪という都会でオレと似た髭面のおっさんかが結構目
 に付くや。

  9年間離れていた大阪。
  9年前と至る所であらゆる物が大小の差はあるが一様に様変わりし
 てるのも当然と受け止めていたが、髭面のおっさんがこうも多いのは
 チトが点がいかへんので気をつけて見るようになった。

  公園でブルーシートのテントが多いのにビックリした。
  山荘が全焼した年の4月から10月までの半年新宿の歌舞伎町でジ
 ャズバーをやっていて、東京の公園には既にブルーシートのテントが
 公園中を占拠する勢いで多く見受けられたが、何と大阪も後を追って
 きてんねんや。

  そいでよくよく観察すると髭面のおっさん達はそこで生活する人達
 やった。

  別に差別するんやない、それでも同じ風袋に見られるのも如何かな
 とそこからオレは髭を短く切って丁寧に手入れするようになった。


 「大将、ホンマようやりまんな。ワシ、いつも見てて感心してまんね
 ん。いったい齢はなんぼでんねん。あぁそう、へぇーえぇ、そんなら
 ワシと一緒でんがな。おんなじ18年生まれやおまへんか。そやけど
 ワシには絶対できまへんな。ふーん、そうでっか、そらそうですわな、
 若い時からずっとやってないと、そらぁ出来まへんわ」
 
  ホームレスという人と初めて会話したのがこの時やった。
  オレと同い年、そやけどこの人は髭はなく何処か小ざっぱりしてい
 た。
  んで、オレが公園に行って鉄棒を始めると何処からか現れて懐かし
 そうに話しかけてくる。オレも「まぁ一服」とタバコを勧めて二人で
 ベンチに腰掛ボソボソと会話したりしてた。


 「高校を卒業して九州から集団就職で大阪に来て、直ぐに仕立て屋の
 丁稚ですわ。それからずっと40半ばまで仕立ての仕事をしててんな。
 それがワシの働いてた洋服屋が潰れてな、しょうがないからホカを探
 してみてんけど、不景気と大手が工場で洋服の大量生産するようなっ
 てからは小さい洋服屋はドンドン潰れて仕事がみつかれへん。」

 「コツコツ仕立てばっかりしてホカは何もでけへんさかい嫁はんもも
 らえんとずっと独身できて、そやけどそれが良かったんかなぁ。あれ
 で所帯でも持ってたら一家心中もんやったかも」

 「仕立ての仕事がないさかい西成へ行ってん。最初の内は日雇いもあっ
 て何とか家賃も払えてたんやけど、その内建設業もアカンようなっ
 たんやろうな、手配師の奴等、先に若いのんから取っていくさかいワ
 シ等年配のモンにはなかなか仕事回ってけえへん。そうなったらな家
 賃が払えんようになる。何ヶ月も貯めたもんやさかいとうとう追い出
 されてもうて、しゃぁないさかいドヤ暮らしや。それでもドヤに寝れ
 るのはマシやってんけど、いよいよ仕事が回ってけえへんようなって
 喰うのも困るがな。そこからこんな公園を渡り歩いての生活や」


 
  親切な人達に囲まれているとは言え、妻の実家での間借り生活は男
 として潔しとは思えないオレであって、そこからの脱出がその頃の課
 題であった。

  公園で生活する人達の話をその同年の人から色々聞かされた。
  それぞれグループとか仲間とかに別れ些細な縄張り意識もあるらし
 い。大抵は社会の構造から弾き出され本人の意思とは離れたところか
 らあれよあれよと言う内に境遇がどんどん社会の底辺へと追いやられ
 たらしい。

  住所もなく人並みの生活の外枠に追いやられると元に戻ったり浮か
 びあがるなんてのは不可能に近いという。


  大川と堂島川の下流に架かる大渉橋から見る川面と広く展開する空
 とのコントラストが好きだ。そこだけが覆いかぶさる空模様が見え、
 晴天の青空も由、水面に光りを受け細波がキラキラ眩き反射し濁りの
 ない透明感を惜しみなく放出するのに勇気をもらえるような。

  曇天の日には空も川面も灰色に染まって閉ざしたような沈黙に包ま
 れながらも神秘な奥行きを滲ませ、正にその時が思惟の時間であるか
 のように迫ってくる。

  雨の日は落ちてくる雫で水面に無数の小さい輪を忙しく作る造形が
 平面に躍動する。一見騒がしくあるようだが町の騒音は雨に吸収され
 研ぎ澄まされた静けさが過去を思い起こさせる。

  公園の帰りには橋の欄干に身を寄せてしばし思いに深けるのが習慣
 になっていた。

  46にして初めて自分の家の建設に挑戦した。
  しかもそれは法律の枠を数倍超えた、つまり違法の日本一デカイロ
 グハウス。9年間作り続けて10年目に全焼。車2台だけを残して全
 て失った。いや、逆に膨大な借金を返す当てもなく抱えてしまった。

  家長として不安を妻子に持たしてはアカンと大丈夫、オレに任せ形
 式で平常心を保っていたもののこの先どうするか、当たって砕けては
 アカンし、絶対生き残って更に全焼した山荘を再建したるんやと、虚
 勢に近い意気込みを周りに見せていた。


  妻の実家がなかったらと思うと身が引き締まる。
  公園で生活している人たちはあながちオレとは無縁でないんやとも
 思う。個人の資質で絶対そんなトコへ転落せえへんと確信してもやっ
 ぱり他人事で済まされへん。
  そんなコトを大渉橋の欄干にもたれて考えたもんや。


  我武者羅に走ったなぁ、駆け続けたなぁ。
  
  その結果、千日前で出した店は半年を待たず予定を遥かに上回る実
 績を上げ、調子に乗って一店舗より二店舗と西区新町に30坪の店を開
 け妻に任せた。
  更に千日前店を谷九の生玉に移転させた。
  生玉の店は高層マンションの一、二階が連結して60坪もあった。
  家賃はそれなりに要ったものの一階が35坪で店のエリアなら二階は25
 坪で3DKのマンションと変われへん。そこなら親子四人住めるやん
 と移住して、妻の実家から晴れて誰気兼ねの要らへん環境へと浮かび
 上がった。

  先ず気に入ったのはそのマンションが道路から約4mほど入り込ん
 でいて、ここやったら丸太を駆使したデッキが作れるというコトやっ
 た。河内長野森林組合とよしみになって桧の原木を安値で大量に仕入
 れて都会にログの空間を造った。

  木島平の山荘が再建されてもそこは大阪の拠点として永久に置いて
 おくのやと位置づけしていた。

  家族四人の新生活が始まった。
  オレをもう一つ喜ばせたのは店の裏、つまり千日前通の南裏は生玉
 神社あり杜には豊かな様々な樹木が植えられ、神社の前は生玉公園で
 そこにも古木が生い茂っていて大好きな鉄棒もあった。

  ところが、松島公園の比ではない位プルーシートの小さな村があっ
 た。




  松島公園は球場を中心に周りは狭い敷地やけど公園らしい体裁を保っ
 ていた。

  それに比べて生玉公園は古木の楠を中心に樹木をふんだんに配置し
 て大阪では珍しい。
写真

  生玉神社の杜や参道も併せて変化に富み広さもそこそこあった。
  神社の南側に少年野球場もあり、それは上町台地の頂点になってい
 て野球場の西側が松屋町筋に向かって急勾配に下っている。

  石畳の緩やかな細道が曲線を描いて中程まで続いてそこからは真っ
 直ぐ広い石の階段が下まで伸びて、降り切った処から階段の幅に合わ
 せて石畳の歩道が松屋町筋の大通りに出るようになっていた。

  石畳の両側は桜並木になっていて、野球場のある台地から下までは
 樹木が生い茂り清閑な鎮守の森が都会の粗い喧騒を忘れさせてくれて
 いた。

  若い頃は彼女とロマンチックに溢れた夜の散策道であったりして。
  仰ぐとラブホテルのネオンが若いオレ達を招き寄せたのも度々。

  本来はそんな景観やった。
  少なくともオレが信州木島平へ移住するまではそうやった。

  今は緩やかな曲線を描いて下る石畳の両側、樹と樹の間に隙間もな
 くビッシリとブルーのテントが占拠していた。テントだけとちゃう。
 寄せ集めた木材や金物でバンガローもどきのシッカリした小舎な建物
 がはばかるコトなく建てられていた。

  元来の清閑な景観がことごとく押しつぶされて、歪で薄汚れた小さ
 な村が形成されていた。

 「あんな奴らは追い払わなアカン」
 「行政は何しとんじゃい、公園は市民のモンや」
 「治安が悪なるし、公園も汚れる」
  様々な非難が人々の間で飛び交うものの彼らは居座り続けている。
  大阪の公園という公園には例外なくそんな光景がはびこっていた。

  人々が言うように果たしてそうなんやろうか。
  公園に通う間、オレは注意して観察しつづけた。
写真

  生玉公園には鉄パイプの柵が地上から60cm位の高さで公園を囲って
 いた。オレはそれおも鍛錬の材料に選んだ。

  公園に着くと公園の隅々の樹木の間を縫うように駆け巡る。途中に
 古タイヤを埋め込んだのが列を成しているのをジグザグに素早くとお
 り抜け、それからストレッチを30分以上もかけ丹念にやり、球場の西
 側にある三角形にそそり立つ銀杏の大木の中に入り背よりも高く上が
 れと大木に蹴りをいれ、次は公園の楠の下の鉄棒へ行き逆上がりに挑
 む。

  鍛錬を蓄えておいて、時には記録に挑戦する。
  蹴りが連続で何回できるか、30分で逆上がりが何回できるか。
  逆上がりの記録は50。多分それが限界やと思う。

  仕上げに柵の鉄パイプの上を綱渡りでなくパイプ渡りをして何処ま
 で行けるかとバランス感覚に挑戦する。

  初めは楠の大木に手を当てパイプの上に乗りそろりと停止して細い
 パイプの背を危なっかしく渡っていたが、いつしか何も頼らず行き成
 りパイプの上に足をかけヒョイッと踊り上がり渡れるようになってい
 た。

  ある日、パイプを渡るオレの後ろ脇をオレの速度に合わしてついて
 来る奴がいた。
 
  オレは2mほど先のパイプの背に視点を合わせ慎重に渡っているので
 脇見はでけへん。
  そやけど視界の隅に誰かオレの歩調に合してついてくるのがいる。
  構うことなく、いや目的の茂みが覆いかぶさるパイプの先までは未
 だ10mはあるので貫徹しようと懸命やから構うなんてのは二の次。

  パイプ渡りは結構精神の集中がいる。そやのに誰かが着いてきて来
 ると思うと集中が散漫になりそうで、見られてるから貫徹せなと穏や
 かでない精神状態になりはなはだ緊迫してもうた。

  失敗は許されないと慎重にかつ大胆に一歩一歩足を前に出しバラン
 スを保ちながらやっと目的の繁みまで何とか到達してヒラリと路面に
 降りた。

「ようぉやりまんなぁ」その瞬間、横から声が飛び出してきた。
 「ホンマ、ビックリさせてもうたわ。俺等そんなんでけへんで」

  何度か見かけたホームレスのおっちゃんが破顔して手までたたいて
 る。さっきから脇で付いてきたのはこの人やったんや。

  それがきっかけでこのおっちゃんとも公園で会うと、「おおっ」と
 手を上げ挨拶はもちろん短い会話も時折するようになった。

  更に、ある日、一通りの鍛錬を終えて石のベンチに腰掛てタバコを
 燻らしていると老婆が一人横に座った。
  ダンボールをそのベンチに敷いて寝ているのを時々見かける老婆。

  どうぞとオレタバコを差し出した。
 「兄ちゃん、おおきにな」
  で、しばし無言で二人並んで紫煙の行方を追っていた。

 「ワタシはな別に寝るとこがないんちゃうんやで。土地付きのな大き
 い家が四天王寺さんの辺りにあるねん。そこらのオッサン等と一緒に
 せんといてや」
  突然、憮然と唐突に喋りだした。

 「息子は会社の社長や。車かてエエのん乗ってんねんや。ワタシは何
 不自由ない暮らしをしてんねんけどな、嫁が好かん。あの女が居るさ
 かい時々家を出たんねん。そやからなその辺のオッサン等と一緒にせ
 んときや」

  オレは何かやるせなくなってしもうた。

  老婆の話の内容と反比例して、多分、風呂なんてここしばらくは入っ
 てないんやろう、タバコを吸う手の腕は垢がこびりついているし、靴
 は何処で拾ったのかもらったのか男物のスニーカーでつま先が既に一
 部小さな穴が開いているし、来ているワンピースも隙間なく汚れてい
 る。

  それでも見栄をはりたい、気概をもちたいのか、、、
  オレの差し出した一本のタバコが彼女を哀れんでいるのに腹を立て
 てんのか、それとも、話し相手が欲しかったのか。

  それから20分ほど、多分その時でまかせの身の上話を聞かされた。
  ふんふんと相槌を打ちながら老婆の話を神妙に聞くしかなかった。

  何で、何で、こんな老婆まで公園を寝ぐらにせなアカンのんやろう。
  行政というのは何もでけへんのか、そんな義憤、鬱憤を抱いたもの
 の、それではオレ個人として何が出来るかというと自己の非力を思い
 切り噛み締めるしかない。

  老婆は男達のようにテントを張ることもでけへんねんやろう。
  これから夏に向かうので雨だけ避ければ何とか過ごせるかも、そや
 けど凍てつく冬の夜はどうすんねんやろう。

  オレの知ったコトかと横を向いていれば世間と同じように気にもな
 れへんのやけど、それからというものは公園への道のりが心の何処か
 で曇ったしこりを持つようになった。

  その頃気がついたのは、ホームレスのテントが多いのに公園はゴミ
 が殆どなく至って清潔になっている。

  一つの発見があった。
  早朝に係わらず昼間もホームレスの誰かが公園を清掃しているのや。


  公園へ鍛錬に行く時間は一定とちゃう。
  何せ、夜の酒売る稼業、朝まで飲ませて飲んで騒いでも稀でない生
 活やさかい、起きる時間は朝の8時~午後の3時と大きくバラってい
 る。

  で、掃除をするホームレスの人を見かけるのは朝に多かった。
  それも、一人だけでなく何人も居た。

  「公園が汚れる」と市民と言われる人達の言葉はどこから来ている
 んやろ、、、異端を見る偏見、墜落した人たちを見る蔑み。

  それは自分たちの世界の外の決して混合させるのを許さない驕り。
  
  と、思うオレですら、、考える。
  挨拶はする、会話もする、お婆ちゃんにタバコを差し出す。
  イイ気になってんちゃうん。

  そしたら、寝ぐらのない老婆を一日でも泊めてやれるのか?
  引いてしまう自分をハッキリ認識できる。

  偽善者、偽善者。
  素直でないカッコつけ。自分は市民と言われる人たちと一線を画し
 ているんやと、で、その一線は何やねん。
  中途半端な善良さ、、、、悩ましい日々が続く。




  都会のど真ん中で、電動とは言えチェーンソーを時折唸らせるのは
 多分オレぐらいのモンやろう。

  デッキに張り巡らした丸太の柵が新規のお客を入りにくくしてんの
 ではと思案の末、一部切り落とし開口部を広くするコトに決めた。

  内から道路に向いて丸太の柵にチェーンソーを当て正に切断しょう
 としていた。


  気配を感じる。
  強い視線。

  チェーンソーの歯の先端の直ぐ向こうに二匹の犬と人の足が先ず目
 にはいった。チェーンソーを止め視線を上に移した。

  カッと見開いた目でオレを睨めつけている。
  初老の背の低い小さいオッサンが二匹の犬を連れて立っていた。

  「どうかしました」
  「何してるん。何で丸太を切るん。折角作ったモンを」
  「そうでしょう。勿体ないし惜しいねんなぁ。そやけど色々考えて
 切るコトにしたんですわ」

  「切ったら、どうなるん」
  「店に入るには入口が狭いと思って、チョッと広げたらお客さんも
 少しは増えるんちゃうかなぁと」
  「ふーん、そんなもんかな」
  オッサンはそう言い残して踵を返してそのまま谷九の方へ犬を引き
 連れて行ってしもうた。



  公園に行くにはマンションの横の石畳の源正寺坂を真っ直ぐ上が   る。
  突き当たりに生玉神社の朱塗りの裏門があってそれを潜り神社の杜
 の遊歩道を通り石の階段を上がった処に広い境内があった。

  右手に本殿、境内を裡にして左手に石の大きい鳥居がある。
  コレが生玉神社の正門。正門を出ると右に公園がある。

  何となくこの日は左を見た。
  いつもさり気なく見て通り過ぎていたのにこの日は何となく左を見  た。

  下り坂の参道の向こうは殆ど人の入らない一角で斑に立つ古木の間
 をブルーシートのテントが四つ不規則な間隔である。

  おやっ、犬が二匹。
  参道に一番近いブルーシートの脇に犬が二匹つながれていた。
  先日、オッサンが連れていた白地に茶色のヤツと真っ黒いヤツ。

  そうか、あのオッサンはここで生活してるホームレスさんやったん  や。

  のこのこ訪ねてみた。
  ブルーシートのテントから足が二本はみ出していた。
  犬がけたたましく吠えて足が引っ込み顔が出てきた。

  オッサンや。
  「やー、こんにちは」
  「あぁ、マスター」
  「全然分かれへんかったわ。ここ、よう通ってるのに」
  「ボクは知ってたで、鉄棒で逆上がりなんかしてるやん」


  オッサンが店の前を通った。
  「よおぅ、コーヒーでも飲もう」
  「犬を連れてるし、ボクなんかは店に入ったらアカンねん」
  「何言うてんねん。コーヒーくらいおごらしてや」
  「アカンて、ボクらみたいなんかが店に入ったらアカンねん」

  「分からんコトいうな。チョッと話でもしようや」
  
  オッサンはウンと頷いて観念したように犬を丸太の柵につないでオ
 レの後ろに従って入って来た。

  コーヒーを出す。
  「頂きます」とカップを押し戴くように頭上にかざして飲んだ。
  「おおきに、ほな、これで」
  「えええっ、もう行くの。えっ、何してんや」

  オッサンは店の床に土下座した。

  「ボクみたいなモンをマスター、おおきにな、ホンマにおおきにや  で」
  「やめてえや、そんなんしたらアカン」
  「ごちそうさま」

  オッサンは犬を連れてそそくさと出ていった。

  
  次の日。
  「マスター、昨日はおおきにな、こんなもんやけど食べてや」
  
  スーパーの袋に果物がビッシリ入ってる。
  ざっと見て2千円はするやろう。

  「チョッと待ってや、何これ、おかしいんやん」
  「気にせんといてえや、ボクの気持ちやさかい。こんなもんでかん
 にんしてや」
  「いやいや、ちゃうし。止めてくれや、こんなんしたらアカン」

  「こんなボクを店に入れてくれてコーヒー飲ましてくれてホンマに
 おおきに」
  そう言うてまたそそくさと出ていった。


  2千円相当の果物。
  あの人達が一日に稼げるのはなんぼや。

  コーヒーなんて一杯350円。原価は20円位なもん。
  土下座までして、更に、何で、何で、。。



  公園への行き帰りのコースが次の日から変わった。
  行きは今まで通りに源正寺坂を上って生玉神社を抜ける。
  帰りは神社の正門を左に見てそのまま急勾配の坂を下りていく。
  坂の両側はラブホテルが軒を連ねている。それもあってこの坂は避
 けてきた。
  突き抜けると千日前通に出て、左に折れると街山荘。

  正に坂を下ろうとする右側の楠の大木の下にオッサンのテント。
  犬が居るとオッサンも居る。

  「こんにちは、元気?」と声をかける。
  「やー、マスター」と出てきて短い会話で終わる。
  その内、犬が懐いてきてオレの姿を確認すると二匹が吠える。

  犬の歓迎の吠え声を聞いてオッサンもオレの訪れを知りでてくる。
  近寄ると二匹の犬は飛びついてきてベタベタまとわりついてくる。
  その度に服もズボンも乾いた土を擦り付けられ汚れる。

  「そう、かおるっていうの、ほな、これからはかおるちゃんやな。
 オレはよしおちゃんと呼んでえや」
  「何言うてんねんな、そんな気安う呼ばれへん。マスターや」

  かおるちゃんは、オレの手製の本『街山荘記』を読みたいというか
 ら次の日に持っていった。

  また、その次の日、犬に吠えられ呼び寄せられるとかおるちゃんが
 も飛び出してきた。

  「マスター、エエ本をおおきにな。一気に読んでもうたわ」
  「エエッ、もう読んだん。かおるちゃんなかなか読書家なんや」
  「そうやで、アホにせんといてや。これでも本はよう読むねん。
  エエ内容やったな、上手いコトよういわんけど、ホンマに感動した  わ。ボクなこれもう何回か読ましてもうてもエエか。もうチョッと貸
 しといてや」

  「ちゃうちゃう、かおるちゃんさえ良かったら差し上げるつもり渡
 したんやで」
  「ほうかいな、ほな、コレもうといてもかまへんねんな。マスター、 ホンマにおおきにやで」

  額に押し戴いて深々と頭をさげる。
  「もう、やめときぃや、そんなんするのん」
  「いやーホンマに嬉しいねん。ところで分かれへんねんけど、マス
 ター何で大阪におるねん。信州でログハウス建ててんとちゃうん」

  「あぁ、そうやな。実はその中の話はもう10年以上も前の話や」
  「そやから分かれへん。何で信州の山荘に居れへんねんな」

  「うん、実はなそれは3年ほど前に燃えてしもたんや」
  「エエッエエ、ホンマかいな」
  「そやからな、こうしてまた大阪に帰ってきて元の商売してんねん。 そやけどなまた再建しようと造りはじめてんねん」

  「造り始めてるちゅうたって、大阪に居ったらでけへんやん」
  「いや、いきなり信州に行って造るんやのうてな、今、河内長野で
 丸太を加工してんねん。それが大方出来たら信州に持って行って一挙
 に組み立てようと計画してんねん。ま、だいたい天気を見て週に二三
 回朝から夕方まで河内長野に行ってんねん」

  「そうかいな、なるほどな。なぁマスター、そこへボクも連れて行
 ってくれへんか」

  「エエよ。チョッと遠いで、片道1時間半はかかるで」
  「マスター、何言うてんねん。ボクなんか時間いっぱいあるんや   で」
  「そやな、ほな、その内一緒に行こうか」



 かおるちゃんは、相変わらず犬を連れて店の前を通る。
 会う度に「チョッとコーヒーでも飲んでいきいや」そう声をかけそうにな
るのを抑えこむ。

 「マスター、僕等みたいなもん店に入れたらアカン」

 一杯のコーヒーをそそくさと飲んで土下座してサッサと帰って、次の日に
果物をドッサリ買うて持ってきたコトを思い出した。

 かおるちゃんが何でカネを得てるのかオレには知る由もないが、例えば
ダンボールや空き缶を集めてる風でもなく、かと言うて日雇いに出かけてる
風にも見えへんし、犬を散歩させてその辺を歩き回っている姿とブルーシ
ートに籠ってる以外に出かけるてるような様子もない。

 そんな人が2000円は下らない買物をして贈り物として持ってきた。

 いたたまれへんねんな。

 彼の気持ちが何処にあるのか推測するしかない。
 「コーヒー飲んでいきいや。ご馳走するし」
いわば強引に店の中に招き入れてたのだが、そのコトに対して彼なりの
思いが窺われると同時に何かそれなりの気概も伝わってきた。
 ホームレスはしてても対等、いやそれ以上でありたいと言う気概が。

 こちらの下手な人情や親切心がかえって仇になるのやと悟り、以後かおる
ちゃんが店の前を通っても立ち話だけにした。ところが、オレのその思いも
時間と共に曖昧に薄れて意識の中から消えていた。



 冬が来た。
 
 そう言えばその2年前の年末のある深夜。
 オレは妻に手伝わせて生玉公園の中央にコンロと大鍋とを持ち込んで熱い
うどんを作ってブルーシートを一つ一つ訪ねて炊き出しをしているから食べ
に来てくださいと回った。
 他におにぎりと卵焼きに煮魚と野菜の煮たのも添えた。

 無人のテントもあったが10人以上の人達が呼びかけに応じて来てくれた。
 どの人も両腕を交差して肩を自ら抱いて寒さを耐えている。

 「すんません。ほな、頂戴します」
 「ありがとうございます。寒い夜に熱いうどん。助かります」
 交々しみじみお礼を言うてうどんを啜り弁当を持ち帰っていった。

 数人が「何処のお方ですか」とか「どちらはんですの」と訊ねてきた。
 その都度「いや、まー気にせんといてください。気まぐれですから」
とはぐらかし「寒いでしょう、風邪ひかんといてくださいね」なんて取っ
てつけた科白で濁らせていた。

 オレ達夫婦は帽子を被りマスクをして人相を隠していた。
 もっとも淡い闇が素顔でも間近に寄ってけえへん限り顔は判別しにくくし
ていた。

 この公園には毎日のように来るオレであって、鉄棒で逆上がりだのと体を
鍛えるタメに兎角目立つコトをしているから公園の住民に知らん人は居れへ
んはずや。
 もし、顔が知れて公園に行く度に話しかけられても鬱陶しい。
 あくまでも一過性、出来心でありたい。
 出来心がまたも台頭してきたらその時はその時、またやればエエねん。

 それにしても、一人一人のお礼の言葉を聞く度に胸の中にイヤーな強い
刺激が連打してくる。
 当然お礼は言われるのを承知でどんな展開になるかの筋書きも読めている
んやけど、実際にそれぞれの違った肉声を受けてみたら、その人達よりもオ
レの方が至って惨めであって哀しいものが込み上げてくるんや。

 性(さが)が突発的にこんな行動にでる。自分のその性を哀れむもう一人の
覚めた自分を認識してしまう。
 


 70年の初頭から約10年間程、釜ケ崎の釜ケ崎共闘のアジトに年の暮れ
はいつも米を30kgとインスタントラーメン等を届けていた。
 免罪符的な偽善と言えばそれまでなんやけど。。

 約10年と言うのも変な話やが、確か釜共闘の内部分裂が取り沙汰された
り、別の組織が入ってきたりして、一年に一回しか物資を届けへんオレには、
その内何処に誰に渡してエエのか戸惑いが生じ、戸惑いが次の行動に向かわ
せんかったと思う。

 なら、その組織の中に入って積極的な活動を展開していけばとも思わんで
もなかったが、踏みとどまる強い要素があった。

 70年代初頭の連合赤軍による粛清大量殺人事件から整理しきれない苦し
い思考がオレを群から遠ざけた。
 自分の性格を熟知している。他人の意にだけ従って動くだけのオレじゃな
い。自分の意をも露出するやろう。押しの強いオレは指導的立場になるか衝
突も繰り返すのが目に見えている。

 群から離れて独りでありたい。
 オレはオレだけでいることが重要なんやと思い続けている。

 日本を変えよう。資本家を叩き潰して革命をと真剣に望んでいた若かりし
頃から一貫してその原点を捨てずに思想も高めてきたと思う。
 とは言え、現実に何かをやってきたかと問えば、どの組織にも入らず組織
も作らず常に一人で居たから何もしてないに等しい。せめて、身近な些細な
コトでもと急きたてられる思いが僅かな物資の差し入れになっていた。

 ところが、その行為の度に意識の底で嫌悪を伴う違和感を覚えてしまう。

 偽善者メ。
 自分を誤魔化し肯定するありふれた小市民的な救いようも無い偽善行為。
 そやけどなぁ、そんな風に決めつけるのも納得でけへんなぁ。
 
 些細なコト、炊き出しをしたのはあの年末の一回切りになっている。
 余りにも些細なコトで持続せえへん、いやでけへん一過性の行為に染み
でる拭えない欺瞞、免罪符を得たような後ろめたさとでも言うか。

 多分、他人が同じコトをしてたら、表面は「エエ事しはりますな。なかな
かでけへんコトですワ」なんて誉めておいて、内心は「この偽善者メ、そん
なコトして自己満足してるだけやろう。そんなコトでこの人達が救えるか、
世の中が変わるか」と、罵り嘲笑ってると思う。

 それはオレの思いの底の浅い多面性がどうしようもなく屈折した現象を浮
かび上がらせるんやろうな。


 これはやっぱり、性(さが)、オレの性。

 若い頃から取り込み溜め込んできたバランスを欠いた雑多な倫理の総体が
常に底辺を見つめ、背景を認識し、裏側の本質に迫ろうとして、それへの対
処の術がない苛立ちが、オレの性として固定してんねんや。

 些細なコト、たいしたコトでない軽やかな行為しかでけへん呵責なのか。
 それと併せて自らの境遇を重ねて視野を広げた時に映る底辺の有様。

 身近な至る所で余りにも多いホームレス。
 それは決して他人事でもないし、無関係とも思われへん。
 社会の構造から弾かれ行き場のないままホームレスになる。


 信州木島平村の全焼した街山荘。

 もし、支援してくれる多くの人達が居れへんかったら、オレの行く手には
どれだけの窮地が待ち受けていたやろう。
 その窮地に押され砕かれ転げ転げて身を潜めるような事態に陥る。
 そんな想定が現実性を帯びて脳内を駆け巡った日もあった。


 日常の上辺は儲けて経済的に裕福でありたいと思う。
 何でやろ、

 圧し掛かる避けられない課題が山荘全焼による膨大な借金。
 二人の大切なヤツが連帯保証人になってくれている。
 それさえなかったら自己破産したってエエんやと思う。

 経済的裕福がどれ程の意味があるねんと自問してみる。
 自問それ自体はあるところで敗者の負け惜しみにも聞こえる。

 では、オレは敗者なのか。
 60越えて巨大な借金を抱え身動きならず、現役で人の何倍も働き通し
休みのない毎日は勝者とは縁のない位置に立ってる。

 敗者を認識し、勝者を見据えて這い上がろうとする執念は、沸き立つ闘争
心を漲らせてる日常と自負している。。

 すなわち、このまま墜ちてなるものかと。
 今に見とれ、、、と。。。。
 今に見とれ見とれと意気込んでいる内に既に66にもなって後がない。
  


 春も近い2月の寒いある夜。

 大阪の冬も寒い時はホンマに寒いんや。

 寒い冬の夜は熱燗が美味いのじゃと、客の引いた後、一人で熱燗をチビリ
チビリやりだして身勝手な想念に耽っていた。

 ふと唐突にかおるちゃんの眉間に皺を寄せて一瞬キラッと光る目の表情が
想念の中に現れた。

 寒さを心地良く感じて熱燗に舌鼓を打つオレ。
 悦にいってるひと時でもあった。
 唐突に浮かんだかおるちゃんの顔が、その悦を打ち砕いた。
 かおるちゃんは、かおるちゃんは、、今、あのブルーシートのテントの中。

 電気なんてもちろん無い。
 灯油ストーブとかの暖房はあるのか知らん。
 そんなものは何も無い、その思い込みがオレの動悸を高ぶらせた。


 熱燗をやりだしたがそんなに酔ってへんのを確認してオレはカウンター
の中に入った。
 先ずは二個の卵でオムレツを、次にニンニクと鷹の爪を
フライパンに流した油の中に入れ弱火で馴染ませている間に豚肉と数種
の野菜を一口大に切ってフライパンに入れ、酢を少し垂らしコンソメを振り
かけ強火で炒め、最後にゴマ油を混ぜ合わせる。
 寒い時はこんな料理が体を温める。

 おにぎりも四つ作った。
 小さなポットに熱燗を二合ほど満たした。

 1時頃かな、外に出るとブルルと鋭い寒気が背中を刺した。  
 慌てて一度店に取って返してブルゾンに腕を通しジッパーを締めて
再度寒さに固まった深夜の外に出た。


 千日前通の街灯が歩道を淡く浮かび上がらせ車道に頼りない光りを投げか
けていた。
 千日前通は東西に走り松屋町筋の下寺町から谷町筋の谷九まで約1kmが
上町台地へと競り上がって勾配のきつい上り坂になっている。

 店を出て右に曲り谷九へ向かう上り坂を少し上がって行く。
 前方にあるラブホテルの大きな派手な電光看板が直ぐ視野に飛び込んでくる。

 店のある16階建てのマンションの右隣は広い空き地やったのが今では
同じく16階建ての真新しいマンションが建っている。
 その一階のワンフロアーに大きなペットショプが出来て深夜遅くまで店を
開けているから、街灯の淡い光りに増してオレンジ色の光りを発してそこだけ
が抽んでて明るく夜の闇を切り裂いていた。

 繁華街のミナミを中心にドーナツ型でマンションがひしめき合っている。
 夜の街を生きる、夜の裏方で働く人達の棲家として存在感を持つ一帯は仕
事帰りのホステス達へのヒッタクリや、フラツイて帰る酔っ払いへのオヤジ
狩が伝統のように頻発していて、闇を裂く灯りは防犯の役目もする。


 そのペットショップの角を右に折れると更に競りあがる急勾配の上坂が見
上げるように続いている。その両側はラブホテルの原色のネオンや看板が妖
しく媚びた下品な灯りで辺りの闇を制していた。

 左側のホテルの切れたその向こうに道路から勢いよく下る狭い窪みがあっ
て楠が間隔を空けて何本も何本も大きく育ってそそり立っているのだ。

 ホテルの切れ目の直ぐ傍。道路の傾斜の直ぐ下の一本の楠の根元に小さな
ブルーシートのテントがあった。

 道路と窪みの境目は鉄パイプの柵で仕切られていた。
 仕切られたパイプの向こうは曖昧な闇が憂鬱に広がって樹木の輪郭もブル
ーシートの輪郭も闇に溶け込んで頼りなく浮かび静まりかえっていた。


 柵を跨いで静かに下りて行くと踏みしめる足の底で落ち葉の軋む僅かな音
が静寂の中で小さく響く。


 「かおるちゃん」 囁くように声をかけた。

 二畳もない狭い背の低いシートが幽かに揺れてその中の空気がザワツク気
配がした次の瞬間「ゥワン」犬の小さな甘えるような声と共に二匹が飛び出
してきた。

 衣服が汚れるのを嫌って二匹の鎖の範囲ギリギリの所で立って待っていた
オレに跳びかかろうとする二匹を受け止めて前足を持ち頭を抱えてやった。
 頭を擦りつけ前足をバタつかせて二匹は競うように甘えてくる。


 「何やマスターか。どうしたん何かあったん」

 寝ぼけたかおるちゃんの声がした。両掌で両目を擦り覚めやらぬ面持ちが
淡い闇の中に浮かんでいる。


 「ゴメンな、やっぱり寝てたんや。そら、こんな時間寝てるわな」 
 「うん、今日ははようから寝てもうたな」

 「そうか、起こしてもうてんや。ホンマにゴメンな」
 「そんなんエエけど何かあったんかいな」

 「それよりも寒ないか」
 「うん、大丈夫やで。この子らと寝てたら温いねん」

 「へーっ、ほな一緒に寝てんねんや」
 「当たり前やん。それよりかどうしたん。何かあったん」

 「うん、チョッとな」
 「エエっ、どんなコトがあったん」
 
 「ホラっ、コレッ」
 「、、、、、」


 「一人で酒飲んでたらな、かおるちゃん思い出してん。ほんだらな、一人
が寂しいなって。そやけどこんな時間やし、それにオレの店で一緒に飲もう
言うても、かおるちゃんけえへんのん分かってるし」

 オレは喋りながらあの時、かおるちゃんが果物をいっぱい買って持ってき
たのを思い出した。

 「酒と肴と明日の朝メシ作って持ってきてん。そやけどな、みんな余りも
んやし、気ィつこうたらアカンで。オレが寂しいから勝手なコトしてんねん。
 前みたいにお返しで何か買うてきたら絶対アカンで。夜中起こしてオレの
勝手にしてゴメンな」

 「うわーっ、コレ熱燗やん。良かったぁ、嬉しいなぁ。ホンマはな、うと
うとしてただけで寝られへんかってん。熱い酒が欲しいなぁって思ってたん
や」

 「そうか。ほなグットタイミングや」
 「マスター、おおきにな」
 「アホかいな、照れさすなや。気まぐれ気まぐれ」
 
 「嬉しい気まぐれやで。ところでな、まだ河内長野で作業してんか」
 「うん」

 「ほな、やっぱり僕も一緒に連れて行ってくれへんか。この子らの小屋
作りたいねん。僕でもできるやろ」

 「うん、出来るで。オレが教えたるやん。ただな、今、寒いやん。もうチ
ョッとしたら温なるやん。ほんだら一緒に行こうか」

 「よしっ、きた。マスター頼むで」
 「任さんかい。心配せんでエエし。それよりもそれな熱いうちに飲んでス
カッと眠りや。ほな、オレ行くし。な、くれぐれも何もこうてきたらアカン
で」

 「そうか、マスターはそんなん嫌いなんやな。分かった。心配せんでエエ。
これな、ありがたくもうとくで。僕なぁ、酒は好きなんやけど直ぐに酔うて
まうねん。そやからこの位が丁度エエんや」


 坂道をゆっくり降りて帰る。
 久しぶりに空を仰ぎ見る。大阪の夜の空はどんよりした色彩のない闇。
 信州木島平村の冬の夜の空は濃い藍色を溶かしたような奥深い苛烈な闇だ。
 それを背景に研ぎ澄まされた白銀色の星の群れが燦然と煌いている。

 大阪には空がない。
 そやから仰ぎ見るというのも忘れてしまう。
 この夜は申し訳程度に星が散らばりぼやけた光りを滲ませていた。

 ホームレスのおっちゃんに気まぐれを起こしたんとちゃう。寒さを耐えて
るであろう友人を見舞った。

 そう思うと妙に浮き浮きしてステップを踏むように店に帰って、あらためて熱
燗をあおった。